「美空ひばり」さんのヒット曲の一つに「柔(ヤワラ)」があります。
この歌で1965年の「第7回日本レコード大賞」を受賞されています。
※美空ひばりさんの歌には
「愛燦々」や「川の流れのように」など好きな曲もありますが。
私はひばりさんファンではありません。
どちらかといえばアンチです。 m(_ _)m
出だし第1段の歌詞が
「勝つと思うな 思えば負けよ」となっていますが、この部分は難解です。
歌詞の "勝つ" を大きく三つの意味にとれば
"勝ちたい" 、"勝つことができる" 、 "勝つことになる" になるかと思います。
"負けよ" が指示口調の "負けなさい" という意味でないとしたら、
第1段の歌詞は次の何れかと同義になります。
① 勝ちたいと思うな 思えば負けることになる
② 勝つことができると思うな 思えば負けることになる
③ 勝つことになると思うな 思えば負けることになる
そして、第2段の歌詞が「負けてもともと この胸の」と続きますので、
自分の方が優勢な状態・状況だと判断しているときの油断(気の緩み)を
戒めているものではないと考えられ、②と③は除外されます。
残った
① 勝ちたいと思うな 思えば負けることになる
これを対義語を使って読み替えれば
①' 負けたいと思うな 思えば勝つことになる
となりますが、
「負けたいと思ったら勝つことになる」という論理も成り立ちません。
高校野球など他のスポーツでは
「勝つことに貪欲になれ」とか「気合で負けるな」など、
抽象的ではありますが直截な言葉で鼓舞したりしますが、
柔道(柔術(?))の場合は違うのでしょうか?
もしかしたら、作詞された「関沢新一」(故人)さんは
第1段と第2段の歌詞の連関を考慮されなかったのではないでしょうか?
(もしくは、第1段と第2段の歌詞の間に多くの言葉が隠されている?)
興味が湧いたので関沢新一さんの他の歌詞を調べてみました。
私が好きだった歌がありました。
「高原の御嬢さん」(歌:舟木一夫)
この歌の詞にも首を傾げたくなるところがありました。
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
高原に風はわたり 白樺はゆれていた
夏がゆけば 恋も終ると
あの人はいつも言ってた
リーフ・リーフ ~
君にぼくの 恋を語ろう
つぶらなる瞳よ つぶらなる瞳よ
高原の夏はすぎて 別れゆく夜はきた
一人よせる 夢ははてなく
残り火は 赤く燃えてた
リーフ・リーフ ~
ぼくの恋は 消えてしまった
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
東京の空のどこか あの人は住んでいる
せめて いちど 逢ってききたい
夏の日の 恋は嘘かと
リーフ・リーフ ~
東京の 秋は淋しい
私のツッコミ
・ "夏がゆけば恋も終るとあの人はいつも言ってた"
↑はじめから期間を区切ったものを「恋」といえるのでしょうか?
・ 既に "ぼくの恋は消えてしまった" といってるのに、
"たまらなく逢いたい" なんて
↑まだ僕の恋する気持ちは消えてないでしょう?
(高原で別れるときにときにどんな話をしていたの?
その内容によってはストーカー行為になりますよ)
・ "夏の日の恋は嘘か" なんて、
お遊びでなければ「嘘」に決まっているでしょう?
などと大変失礼なことを書きましたが、
私は、この詞の "ぼく" の気持ちが痛いほどわかる
昭和の人間です。
前置(と前置きでの脱線)が長々となりました。
※屁理屈を捏ねたり粗探しをしたりするという、
自分でも嫌いな悪い癖が出てしまいました。スミマセン
タイトルの「勝つと思え 思えば勝ちよ」
久しぶりで打った最近の碁の勝敗は5勝1敗の好成績でした。
この結果は公民館囲碁サークルでの先生の言葉が効いたものと思われます。
先月、指導碁を受けているときに先生が私に言われました。
『あなたは1級ではなく、2~3段の力を持っている』
『あなたの打ち方にはプレッシャーを感じる』
私はその言葉を真に受けるほどウブではありません。
先生が伝えたかったことは
「上位者にも臆せず自信を持って打ちなさい」
「たまーには直感で良い手を打つこともある」ということだと解釈しました。
数を打っているわけではありませんが、
(囲碁サークルで春以来打ったのは10局程度です)
月2回開催される囲碁サークルでの1回1時間の先生の解説は
頭の中にスーっと入ってきて大変為になっていると思います。
根拠はありませんが、
自分でも前より少し強くなったのではないかと感じていました。
そして先日打った相手が法事に参加するため東京から来ていた義兄でした。
昔は私のほうが白を持って勝っていたのですが
ここ数年は(といっても年に数局打つか打たないか程度)
白を持つ義兄に勝つことができませんでした。
葛飾の囲碁仲間に揉まれて上達した義兄には、
打ちはじめる前から勝てる気がしなかったものです。
今回、先生の言葉もあって少し自信を持っていた私は
「今の私ならたぶん勝てるだろう」と思いながら黒石を持ちました。
結果は2連勝となり、私が白石を持つことになりました。
白では1勝1負となりましたが、内容的には満足できるものでした。
義兄との対局で益々自信をつけた私は、先週の囲碁サークルで
上位の方に黒番で圧勝(?)することができました。
たまたま私の調子が良かったのかもしれませんが、
少なくとも私の場合は「勝つと思え 思えば勝ちよ」のようです。
この歌で1965年の「第7回日本レコード大賞」を受賞されています。
※美空ひばりさんの歌には
「愛燦々」や「川の流れのように」など好きな曲もありますが。
私はひばりさんファンではありません。
どちらかといえばアンチです。 m(_ _)m
出だし第1段の歌詞が
「勝つと思うな 思えば負けよ」となっていますが、この部分は難解です。
歌詞の "勝つ" を大きく三つの意味にとれば
"勝ちたい" 、"勝つことができる" 、 "勝つことになる" になるかと思います。
"負けよ" が指示口調の "負けなさい" という意味でないとしたら、
第1段の歌詞は次の何れかと同義になります。
① 勝ちたいと思うな 思えば負けることになる
② 勝つことができると思うな 思えば負けることになる
③ 勝つことになると思うな 思えば負けることになる
そして、第2段の歌詞が「負けてもともと この胸の」と続きますので、
自分の方が優勢な状態・状況だと判断しているときの油断(気の緩み)を
戒めているものではないと考えられ、②と③は除外されます。
残った
① 勝ちたいと思うな 思えば負けることになる
これを対義語を使って読み替えれば
①' 負けたいと思うな 思えば勝つことになる
となりますが、
「負けたいと思ったら勝つことになる」という論理も成り立ちません。
高校野球など他のスポーツでは
「勝つことに貪欲になれ」とか「気合で負けるな」など、
抽象的ではありますが直截な言葉で鼓舞したりしますが、
柔道(柔術(?))の場合は違うのでしょうか?
もしかしたら、作詞された「関沢新一」(故人)さんは
第1段と第2段の歌詞の連関を考慮されなかったのではないでしょうか?
(もしくは、第1段と第2段の歌詞の間に多くの言葉が隠されている?)
興味が湧いたので関沢新一さんの他の歌詞を調べてみました。
私が好きだった歌がありました。
「高原の御嬢さん」(歌:舟木一夫)
この歌の詞にも首を傾げたくなるところがありました。
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
高原に風はわたり 白樺はゆれていた
夏がゆけば 恋も終ると
あの人はいつも言ってた
リーフ・リーフ ~
君にぼくの 恋を語ろう
つぶらなる瞳よ つぶらなる瞳よ
高原の夏はすぎて 別れゆく夜はきた
一人よせる 夢ははてなく
残り火は 赤く燃えてた
リーフ・リーフ ~
ぼくの恋は 消えてしまった
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
東京の空のどこか あの人は住んでいる
せめて いちど 逢ってききたい
夏の日の 恋は嘘かと
リーフ・リーフ ~
東京の 秋は淋しい
私のツッコミ
・ "夏がゆけば恋も終るとあの人はいつも言ってた"
↑はじめから期間を区切ったものを「恋」といえるのでしょうか?
・ 既に "ぼくの恋は消えてしまった" といってるのに、
"たまらなく逢いたい" なんて
↑まだ僕の恋する気持ちは消えてないでしょう?
(高原で別れるときにときにどんな話をしていたの?
その内容によってはストーカー行為になりますよ)
・ "夏の日の恋は嘘か" なんて、
お遊びでなければ「嘘」に決まっているでしょう?
などと大変失礼なことを書きましたが、
私は、この詞の "ぼく" の気持ちが痛いほどわかる
昭和の人間です。
前置(と前置きでの脱線)が長々となりました。
※屁理屈を捏ねたり粗探しをしたりするという、
自分でも嫌いな悪い癖が出てしまいました。スミマセン
タイトルの「勝つと思え 思えば勝ちよ」
久しぶりで打った最近の碁の勝敗は5勝1敗の好成績でした。
この結果は公民館囲碁サークルでの先生の言葉が効いたものと思われます。
先月、指導碁を受けているときに先生が私に言われました。
『あなたは1級ではなく、2~3段の力を持っている』
『あなたの打ち方にはプレッシャーを感じる』
私はその言葉を真に受けるほどウブではありません。
先生が伝えたかったことは
「上位者にも臆せず自信を持って打ちなさい」
「たまーには直感で良い手を打つこともある」ということだと解釈しました。
数を打っているわけではありませんが、
(囲碁サークルで春以来打ったのは10局程度です)
月2回開催される囲碁サークルでの1回1時間の先生の解説は
頭の中にスーっと入ってきて大変為になっていると思います。
根拠はありませんが、
自分でも前より少し強くなったのではないかと感じていました。
そして先日打った相手が法事に参加するため東京から来ていた義兄でした。
昔は私のほうが白を持って勝っていたのですが
ここ数年は(といっても年に数局打つか打たないか程度)
白を持つ義兄に勝つことができませんでした。
葛飾の囲碁仲間に揉まれて上達した義兄には、
打ちはじめる前から勝てる気がしなかったものです。
今回、先生の言葉もあって少し自信を持っていた私は
「今の私ならたぶん勝てるだろう」と思いながら黒石を持ちました。
結果は2連勝となり、私が白石を持つことになりました。
白では1勝1負となりましたが、内容的には満足できるものでした。
義兄との対局で益々自信をつけた私は、先週の囲碁サークルで
上位の方に黒番で圧勝(?)することができました。
たまたま私の調子が良かったのかもしれませんが、
少なくとも私の場合は「勝つと思え 思えば勝ちよ」のようです。