日本近代文学の森へ (18) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(1)発展』その7
2018.6.6
義雄の下宿屋に紀州から引っ越してきた清水鳥という若い女は、義雄の継母を「おばさん」と呼んでいるから姪のようだ。田舎にいてもしょうがないから、東京へ出て稼ごうというつもりだったらしいが、先立つものもないからおばさんの下宿屋に転がりこんだわけだ。
当時は、女一人が東京へ出てきたって、会社勤めできるわけではなく、妾になるか、下女になるかぐらいしかなかったようで、継母が何とかしてやってくれとせっつくので、義雄は、小石川に住んでいる友人の小説家「田島秋夢」のところに下女(女中)として住まわせようかと考える。
この「田島秋夢」という小説家のモデルは、「秋夢」というところから、「徳田秋声」なんじゃないかと思われる。秋声は泡鳴より2歳年上だし、小石川に住んでいたこともあるから、案外この推測はいい線いっているかもしれない。(注)
けれども、義雄は、清水鳥を初めて見たときから心を惹かれていて、自分のものにしたいと思っている。で、秋夢のところへやるのが惜しくなってくるのである。
この辺の心の動きを、泡鳴は、実にあけすけに書いている。継母が義雄の部屋に「お鳥」を連れてきたところから引いてみる。
「入らツしやいましたよ。」繼母はお鳥の先きへ立つてやつて來て、持つて來た蓙《ござ》の座蒲團を床の間の前に置き、「さあ、あなたもぢかによくお頼みなさいよ」と、お鳥を置いて去つてしまつた。
「さあ、お這入んなさい。」義雄はどきつく胸をこと更らに押し鎭めて、麻の座蒲團に坐わつたまま、机を脊にしてかしこまつた。
お鳥も亦取り澄ました物々しい態度でまだ一言も云はず、下向き勝ちに、義雄の方へ明いた障子の敷居を越えたが、しやがんでその障子を人に見られまいと云ふ風で締めた。それから、目をじろりと擧げてこちらを見ると同時に、ちやんと坐つてお辭儀をした。
「まア、もツとお進みなさい。」義雄は座蒲團を取つて洋書棚近くへあげると、
「はア──」お鳥はおとなしくその方へ少し膝をにじり寄せた。
「どうです、まだいい口は見附かりませんか?」
「はア、まだ──どこぞよろしいところを、どうぞ──」
「いいところツて、僕の心當りと云ふのは、こないだもちよツとお話した下女の口ですがね。」
「そこでもよろしう御座ります。」
「いいですか」と渠(かれ)が念を押すと、女はまたたやすくいいと答へたので、これは物になるわいと思つた。獨り者のところへ若い女──それを平氣で承知するやうなら、渠自身にも占領することが出來ないものでもなからうと。
たとへ田舍じみてゐても、たとへ拙い顏でも、このふツくりと肥えた色の白い女をむざ/\と友人の秋夢に渡してしまうのが急に惜しくなつた。
「どうです、東京の方が紀州などよりやアいいでしよう」などと云ふ問題外の話しを暫らくやつてゐると、いつのまにか渠は自分のからだを書棚の方へ横たへてゐた。
女は右の手を疊に突いて、少しにじり出した膝の當たりの褄を左りの手の指さきでむしり取るやうな眞似──これは此の間もしほらしいと見たことで、かの女の癖だと義雄は思つた──をして、多少締まりがないと思はれる笑ひ方をしてゐた。
「それで然し本統にいいですか?」義雄はまた本問題に歸つて、今度は疊の上から目をまぶしさうに女の方に向けた。
「へい、かうなつては、もう、氣儘も云ふてをられません。」
「獨り者だから」と、云ひにくいのを、さりげなく見せながら、「口説くかも知れませんよ。」
「そんなことは構ひません。」女はまた眞面目な顏になつたが、決心の色は顏に顯はれた。
「實は、僕も」と、義雄は、もう大丈夫だと勘定したが、口をよどませながら一層低い聲になり、「今、誰れかひとり世話して呉れるものを探してゐるのです。──僕はあの妻子は大嫌ひで、──この家にゐてもゐないでもおんなじことなのだから、──どこか別に家を持たうと思つてるのです。」
「はア」と、お鳥はなほ眞面目だが、どちらでもいいと云ふ心は、相變らず褄をむしつてゐる樣子に見えた。
「いツそのこと、どうです」と、義雄は女の顏を矢張りさりげなく見つめながら、然し口はよどみながら、「僕の──方へ──來て──下さつたら?」
「それでも結構です。」女も外に氣を置きながら、目を横に左りの締つた障子を見て低い聲だ。
「もう占めた」と、義雄は自分に云つてから、「矢ツ張り、口説くかも知れませんよ。」
「‥‥」女は無言で、また左りの障子の方を氣にした。
「ぢやア、ね、かうしましよう──」義雄が別なことを云ひかけた時、千代子の草履の音がばたばたとして來て、
「あなた、諭鶴《ゆづる》が行けませんから、叱つて下さい」とおめきながら、障子をばたりと明けた。お鳥のゐるのを見て俄かに荒々しい調子をやはらげて、「清水さんがゐたんですか?」
「おりやア子供のことなど知つたものか? やかましいからあツちイ行け──」義雄は横になつて左りの肱を突いてゐるまま、顏をあげただけだ。
「ぢやア、行きますとも──」千代子はかう云つてお鳥が疊から手を放して眞ツ直ぐにかしこまつたのをじろりと一瞥し、ぴたりと障子を烈しく締めると、障子はその勢ひで一二寸あともどりした。
「靜かに締めろ!」義雄は起きあがつて、そのあとを締め直し、また元の通り横になつて、「あれだから、駄目なのです。」
「ふむ」と、お鳥もかしこまつたまま鼻であざ笑つた。
「然し、僕のおツ母さんにでもしやべつたら行けませんよ。」
「こんなことが云へますものですか?」
「ぢやア、ね、かうしましよう──僕は直ぐ晝飯を濟ませて、新橋ステーションの二等待合室に行つてるから、あなたも成るべく早く入らツしやい。鎌倉へでも行つて、ゆツくりあとの相談は致しましよう。」
「では、さう致します。」
「間違つちやア困りますよ。」義雄は微笑して見せた。
「大丈夫です。」お鳥も笑ひを漏らしながら骨格のいい胸を延ばして、わざとらしい延びをしたが、義雄の燃えるやうに向けた目を見て、横を向いてそれを避けた。
清水鳥は、ここにも描かれているとおり、美人ではないし、都会的な教養もない。ただ義雄は、「ふツくりと肥えた色の白い女」であることに魅力を感じているのだ。少なくとも、『耽溺』の「おカラス芸者」たる吉弥よりは、魅力的な女性と義雄(泡鳴)にはうつっているのだ。年は21、2歳だから、もちろんその若さにも惹かれているわけだが。
友人の「秋夢」は独身だから、下女になったとしても、口説かれるかもしれないよ、という義雄に、お鳥は、「かまいません」と決意をこめて答える。そんなことを気にしていたらこの都会で生きていけないという思いだろう。
その決意を聞いて、義雄は、それならオレのものにしようと決心する。そして、義雄の提案に、お鳥も難なく同意するのだ。ある意味、一分の隙もない展開である。普通なら、これだけの「展開」は、ああだこうだと際限もない葛藤が伴うものだ。それがまったくないのだから、驚いてしまう。
小道具としての「障子」が、生きている。「千代子はかう云つてお鳥が疊から手を放して眞ツ直ぐにかしこまつたのをじろりと一瞥し、ぴたりと障子を烈しく締めると、障子はその勢ひで一二寸あともどりした。」なんてところは、障子じゃなくちゃこうはいかない。障子の面目躍如である。「あともどりする」障子に、千代子の抑えきれない怒りがみえる。その障子を締め直しながら「あれだから、駄目なのです。」という義雄に、「かしこまつたまま鼻であざ笑う」お鳥のしたたかさ。
この小説もしたたかである。
(注)この推測は間違いでした。「田島秋夢」のモデルは、「正宗白鳥」です。(2018.6.29記)