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一日一書 1440 蛙始鳴(七十二候)

2018-05-07 20:12:19 | 一日一書

蛙始鳴(かわずはじめてなく)

 

七十二候

 

5/5〜5/9頃

 

ハガキ

 

 

そういえば、5月5日は、立夏だったのですね。

立春などに比べて立夏は地味。

大型連休のニュースにかき消されるのでしょうか。

 

今年は、立夏を過ぎたら

妙に涼しいですね。

 

 


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近代日本文学の森へ (9) 岩野泡鳴『耽溺』その3

2018-05-07 13:53:31 | 日本近代文学の森へ

近代日本文学の森へ (9) 岩野泡鳴『耽溺』その3

「日本の文学 8」中央公論社

2018.5.7


 

 『耽溺』の粗筋だが、「脚本を書くために国府津に行」った義雄が、「地元の不見転芸者吉弥にほれこみ」ってあるが、これだけ読むと、「吉弥」なる芸者は、そうとうな美人だと思ってしまうだろうが、それがかなり違うのだ。むしろ、最初見たときは、嫌な感じがしたのだ。それなのに、どうして「ほれこみ」ということになってしまうのか、その辺の推移が、おもしろいといえばおもしろい。

 そもそもどうして出会ったかというと、義雄が借りた家(一部屋を借りたのだが)の隣に料理屋があり、吉弥はそこのおかかえ芸者だったのだ。義雄が自分の部屋から最初に吉弥を見た場面。

いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つのだらしない寝巻き姿が、楊枝をくわえて、井戸端からこちらを見て笑っている。
「正ちゃん、いいものをあげようか?」
「ああ」と立ちあがって、両手を出した。
「ほうるよ」と、しなやかにだが、勢いよくからだが曲がるかと思うと、黒いものが飛んで来て、正ちゃんの手をはずれて、ぼくの肩に当った。
「おほ、ほ、ほ! 御免下さい」と、向うは笑いくずれたが、すぐ白いつばを吐いて、顔を洗い出した。飛んで来たのはぼくのがま口だ。
「これはわたしのだ。さッき井戸端へ水を飲みに行った時、落したんだろう」
「あの狐に取られなんで、まア、よかった」
「可哀そうに、そんなことを言って──何という名か、ね?」
「吉弥(きちや)と言います」
「帰ったら、礼を言っといておくれ」と、僕は僕の読みかけているメレジコウスキの小説を開らいた。
正ちゃんは、裏から来たので、裏から帰って行ったが、それと一緒に何か話しをしながら、家にはいって行く吉弥の素顔をちょっとのぞいて見て、あまり色が黒いので、僕はいや気がした。

 色が黒いから「おからす芸者」と言われる吉弥は、しかし、その夜、義雄の前に現れたときは、「尋常な芸者に出来あがって」いた。まあ、朝は、スッピンでしかも寝間着姿で歯磨き中、夜はちゃんと化粧をしてきたわけだから、この差は当然だが、いざ、三味線を弾かせてみても、「ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり」で、面白くもなんともない。生まれは浅草、年は二十五だというが、「うそだ、少なくとも二十七だろう」と義雄は見立てる。妹は大宮で芸者をしていたが、「引かされる」はずで、どうやら妾になるらしい。

 翌朝、義雄はこんなふうに考える。

翌朝、食事をすましてから、僕は机に向ってゆうべのことを考えた。吉弥が電燈の球に「やまと」(紙巻たばこの名前)のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がさしたが、しかし自分の自由になるものは、──犬猫を飼ってもそうだろうが──それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津にいる間は可愛がってやろう、東京につれて帰れば面白かろうなどと、それからそれへ空想をめぐらしていた。

 この「翌朝、食事をすましてから」の前は、前の晩の描写で、「『じャあ、おれの奥さんにしてやろうか?』と、からだを引ッ張ると、『はい、よろしく』と、笑いながら寄って来た。」とあるだけだが、当然、吉弥はその夜、体を許したわけである。

 だから、その夜、吉弥のことを、「もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がさした」のだ。吉弥が、芸を売るきちんとした芸者ではなくて、「不見転芸者」そのものだったことが分かる。

 しかし、自分の自由になる者はどんなブスでも可愛いなんて、しかも、それを犬猫と同列にするなんて、実にヒドイ言い草で、これじゃ読者にそっぽを向かれるに決まっている。けれども、泡鳴は、そんなことを一切気にしていない。書きたいように書く。やりたいようにやる。読者の共感なんか知ったことかといわんばかりだ。

 「東京につれて帰れば面白かろう」なんて平然と考えるのだが、自分が今戯曲を書いているので、いずれそれが上演されるときに、手元に女優がいると都合がいいなんてことを義雄は考えるのだ。これも変な話だが、泡鳴自身、なにかというと、気に入った女を女優に仕立てたがったらしい。それで、義雄は、吉弥を女優にしようと本気で思って入れ込むのだが、なにしろ「不見転芸者」なんだから、以前からの馴染みがいる。その男たちと吉弥を取り合うことになる。

 それにしても、最初見たときは、いやな感じがして、その後も、がっかりすることが多かったのに、どうして、こんなにまで吉弥に惚れ込んでしまったのかは、いくら読んでも納得がいかない。でも、吉弥に男がいるとなると、義雄はカッとなって我を忘れるのだ。それが人間というものなのだろうか。

 結局、義雄は吉弥を「身請け」するはめになる。けれども、安月給の義雄にはその金がない。どうするのかと思っていると、東京に帰って、女房の着物を片っ端から質にいれて金を作るのだ。

 「東京につれて帰れば面白かろう」と義雄は思うが、女房からしたら、とんでもないことで、もう、義雄のやっていることは、まるで常軌を逸している。その上、ほんとうに吉弥が上京してくると、吉弥は、梅毒性の眼病が悪化して、見るかげもない。その吉弥を、義雄は冷酷に捨てる。
末尾のちょっと前の部分。

「冷淡! 残酷!」こういう無言の声があたまに聴えたが、僕はひそかにこれを弁解した。もし不愉快でも妻子のにおいがなお僕の胸底にしみ込んでいるなら、厭な菊子(吉弥の本名)のにおいもまた永久に僕の心を離れまい。この後とても、幾多の女に接し、幾たびかそれから来たる苦しい味をあじわうだろうが、僕は、そのために窮屈な、型にはまった墓を掘ることが出来ない。冷淡だか、残酷だか知れないが、衰弱した神経には過敏な注射が必要だ。僕の追窮するのは即座に効験ある注射液だ。酒のごとく、アブサントのごとく、そのにおいの強い間が最もききめがある。そして、それが自然に圧迫して来るのが僕らの恋だ、あこがれだと。

 言っていることがどうもよく分からないのだが、要するに、冷酷だろうが、残酷だろうが、強い刺激こそが必要だ。その強い刺激こそが恋だということだろうか。しかし、こんな「弁解」が、誰の共感を呼ぶだろう。

 どこまでいっても、男のエゴしかみえてこないこの小説が、自然主義の作品の中でも特異な地位をしめるものとして、一部の評者からは注目されたのは、やはり、普通は書かないことを臆面もなく書いたという一種の「勇気」(あるいは蛮勇)故であったのだろうか。

 この小説を、かの正宗白鳥はどう評しているか、興味深いところである。

(つづく)

 

 

 


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