牡丹華(ぼたんはなさく)
七十二候
4/30〜5/4頃
ハガキ
日本近代文学の森へ (7) 岩野泡鳴『耽溺』その1
「日本の文学 8」中央公論社
2018.5.3
そもそも、多くの現代人にとって、岩野泡鳴って言われても、それ誰? ってなものである。それなのに、どうしてぼくがその名前を知っていたかというと、それは、ぼくが大学の国文科に行ったからではなくて、高校時代の国語の時間、文学史でやったからだ(と思う)。その時、確かに「岩野泡鳴」という名前を、聞いた、あるいは見た。
今では、国語の時間に、近代文学史などはほとんどやる余裕はないが、昔は、先生が自作のプリントをわざわざ作ってたりして、丁寧にやったものである。もちろん、いちいちその作品を読むなんてことではなくて、浪漫主義の作家には誰それがいて、自然主義の作家には誰それがいて、といった丸暗記に近いものではあったが、それでも、名前に触れるということは、実は大きいのだ。「ちょっとでも知っている」のと、「まるで知らない」のでは天と地の差がある。
もっとも、岩野泡鳴を「まるで知らない」からといって、何か損するということはほとんどないが──むしろ得するといったほうがいいかもしれないぐらいなものだが──、ぼくが「まるで知らない」状態だったら、こんな年になって読むということも起こらなかっただろう。「ちょっと知っていた」ので、じゃあ、この際、読んでみるかということになって、とんでもない目にあっているわけである。
それでは、岩野泡鳴という名前は、今の高校生の目にまったく触れないかというと、それがそうでもなくて、例えば、高校生向けの文学史の補助教材『注解日本文学史』(中央図書)には次のような記載がある。
また、数奇な生涯をおくった岩野泡鳴は、いかなる醜悪をも平然として写し出す作家で、「耽溺」およびそれに続く「泡鳴五部作」によって、自然主義文壇でも異色ある存在となった。
わずか3行だが、きちんと書かれている。だから、「こんどの期末試験は、『自然主義』のところを出すから、勉強しておけ。」と教師が言った場合、きちんと勉強した生徒は、そこで泡鳴を「知る」ことになるはずである。
しかし、それはたぶん、ごく稀にしか起こらないことだろう。かくして、岩野泡鳴の名は、世に知られるほとんど最後のチャンスを失うわけだ。
これが漱石だったらどうだろう。今の世の中で、漱石を「まるで知らない」若者がどれくらいいるか知らないが、たぶん、8割以上は「名前くらい聞いたことはある」はずだ。その中で、多少とも授業に参加した者なら、「読んだこともある」はずだ。それは、今の高校の教科書のほとんどに、漱石の『こころ』が載っているからである。もちろん一部抜粋だが、たいていはこれを高2でやることになっている。もちろん、教師によってはすっ飛ばしてしまうこともあるから、高校時代に『こころ』の一部を読まなかった、という者もかなりいるだろう。それでも、名前はどこかで耳に入り、耳に残る。
つまり、「教科書に載る」ということが、その作家の知名度に実に大きな影響を与えるわけだ。森鷗外にしても、芥川龍之介にしても、志賀直哉にしても、中島敦にしても、もし、教科書に載らなかったら、どれほどの知名度を確保できたろう。
しかし、まあ、教科書ということになると、岩野泡鳴は、どんなに頑張ったところで、採録される気遣いはない。こんなに、「不道徳」で「暗く」て「絶望的」で「文章が下手」な作家の作品は、まかり間違っても教科書には載らない。
それにしても、泡鳴の代表作は何なのかということになると、先ほどの『注解日本文学史』にもあったように、『耽溺』ということになる。これについては、正宗白鳥がこんなことを言っている。
「耽溺」といふ長編は、小説家としての彼れの出世作で、いろいろな点で、彼れの小説の見本と云ってもいい。「坊っちゃん」が漱石全集に於て占めてゐる地位に似ている。しかし、文壇の一部の人々に認められただけで、世間一般の読者に受入れられたのではなかった。「耽溺」も、「坊っちゃん」も、作家が一生の半ばを過ぎて、浮世の経験も豊富になってゐる四十歳近い頃の作品であるが、この二つは作品の面目は著るしく異ってゐる。当時漱石は官立大学の教師であり、泡鳴は月給二十五円ぐらいの大倉商業学校の教師であったことが、作品に対する世俗の信用を異にした所以(ゆえん)で、さながら、書画骨董の売立に於て大々名の所蔵であるか、一平民の所蔵であるかが、買ひ手の心持に影響するのと同様であるが、作風も、泡鳴のは、漱石のやうに通俗向きではなかった。卑近な正義観を含んでゐなかった。……それに、漱石は、はじめから才気煥発と評価していいやうな目覚ましい筆使ひを見せたが、泡鳴の「耽溺」はまだ稚拙であった。
正宗白鳥は、なんか地味で、くえないジジイという印象があるけれど、その書くところは誠に面白く、興味が尽きない。この泡鳴と漱石の比較も、実に分かりやすい。一見泡鳴を漱石の下に見ているようでいて、そうではない。むしろ『坊っちゃん』を「通俗的」とし、そこにある思想を「卑近な正義観」として、批判している。しかも、二人の経済的社会的地位の格差が、その作品の評価に大きく影響していると皮肉ってもいる。漱石は、月給や(40歳ごろの漱石は、第一高等学校と東京帝国大学の両方に勤めていて、月給はおよそ125円ほどだったらしいから、泡鳴の五倍だ。)、社会的地位に恵まれ、筆も立ったから世間に受けたけど、泡鳴は、貧乏教師で、世俗の道徳観念を持たず、文章も下手っぴいだったから受けなかったのだ、というわけだ。泡鳴の肩を持っているのは明らかだ。ちなみに、正宗白鳥は、自然主義の作家として分類されている。
言ってみれば、『坊っちゃん』は、みんなが好きな「水戸黄門」のようなもので、『耽溺』は、出来損ないの「ロマンポルノ」のようなもの、といっては乱暴だが、まあ、そんな位置づけなのかもしれない。
(つづく)