萩原朔太郎
五月の貴公子
半紙変型
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五月の貴公子
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつき(「すてつき」に傍点)の銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどつて居る、
ああすっぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
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二回目の「若くさ」を「若草」と書き間違えたけど、
まあ、いいや。
8月に5月の詩というのも何ですが
妙に忙しくて、ええい、もう! って思うとき
「ああいつさいの憂愁をなげだして わたしは柔和の羊になりたい」って
フレーズがつい出てくるのです。
それだけ、この詩に惚れ込んでいるのかもしれません。
というか、朔太郎に。
「柔和な羊」ではなくて
「柔和の羊」ってところがミソ。
そして、この詩を読むたびに
「あやめおしろい」って何? っていつも思うのです。
昔、「あやめおしろい」というエッセイを書いたことがあります。
この詩についてです。