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100のエッセイ・第10期・97 分からなくなっていってしまう楽しさもある

2016-09-15 16:44:40 | 100のエッセイ・第10期

97 分からなくなっていってしまう楽しさもある

小津の映画について楽しそうに語る保坂和志さん


2016.9.15


 

 「鎌倉朝日」というミニコミ誌がある。ぼくは鎌倉市民ではないから見かけないのだが、朝日新聞についてくる小新聞のようで、その創刊450号記念として、「鎌倉を舞台とした映画」の上映会が2回にわたって行われた。1回目が是枝裕和監督をゲストに招いて『海街diary』、2回目が保坂和志さんをゲストに招いての小津安二郎監督『麦秋』と、森田芳光監督『それから』を上映した。ぼくは、いろいろなシガラミから上映会のスタッフとなって参加した。

 2回目の上映会で、保坂和志さんが小津映画について語ったのだが、話があっちへ飛びこっちへ飛びの、ノンシャランな味のある話はとてもおもしろかった。保坂さんは、数ある小津の映画の中で、『東京物語』『秋刀魚の味』『麦秋』『晩春』『秋日和』の5本が「ぼくのなかでは一緒になってる」と言い、その中で名作としてしっかり作られているのが『晩春』と『東京物語』、それと違ってもっと気楽に見られるのが『秋日和』と『秋刀魚の味』、そしてその中間にあって、そんなに名作っぽく作られているわけでも、そんなに気楽に作られているのでもないのが『麦秋』だと指摘した。

 これら5本のうちで、『東京物語』以外は、みんな娘が嫁に行くとか行かないとかいう話で、配役もおもしろくて、『晩春』では、笠智衆が父で原節子が娘だが、『麦秋』では笠智衆が兄で原節子が妹、『東京物語』では『麦秋』でバアサンをやっていた東山千栄子と笠智衆が夫婦になってる。そんなわけで、一本一本見るというよりこの5本を繰り返し見るのがおもしろいんじゃないか、そして、更に、こういうのを繰り返し見た人たちが集まって、あれ、『麦秋』の笠智衆って原節子の何だっけ? なんて言いながらおしゃべりするのがおもしろいと思うって言っていた。

 なるほどなあと思った。小津映画のファンなら、笠智衆や原節子がどの映画で何の役をやっていたかなんてことは、間違いなくスラスラと言えるぐらいのことは当然なのかもしれないが、間違いなく知っているからといって、別段偉くもなんともない。いや、「エライ!」って言って褒めてくれる人はいるかもしれないが、だからといって、それで格別にシアワセになれるわけでもない。いやむしろ「エライ!」って褒めた人も腹の中では「なんだこいつ。知識をひけらかしやがって。」って腹立ててるかもしれない。

 ものごとがゴチャゴチャに混線して、よく分かんなくなってしまい、ああだ、こうだ、そうじゃない、ちがう、なんてことになるから、話は続くし、その中で「正確な知識の絶対的な価値」を信じてやまない人間でもいないかぎり、会話は楽しいものになり、その結果、ぼくらはシアワセになれる。

 そういえば、その昔、小説家の辻邦生が映画についてのエッセイの中でスピルバーグの『激突』に触れて、あの映画は素晴らしいと褒めた後で、なにしろ海沿いの一本道を走っていて逃げ場がないのだから怖い、って書いているのを見て、心底呆れたことがある。『激突』には一秒だって海なんて出てこないからだ。エッセイを読んだ時は、ただただ呆れ、この人ちっとも映画をちゃんと見てないじゃないかと腹を立て、それ以来、辻邦生をあんまり信用しなくなってしまったのだけれど、あれが、一杯飲みながらの会話だったら、大いに盛り上がっただろうと思う。

 オマエ何言ってんだ、『激突』のどこに海が出てくるんだ、砂漠じゃないか! って言うと、辻が、え? そうだっけ? ってびっくりして、ああ、そうだ、海辺の一本道が出てくるのはヒッチコックの『鳥』のラストシーンだった、なんて弁解し、そういえば『鳥』と『激突』とどっちが怖いと思う? なんて話が発展していったかもしれないではないか。

 年をとると、固有名詞がちっとも出てこなくて、何を話していても、固有名詞で話がストップしてしまい、話が断片化してしまうのだが、それもちっとも困ったことじゃなくて、混線してしまった知識が別の話題への導入となったりして、話題が固定化するのを防いでくれることとなり、結果として、会話がいつまでも続き、シアワセになれる。

 映画について語るにしても、別に映画評論で食っているわけじゃない限り、どんなに勘違いしたって、どんなに的外れな感想を述べたって、ぜんぜん問題にならない。せっかく楽しい映画について語るなら、どんどん混線して分からなくなっていってしまって、えもいわれぬシアワセな時間をこそ味わうべきなのであろう。





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一日一書 988 二十四の瞳

2016-09-15 14:53:32 | 一日一書

 

二十四の瞳・木下惠介監督

 

半紙

 

 

黒沢明の影に隠れて

木下惠介はそれほど高く評価されてこなかったが

実はすごい監督なのだということを

1999年の「映像学会夏期ゼミナール」で知った。

3日間で9本の木下映画を見て、ほんとうに驚いた。

特にこの「二十四の瞳」は、センチメンタルな映画だと思い込んでいたのに

実に胸にせまる名作だった。

 

 

 

 


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