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日本近代文学の森へ 258 志賀直哉『暗夜行路』 145 客観的描写  「後篇第四 五」 その2

2024-04-01 17:01:21 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 258 志賀直哉『暗夜行路』 145 客観的描写  「後篇第四 五」 その2

2024.4.1


 

 直子が眼を覚ました時は、もう家の中は暗かった。直子は湯殿へ行こうとし、途中、唐紙の隙間から座敷を覗くと、三人はまだ一つの座蒲団を囲み、同じ遊びを続けていた。皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。三人はちょっとした事にもよく笑い、普段それほどでもない久世までがたわいなく滑稽な事を饒舌(しゃべ)っていた。
 直子は身仕舞いを済まし、仙と一緒に夜食の支度をした。
 三人は食事の間も落ちつかず、人生五十年だけやって、レコードを作ろうなどいっていた。
 そして、また直ぐ始め、直子も一緒になったが、前日から一睡もしない三人はおりている間にも、ちょっと横になると直ぐぐっすりと眠りに落ちて行った。要は肩や首の烈しい凝りで、甚く苦しがっていた。
 十時頃になり、遂にやめた。三人は一緒に湯に入り、騒いでいたが、間もなく、久世と水谷は帰って行った。
 要は座蒲団を折って、それを枕に長々と仰向けに寝ていた。直子は幾度か床に入るよう勧めたが、「今、行きます」といい、なかなか起上がらなかった。仕方なく、直子は丹前をかけてやり、側で雑誌を読んでいると、暫くして要は不意に起き、
 「おやすみ」といい捨て、二階へ上がって行った。
 直子は睡くないので、そのまま其所で雑誌を読み続けていた。そして、どれだけか経った時、直子はふと、二階で要が何かいっているのに気づき、立って階子段の下まで行き、其所から声をかけてみたが、要の返事が、寝ぼけ声でよく聴取れなかった。直子は段を登って行った。

 

 この章「第四 五」は、客観的な描写となっているのだが、細かく見ていくと、ところどころに「謙作の目」が入っているのが分かる。

 たとえば、「皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。」あたりには、謙作の彼らに対する嫌悪感のようなものが感じられる。謙作は水谷を嫌悪しているので、それが現れるわけである。

 「薄ぎたない」という表現は、決して客観的ではない。しかし、客観的な描写とは、いったい誰の目から見た描写なのだろうか。一般的にいえば、「全体を見渡すことのできる語り手」ということになるだろうが、その語り手に「純粋性」を求めるのは難しい。えてして、それは「作者」とイコールになってしまう。この小説の場合は、作者と謙作が近い位置にいるので、この謙作の水谷に対する嫌悪感が紛れ込むことになるわけである。

 

 

 「肩が凝って眠れない。按摩(あんま)を呼んでもらえないかな」
 「さあ、ちょっと遠いのよ。それも早ければかまわないが、もう十二時過ぎよ」
 要は不服らしく返事をしなかった。
 「仙も今、丁度寝たとこだし、今から起こしてやるのも可哀そうね」
 「そんなら要らない」
 「よっぽど凝ってるの?」
 「キリキリ痛むんだ。頭がまるで変になっちゃって、眠れないんだ」
 「私が少し揉んで上げましょうか」
 「いいえ、沢山」
 「割りに上手なのよ」
 直子は部屋へ入って行った。そして要の首から肩の辺(あたり)を揉み始めたが、到底女の力では受けつけそうもなかった。
 「少しは利きそう?」
 「うむ」
 「利かないでしょう?」
 「うむ」
 「何方(どっち)なのよ。いやな要さんね」直子は笑い出した。「こうして揉んでる間に、早くお眠りなさい。あしたお起きになる頃、按摩を呼んどいて上げるから」
 直子は暫く、そうして揉んでやった。要は少しも口をきかなかった。直子はもう眠ったかしらとも思い、しかし止めて、もしおきていられたら気まりが悪いとも考えた。
 要が不意に寝がえりをした。直子は驚き、手を離したが、要はその手を握り、片手を首に巻いて直子の身体(からだ)を引き寄せた。要は眼を閉じたままそれをした。直子は吃驚(びっくり)したが、小声に力を入れて、
 「何をするのよ」といった。
 「悪い事はしない。決して悪い事はしない」こんな事をいいながら、要は力で無理に直子を横たえてしまった。
 直子は驚きから、ちょっと喪心しかけた。そして叱るように、「要さん。要さん」と抵抗し、起き上ろうとしたが、要は自身の身体全体で直子を動かさなかった。そして、
 「悪い事はしない。決してしない。頭が変で、どうにもならないんだ」これを繰返した。
 こういう争いを二人は暫く続けていたが、しまいに直子は自分の身体から全く力が脱け去った事を感じた。それから理性さえ。
 直子は静かに二階を降りて来た。仙に覚られる事が恐しかった。そして、床に就いたが、何時までも眠られなかった。
 翌朝、直子が眼を覚ました時には、要は出発し、もう家にはいなかった。

 

 「第四 五」はこれで終わる。

 前述したとおり、この「第四 五」は、終始、第三人称の語りで進められる。他のほとんどの部分が、謙作に寄り添った形での語り、主語は「謙作」だが、ほとんど「私」と同じで、あくまで謙作の視点から描かれているのに対して、この部分は、特別である。下手をすると、ここだけ浮いてしまう恐れがあるのである。この点については、安岡章太郎が、その「志賀直哉私論」で書いている。

 安岡は、例の「亀と鼈」の遊戯の部分を引用したあと、こんなふうに続けている。

 

 こういう不得要領で、ただ何となく猥褻な遊戯は、前篇で謙作の夢の中に出てくる”播摩”と同様、志賀氏自身の創作(?)であるようだ。播摩は極度に危険な秘技で、それをやると死ぬことがわかっているのに、情欲に生活の荒んだ阪口はついにそれをやって死んだという、ただそれだけで終っている謙作の夢は、要を得ないことが淫らであり、不可解であることが猥褻なナゾを残すのであるが、播摩といい、この「亀と鼈」といい、志賀氏が何となく空想してこしらえたというこれらの話は、単純で奇妙に肉感そのものの味があり、たしかに独創的であるだけに、志賀氏の生来の素質に何か特異なデモーニッシュなものがあることを窺わせることだ。そして、こういう端的に肉感的な夢や遊戯が作中人物の感覚を通じて増幅され、むしろ情欲の直接的な描写以上に情欲描写の効果を発揮するのは、志賀氏の天性の小説家であることを示す特異な技巧の一つであろう……。何はともあれ、ここではこの「亀と鼈」の遊戯自体に志賀氏の体臭ともいうべき個性の感じられることを注目すべきで、このことが直子と要の過失が少年少女の無意識な性本能の延長であることを説明すると同時に、謙作の主観の世界の外側で起ったこの事件を、うまく謙作の世界へ文体的に誘導してくる役割を果しており、そのためにこの章だけが「暗夜行路」の全体から、不自然に浮き上ったものになることを免れているのである。 
 このように小説の形式や技法の上では、謙作の外部で起った事態は、謙作の主観で動かされるこの小説の中に客観的な事実としてウマく定着させており、そこには何等の難点もない。

 

 なるほどと深く納得させられる。客観的な描写にみえて、「薄ぎたない」という表現に、謙作(あるいは志賀)の主観が紛れこむように、事件の客観的な記述は、いつの間にか、謙作の内部の問題に深くつながっていき、事件は、謙作の内部の問題となっていくのだ。

 重大な「事件」なのだから、もっと細かく描いてもよさそうなのに、書かない。要が、直子を抱き寄せた後の描写も、「要は眼を閉じたままそれをした。」と、実にあいまいで、そっけない。「それ」って何だ? って思うくらいで、もちろん、「それ」は、その直前の「直子の身体を引き寄せた。」を指すと読めないこともないが、おそれくは、「引き寄せた」あと、「眼を閉じたまま」した「キス」のことだと思われる。もちろん、志賀は、そんな直接的なことは書かないわけだ。

 その後の展開における描写も極めてあっさりしたもので、直子が「理性を失った」以後のことはまったく描かれず、いきなり階段を降りてくる直子の描写になる。

 ここは、まるで、歌舞伎の舞台だ。歌舞伎では、いわゆる「濡れ場」が演じられることはなく、部屋に入ってしまったあと、そこから髪がやや乱れた女が呆けたように出てくる。そこに、「濡れ場」の客観的な描写はないが、それ以上のエロスを感じさせるという仕組みである。

 描かないことによって、想像させるということだけではなくて、事件の背後にある「経緯」を描くことで、その事件が内包する「デモーニッシュなもの」を浮き彫りにする。それが「亀と鼈」の遊戯のことから書き始めた理由だ。

 直子に落ち度というほどの落ち度はない。要の要求を断固としてはね返せなかったことが「落ち度」といえばいえる。しかし、積極的な「不倫」というほどのものはないといっていいだろう。いや、悪いのは要で、直子はちっとも悪くない。直子は抵抗したがしきれなかっただけで、それは仕方のないことだったのだ、と直子を全面的に擁護することだってできる。しかし、問題は、直子が最後まで抵抗できなかった、という事実にではなく、そこに至った経緯が問題となった。それを問題だと意識したのは謙作なのだ。

 安岡はさらに続けて、「『亀と鼈』で直子の告白した過失が具体性をおび、過失自体を一つの実感のあるものにした。」と書いている。つまり、唐突に告白された「直子の過失」は、謙作にとっては、「実感」のないものだった。それが、「亀と鼈」の話で、性的衝動についての謙作自身の過去と結びついたことで、直子の過失は、「謙作の外側」の事件ではなく、謙作自身の内部の事件となったというのだ。

 もし、「直子の過失」が、あくまで「謙作の外側」の事件にとどまったのなら、謙作は、直子を捨てるにしろ、許すにしろ、それに苦しめられることはなかっただろう。「謙作の外側」で起きたかに見える事件が、実は謙作の内部に深く関わる事件だったことが、この事件を複雑にし、謙作が直子を許すことができない原因となる。自分ほど許せないものはないからである。

 

 


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日本近代文学の森へ 257 志賀直哉『暗夜行路』 144  直子の「不安」 「後篇第四 五」 その1

2024-03-17 13:45:05 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 257 志賀直哉『暗夜行路』 144  直子の「不安」 「後篇第四 五」 その1

2024.3.17


 

 「第四─四」の章は、突然泣き出した直子を見て、「とにかく自分たちの上に恐しい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。」という文で終わり、「五」章へと入る。

 「四」では、ずっと謙作の視点から描かれていたのだが、「五」へ入ると、突然、視点は謙作を離れ、いわゆる第三人称の記述となる。そして、直子と謙作の間に何があったのかを、客観的に語ることとなる。

 この経緯は、直子から直接聞いたことが主となっているのだろうが、一種の錯乱状態にあった直子が、こんなに整然とことの経緯を語ることはできるはずはない。もし、直接に会話として語らせたら、意味不明のところや、感情の発作やらを書き込まないわけにはいかず、非常にややこしいことになるだろう。これがドラマや映画だったら、そのややこしいところをどう描くかが、脚本家や演出家や役者の腕のみせどころとなる。

 しかし、小説は、そこをすっと避けて、「客観的叙述」をすることができる。ある意味、これが小説の最大の強みと言えるのかもしれない。

 作者は、この小説ならではの強みを生かし、ここでいったん第三者の視点をとることで、直子のしてしまったことを、その遠い原因まで遡って描くことにしたわけだ。


 直子と要(かなめ)との関係は最初から全く無邪気なものとはいえなかった。それはそれほど深入りした関係ではなく、単に子供の好奇心と衝動からした或る卑猥(ひわい)な遊戯だが、それを二人は忘れなかった。色々な記憶の中で、それだけがむしろ甘い感じで直子には憶い出されるのだ。


 直子の「あやまち」の遠因が、直子と要の子ども時代にあることが語られる。

 子どもの頃の記憶というのは、不思議なもので、ほとんどがぼんやりしている中で、ある一点だけが、まるでスポットを浴びたように鮮明に残っているものだ。その子ども時代の不思議にも鮮明な記憶のありかたを、ここでは実にうまく使っている。

 と同時に、この小説の当初に描かれた、謙作と母親とのある思い出のことも、読者は思い出すだろう。

 謙作が尾道で一人暮らしを始めたころ、自伝的な小説を書こうとして、幼児期を思い出すところがある。様々な断片的な思い出の中に、こんな思い出が語られる。


 まだ若荷谷にいた頃に、母と一緒に寝ていて、母のよく寝入ったのを幸い、床の中に深くもぐって行ったという記憶があった。間もなく彼は眠っていると思った母から烈しく手をつねられた。そして、邪慳(じゃけん)に枕まで引き上げられた。しかし母はそれなり全く眠った人のように眼も開かず、口もきかなかった。彼は自分のした事を恥じ、自分のした事の意味が大人と変らずに解った。この憶い出は、彼に不思議な気をさした。恥ずべき記憶でもあったが、不思議な気のする記憶だった。何が彼にそういう事をさせたか、好奇心か、衝動か、好奇心なら何故それほどに恥じたか、衝動とすれば誰にも既にその頃からそれが現われるものか、彼には見当がつかなかった。恥じた所に何かしらそうばかりいいきれない所もあったが、三つか四つの子供に対し、それを道徳的に批判する気はしなかった。前の人のそういう惰性、そんな気も彼はした。こんな事でも因果が子に報いる、と思うと、彼はちょっと悲惨な気がした。  「暗夜行路 前編 第二─三」

 


 ここは、母との思い出なのだが、ここで語られるのは、明らかに自分の中の「性的衝動」だ。子どものそうした衝動に「道徳的に批判する気はしなかった」と言うが、謙作の中には、深い「傷」として残っていたに違いない。自分の中にある闇、それが「因果が子に報いる」という形で継承されていることに謙作は「悲惨」を感じていたのだ。

 直子においては、それが「傷」として、あるいは「悲惨」として残ったわけではないが、「不安」として残っていて、それが要との再会において、意識されていたのだ。

 では、その直子の「不安」はどういう経緯で生まれたのか見ていこう。

 

 春、まだ地面に雪の残っている頃だった。小学校から一度帰った要は父の使(つかい)で直子の母を呼びに来た。直子は近所の年下の女の児(こ)を対手(あいて)に日あたりの縁で飯事(ままごと)をしていた。それが面白く、「お前も要さんとこへ行かんか」と母に誘われたが、断って、遊びに余念なかった。
 少時(しばらく)すると、もう帰ったと思った要が庭口から入って来て、二人の仲間に入り、金盥(かなだらい)に雪を積んで来ては飯にして遊んだ。
 縁が解けた雪で水だらけになり、皆の手はすっかりかじかんでしまった。三人はその遊びをやめ、部屋に入り、矩撻にあたった。
 要は近所の児を邪魔者にし、「あんた、もうお帰り」こんな事を切(しき)りにいい出した。しかし女の児は帰らなかった。
 すると、要は「亀と鼈(すっぽん)」という遊びをしようといい、直子に赤間関(あかまがせき)の円硯(まるすずり)を出して来さし、その遊びを二人に教えた。それは硯を庭に隠しておき、子供になった女の児が硯を探して来る。そして障子の外から「お母さん亀を捕りました」という。直子のお母さんが「それは亀ではありません」と答える。その時、要が大きな声で、「鼈」と怒鳴るという遊びだ。二人には何の事かさっぱり解らなかったが、それをする事にした。
 女の児が要の隠した硯を探している間、二人は炬燵(こたつ)に寝ころんでいた。そして漸(ようや)く見つけ出し、それを持って来た時、要はいきなり、「鼈」と怒嶋って飛起き、一人ではしゃぎ、跳り上ったり、でんぐりがえしをしたりした。
 この遊びは下男から教えられた。そして、その卑猥な意味は要だけにはいくらか分っていたが、直子には何の事か全く分らなかった。ただ、炬燵で抱合っている間に直子はかつて経験しなかった不思議な気持から、頭のぼんやりして来るのを感じた。三人は幾度かこの遊びを繰返した。暫(しばら)くして、直子の兄が学校から帰って来て、二人は驚き、飛起きたが、直子は兄の顔をまともに見られぬような、わけの解らぬ恥かしさを覚えた。
 要と直子との間では二度とこういう事はなかった、しかしこの事は不思議に色々な記憶の中で、はっきりと直子の頭に残った。

 

 「赤間関」というのは、「日本の硯を代表する一つに挙げらる硯。山口県の特産品。」(詳しくはこちらを見てください。ぼくは知りませんでした。)

 ここで要が言い出した「亀と鼈」という遊びがどういうものだったかの概要は分かるが、それがどういう「卑猥」な意味を持っていたのかは、ぼくにもよく分からない。「亀」も「鼈」も、どこか卑猥なイメージがあることは分かるが、遊びのどこが卑猥なのかはイマイチ、ピンとこない。

 とはいえ、この遊びの「肝」は、いわゆる「お医者さんごっこ」といった露骨なものではなくて、「二人で隠れる」という部分にあるのだろう。「かくれんぼ」は、大抵ひとりで隠れるけれど、これが二人で隠れるとなったら、どういうことになるか分からない。まして、日頃好きな子と二人で隠れるとなれば。

 ぼくには幼稚園での思い出がたったひとつある。それは、鬼ごっこで、逃げているとき、女の子の鬼につかまりたい、と思った、というそれだけのことだ。なぜか、切なくそう思った、ような気がする。

 炬燵というのも、また隠微なもので、小学低学年のころ、近くの女の子に家に遊びにいったことがあるのだが、冬で炬燵があった。それも大きな掘炬燵だった。そこに座ってお菓子かなんかを食べていたのだが、なにかの拍子にお菓子が炬燵の中に落ちた。それをとろうと、ぼくは炬燵の中に潜り込んだ。中は意外にひろくて、座れるほどだった。ただ、それだけのことで、そこに女の子の足が見えたとか、それを触ったとかいうことでは全然なくて、まったくただそれだけのことだったのだが、なぜか、今でもその炬燵のなかの空間というか空気というか、そんなものが記憶にくっきりと刻まれている。

 たったそれだけのことが、記憶に残っているくらいだから、直子の記憶は鮮明だったことだろう。遊びの意味は分からなくても、「炬燵で抱合っている間に直子はかつて経験しなかった不思議な気持から、頭のぼんやりして来るのを感じた。」というのは、なかなか強烈だ。意味が分からなくても、「わけの解らぬ恥かしさ」は、直子の「性的体験」としての生々しさを語っている。


それ故、直子は謙作の留守に要が不意に訪ねて来た時、かすかな不安を感じたが、感じる自身が不純なのだとも考え、殊更(ことさら)、従兄妹(いとこ)らしい明かるい気持で対するよう努めた。翌日、水谷や久世が来て、花を始めた時にも、こういう第三者がいてくれる事はかえっていいと思い、人妻として不都合だというような事は少しも考えず、自分も仲間になって夜明かしをしたが、夜が明け、陽の光になお、遊び続けていると、さすがに体力で堪えられなくなり、食事の事など総て仙に頼んで、自分だけ裏の四畳半に引き下がり、ぐっすりと寝込んでしまったのである。

 

 直子の感じた「かすかな不安」も、「不安」を感じること自体が「不純」ではないかとも考え、そのうえ、第三者がいるということで、かき消され、直子は、疲れで寝込んでしまったのだというのだ。

 この「かすかな不安」は、ひょっとして昔のあのときの要は、自分と同じような気分を感じ、あるいは、そういう気分を感じるためにあんな遊びを提案したのではないか──とすれば、今でもあのときのような気持ちをまだ自分に対して持ち続けているのではないかという要に対する「不安」であると同時に、自分はあのときのような気分をまだ忘れていないのだとすれば、要がなにかしてきたときに、抵抗できないのではないかという、自分自身に対する「不安」でもあっただろう。

 そしてその直子の不安は、現実のものとなってしまったのだった。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ 256 志賀直哉『暗夜行路』 143  妄想から現実へ 「後篇第四 四」 

2024-03-07 10:59:56 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 256 志賀直哉『暗夜行路』 143  妄想から現実へ 「後篇第四 四」 

2024.3.7


 

 とうとう謙作「詰問」が始まった。 直子は黙っているばかりだ。しゃべっているのは謙作だけで、ここで直子は「そんなこと……」以外の一言も発していないことに注意したい。


 ふと、或る不愉快な想像が浮んだが、謙作は無意識にそれを再び押し沈めようとした。しかし息が弾み、心にもなく亢奮して来るのを彼は出来るだけ抑えて、静かに続けた。
 「黙っていずに、何でもいえばいいじゃあないか。お前は俺が何か非難していると、そう思うのか?」
 「そんなこと……」
 「正直にいえば非難じゃないが、俺は非常に不愉快なんだ。停車場で見た瞬間から気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない。抽象的な気持ばかりをいうのは、分らなくて気の毒とも思うが、何か変だよ。──お前は要さんや水谷の事を何時(いつ)までも拘泥(こだわ)っていると思うかも知れないが、別の事だ、全然別かどうか分らないが、何か気持が抱合わない感じなんだ。其処(そこ)に不純なものが感じられるのだ。一体どうしたんだ。今までこんな事ないじゃないか」
 「…………」
 「二階に聴こえるのはいやだ。此方(こっち)へ来ないか」
 謙作は身をずらして、寝床に空地(あきち)を作ってやった。直子は元気なく起きかえって、来て、其処へ坐った。憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。其処には先刻(さっき)甚(ひど)く喜んだ壺や函がある。
 「坐ってないで横におなり」
 直子は動こうともしなかった。


 謙作の頭にふと浮かんだ「不愉快な想像」とはなんだったのか、書かれないだけに、読者の想像もふくらむ。

 謙作は、停車場で直子たちを見た瞬間感じた「チグハグ」な気持ちを、何とか言葉にしようとするが、どうもうまく言葉にならない。「気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない」とか、「何か気持が抱合わない感じ」などと言うのだが、謙作自身が言うとおり、それは「抽象的な気持ち」だ。

 これは、なかなか難しいところだ。「チグハグ」ということは、謙作の心の中で、何かと何かがしっくりこないということだ。それは、謙作の(あえていえば)「理想」と、謙作の感じている「現実」とが、かみ合わない、あるいは「抱き合わない」ということだ。

 本当なら(理想をいえば)、直子は一刻も早く自分に会いたいという気持ちから、せめて三ノ宮ぐらいまで迎えに出ていてもいいはずなのに、京都で待っていた。本当なら、久しぶりの再会を「二人だけで」喜びあいたいと思って、一人でくるのが当たり前なのに、水谷と一緒に来た。なにかおかしい。しっくりこない。そういうことだろう。

 直子は黙っている。「憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。」「憂鬱」「無表情」が、「醜い顔」を作る。そして「ぼんやり外らした眼」の先にあるのが「壺」や「函」だ。その「壺」や「函」を、「先刻甚く喜んだ壺や函」と表現する。ここがうまい。こう書くことで、直子が家に帰ってきてからの数時間が、鋭くよみがえり、今の重苦しい空気の中に溶解する。ああ、あの時から、直子は、不自然にはしゃいでいたのだ、だから、余計オレはしっくりこなかったのだ、とでもいうように。


 二人は暫く黙っていた。謙作の頭の中は熱を持ったようになり、疲れたまま冴えていた。静かな晩だ。寝静まった感じで四辺(あたり)は森々としていた。そしてただこの座敷だけが熱病にうかされ、其処には「凶」という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。


 得体の知れない空気がこの部屋に充満する。謙作と直子の苦しみは、二人の心の中に存在するばかりで、目には見えないものなのに、志賀直哉は、それを敢えて言葉にしようとする。それが、「其処には『凶』という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。」というところだ。

 実にユニークな表現だ。本当は、何も見えない。けれども、「眼に見えぬ小さなもの」が見えるような気がする。それが「凶」だ。「わざわい」「不吉」といった意味を持つ「凶」だが、そういう観念的なものではなくて、「凶」というまがまがしい文字が、小さなホコリのように部屋の中を「無数に跳躍している」とも読める。「凶」という文字の、とげとげしく、ほこりっぽい感じも、面白い。

 

 「とにかく、もう少し物をいっちゃあ、どうだい。こうこじれて来てはこのままで眠るわけには行かないし。──それともお前は何にもいわないと決心でもしてるのか?」
「…………」
「はっきりいって、事に依ったら怒るかも知れないが、それでもいいじゃあないか。怒る事なら怒れば直るかも知れないし、ともかくはっきりさして、その上で解決をつければいい。どうなんだい」
 「…………」
 「こうやっていればお互に段々息苦しくなるばかりだぜ」  直子はやはり返事をしなかった。
 「──俺は何のために、こんなにお前を責めているか自分でも分らない。何をいわそうとしてるか少しも分らないんだ。だから、お前も何にもないんなら、ないと、それだけ、はっきりいっていいんだ。──それだけの事ならはっきりいえるだろう? どうだい。ないのか?──ええ? 何(なん)にもないのか?」


 謙作は、まがまがしい事態を予想しながらも、それでも、事がはっきりすれば、怒るなりなんなり対処の仕方があるし、そうすれば事は解決するんだ、と思っている。あるいは、思おうとしている。

 けれども、謙作の詰問は、「何にもない」のか、どうかだけに絞られていく。つまりは、直子の「不貞行為」があったのか、なかったのか、その一点に絞られていくのを謙作はどうしようもないのだ。つまりは、謙作は、「何かあった」と確信しているのだ。それでも、直子がそれを「なかった」と否定してくれることを期待していたのかもしれない。

 

 直子は急に眼を堅く閉じ、首を曲げ、息をつめて顔中を皺(しわ)にした。そしてそれを両手で被(おお)うと、いきなり突伏(つっぷ)し、声をあげて烈しく泣き出した。謙作は不意に自分の顔の冷めたくなるのを感じた。彼は起き上り、何か恐しいものに直面したよう、波打つ直子の背中を見下ろしていたが、少時(しばらく)すると彼は自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。彼は直子のこの様子を、どう判断していいかと先ず思った。次に彼はとにかく自分たちの上に恐しい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。


 その期待は無残にも裏切られた。そればかりか、謙作の予想を遙かに超える「恐ろしい事」として「降りかかって来た」のだ。

 ここで、直子が、何をどのような言葉で説明したのかは書かれていない。章を改めて、事の経緯が明かされるという構成になっているのだが、言葉ではなくて、直子の「行動」で「すべて」が分かる。今までの流れの中で、この直子の取り乱した様子は、「すべて」を語っているのだ。

 謙作は、直子の姿を見て、「自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。」という。それは、謙作が京都駅についたときからの妄想が次第に膨らみ、まるで夢を見ているかのような気分でいたということだ。しかし、「現実」に直面すると、かえって「正気づく」。こういうことは確かにある人間心理の真実だ。

 


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日本近代文学の森へ 255 志賀直哉『暗夜行路』 142  回りくどい詰問 「後篇第四 三」 その3

2024-02-18 20:41:32 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 255 志賀直哉『暗夜行路』 142  回りくどい詰問 「後篇第四 三」 その3

2024.2.18


 

 骨董の焼き物の価値を直子がちっとも理解していないのを、からかった謙作だが、そういう会話のなかで、直子が「日頃の直子らしくなった」と思って、ちょっとホッとしたようだ。

 次の問題は、お栄の処遇だ。謙作にしてみれば、「いわくつき」のお栄だ。つまり、母親代わりだったとはいえ、一度は結婚したいと思った女なのだ。その女と、一緒に住むのが謙作にとってはいちばんいいことに思えたのだったが、果たして直子はどうでるか。ドキドキものだったことだろう。しかし、あっけなく、話がついた。

 

 謙作は直子が湯上りの化粧を済まして来るのを待ち、お栄のこれからについて相談した。直子はこの家(うち)に一緒に住みたいといった。謙作はそれがどれだけ考があっての返事か余り信用しなかったが、変な事をいわれるよりは遥かに気持がいいと思った。
 「お前がそういうのは、それは大変いい」
 「いいも悪いも、それが当り前じゃあありませんか」
 「子供から世話になった人で、実際はそうだが、お前とはまるで異う境遇で来た人だからね。そんな点でもし合わないようでは面白くない。世話するとして、必ずしも一緒に住まねばならぬという事はないのだから、近所に小さい家(うち)を借りてもいいと思ったんだ」
 「かえって困るわ。そんな事」
 「お前が差支(さしつか)えなければ、それでいいんだ。もし望まないようならそうしてもいいと考えたまでなんだ」
 「私嬉しいわ。何でもこれからは御相談出来て」
 謙作は両方ともそう癖のある性質ではなく、案外折合いがいいかも知れぬと考えた。実際お栄は過去は過去として新しい境遇にも順応する方だった。

 

 そうか、それならよかった。案外うまく行くのかもしれないと謙作は考える。

 しかし、直子の様子が、やっぱり気になる。焼き物をお風呂で洗うなんて言って、やけにはしゃいでいるのが、「いつもの直子」とは違う、どこか不自然じゃないか、そう思うのだ。直子との「距離」は、依然として遠いままだ。


 謙作は自分の留守中の事を直子が少しもいい出さないのを少し変に思った。自分のちょっとした不機嫌がそれほど直子にこたえたのかしら。しかし、直子がその事を悔い、触れたがらないのはいいとして、此方(こっち)も一緒に全く触れないようにしていると、かえってそれがその事に拘泥(こだわ)っている事にもなりそうなので、簡単に話せたら話してしまいたいと思った。そして今後はそういう事にはもう少し気を附けるよういいたかった。しかし、彼はなかなか気軽にそれがいい出せなかった。折角(せっかく)互に機嫌よく、お栄の話も気持よくいっている時、それを切り出すのは努力が要った。自然、両方が沈黙勝ちになった。


 この辺の心理の機微は、とてもよく分かる。言い出しかねるし、また、できれば「簡単に話してしまって」オシマイにしたい。せっかく、いい感じで話ができているのに、その感じをぶち壊したくない。で、結局、黙ってしまう。よくあることだよね。

 「簡単に話す」というのは、「自分のいない間に、いくら親戚でも、いくら友人でも、家に泊めるなんてダメだよ。これからはやめてくれよ。」と言えればそれでよかったのだ。しかし、どうしても、それが言えない。なにか得体の知れないわだかまりがあるのだ。謙作は、遠回りするしかない。


 「要(かなめ)さんはいつ卒業するんだ」彼はこんな事からいい出した。
 「今年卒業したとか、するとかいってましたわ。八幡は見学もですけど、多分其所(そこ)ヘ出るようになるんでしょう」
 「帰りにはまた寄るのか」
 「どうですか。何しろ来たと思ったら、直ぐ出かけて、翌日はまた久世さんや水谷さんとお花でしょう。話しする暇なんかなかった。夜明しでやって、そのまままた晩の九時か十時まで、三十何年かしたんですもの。人生五十年やるなんて、とてもかなわないから、私、途中で御免蒙(こうむ)ったわ」

 「それで要さんは翌日たって行ったのか?」
 「朝、私がまだ寝ているうちに黙ってたって行ってしまったの。本統にひどいのよ。何のために来たか分りゃしない」  「それは花をしに来たんだ。水谷が手紙ででも誘ったんだろう」
 「そうよ」
 「予定の如くやったんだ。しかし留守なら少しは遠慮するがいいんだ。水谷の下宿でだって出来る事なんだ」謙作はいつか、非難の調子になっていた。
 「…………」
 「末松はそういう点、神経質だ。水谷はその点で俺はいやだよ」
 「それは要さんもいけないのよ」
 謙作はふと「お前が一番いけないんだ」といいそうにしたが、黙ってしまった。

 


 ずいぶんと「搦め手」から攻めだしたものだ。ボクシングでいえば、軽いジャブのようなものか。しかし、実はそここそが、正面だった。
直子が「何のために来たか分りゃしない」というと、謙作は、「それは花をしに来たんだ。」と言う。バカバカしい返答だ。でも、こういうところ、とぼけた味があって、ちょっと面白い。

 「人生五十年」というのは、花札の遊び方なのだろうが、調べたが分からなかった。なかなか勝負がつかないやつなんだろう。

 たたみかけるような謙作の質問は、やがて「非難の調子」になっていく。そのプロセスが克明に描かれていて読み応えがある。謙作の非難は、本当は直子に向けられるべきものなのだが、真相を知らない謙作は、直子の言動に、ああでもないこうでもないと憶測を重ねるしかない。しかし、直子になにか普通じゃないものを敏感に感じている謙作は、単刀直入に切り込めない。だから、直子の周辺に当たり散らすことになる。けれども、つい「お前が一番いけないんだ」という一言が口元まで出かかる。けれど、それを思いとどまる。謙作自身、自分がいったい何に腹を立てているのか、よく分かっていないのだ。

 

 「もうこれから断るわ。実際失礼だわ。御主人の留守に来て、いくら親類だって、あんまり失礼ね」
 「それは断っていいよ。要さんは会わないから、どういう人か知らないけど、従兄としてお前が親しければなお、はっきり断って差支えない」
 「…………」

 「とにかく、水谷は不愉快だよ。何だって、今日も出迎えなんかに来ていたんだ。それもまるで書生かなぞのようにいやに忠実に働いたりして。ああいうおっちょこちょいでもやはり気がとがめているもんで、あんなにしないではいられなかったのだ」
 「…………」
 「水谷は末松も誘ったに違いないのだが、十日ばかり旅をした者を、わざわざ出迎えるほどの事はないから末松は出て来なかったんだ。その方がよッぽど気持がいい」いい出すと謙作は止まらなくなった。

 「…………」
 「一つは末松は俺が水谷を厭やがっている事を知ってるからなお出て来なかったのかも知れない」
 「…………」
 「水谷にはこれから来る事を断ってやろう」
 「…………」

 


 要には、今度は断ろうかしらという直子に、謙作は、即座に「それは断っていいよ。」と断言する。待ってましたとばかりだ。本当は「断れよ!」と言いたいところだろう。しかし、親しい親戚なら、どうして「はっきり断って差支えない」のか。親戚ならかえって断りにくいのではないだろうか。普通なら、親戚なら断れなくてもしょうがないけど、水谷だの末松だのといった友人なら、それこそ「はっきり断って差支えない」のではなかろうか。

 親戚というものは、親しいからこそ、率直に断れるのかもしれないが、それにしても、謙作の言い分は、分かりにくい。だから直子も黙ってしまう。

 謙作は「要さんには会わないから、どういう人か知らない」といっているが、水谷たちが謙作の家に来たとき、要のことが話題になり、そのとき直子が「赤い顔」をしたことを見逃していない。何かを感じたのだ。謙作は、ほんとうは、要のことが気になっているはずなのだが、なかなかそこに踏み込めない。

 言い出すと止まらなくなった謙作の矛先は、ひたすら水谷に向かう。水谷にしてみれば、謙作を迎えに出て、一生懸命世話をやいたのに、ここまで言われる筋はないだろうということだが、謙作という男は、一端嫌いとなったら、トコトン嫌いなのだ。困った人だ、まったく。

 

 「悪い奴とはいわないが、ああいう小人タイプの卑しい感じはかなわない。あいつの顔を見ると反射的に此方(こっち)は不機嫌になってしまう。たまに、機嫌がよくて、一緒に笑談(じょうだん)なんかいってしまうと、あと、きっと、自己嫌悪に陥る。何方(どっち)にしても、ああいう人間とつき合うのは馬鹿気ている。末松は神経質な所がある癖にどうしてあんな奴とつき合っているのかな。あんな奴とつき合ってる奴の気が知れない」
 謙作は明らかに自分が間接に要の悪口をいっている事に気づいたが、なかなか止められなかった。
 「本統に悪かったわ。もうこれから気をつけるから赦(ゆる)して」
 「お前もいいとはいえないが、俺はお前を責めているわけじゃあない。他の奴が不愉快なんだ」
 「私が悪いのよ。私がしっかりしていないから、皆が私を馬鹿にしているんだわ」
 「そんな事はない」
 「私、もう要さんにもこれから来てくれるのよしてもらいます。それが一番いい」
 「そんな馬鹿な事があるかい。伯父さんとの関係でそんな事出来るかい」
 「伯父さんは伯父さん、要さんは要さんよ」

 


 しつこいよなあ、謙作も。水谷と付き合う末松までも、やり玉にあげるんだから。

 しかし、謙作は、ここまできて、ようやく「謙作は明らかに自分が間接に要の悪口をいっている事に気づいた」という。水谷と付き合う末松の「気が知れない」なら、彼らと付き合う要の「気も知れない」ことになるわけだからだ。

 じゃあ、ここまで延々と水谷の悪口を言ってきて、実はいちばん腹を立てているのが要だったのだということに、気づいていなかったというのだろうか。そうじゃないはずだ。どこかで気づいていたのだが、それを無意識にか、否定していたのだろう。

 直子が「私が悪い」と言えば、「そんな事はない」と即座に否定する。さっき、「断れ」と言わんばかりに「断っていいよ」と言ったのに、直子が「もう要さんにもこれから来てくれるのよしてもらいます」と言えば、「そんな馬鹿な事があるかい。」といって、「伯父さんとの関係」を持ち出す。もう、めちゃくちゃである。

 謙作は、そうした自分の感情を分析する。そして反省もするのだ。

 


 謙作はあの上品なN老人を想い、その愛している一人児(ひとりご)に対し、ちょっとした不謹慎、それも学生として、別に悪気もない事に、自分の我儘な感情から、こんなに思うのは済まないという気もした。N老人の自分に対する最初からの好意に対しても済まぬ事だと思った。彼はこうしたちょっとした感情から、段々誇張され、理不尽に、他人に不愉快を感ずる欠点を自分でもよく知っていた。彼はN老人に済まなく思うと同時に、自分の気持に対してもいくらか不安を感じた。実際考えようによれば何でもない事なのだ。それが、自分の感情で、一方へばかり誇張され、何か甚(ひど)く不愉快な事のよう思われ、殊(こと)に黙っている間はよかったが、一度いい出すと、加速度にそれが、変に堪えられない不快事になって来る。これは自分の悪い癖なのだ。気を滅入(めい)らしていた直子に今は不機嫌でない事を示し、直子も折角(せっかく)気持を直した所にまた、それをいい出さずにはいられない、実際自分はどうして、こう意地悪くなるのだろうと思った。彼はまた気持を直す、その道を探すのに迷ってしまった。

 


 ここは、実に正直で誠実な自省である。人間というものは、身についた「悪い癖」を、どうすることもできない。それは癖というよりも、生まれ持った感情のマグマのようなもので、簡単には制御できない。だれだって、それに一生悩まされているのだ。

 それにしても、「実際自分はどうして、こう意地悪くなるのだろうと思った。」という述懐は、痛切で、身にしみる。

 

 「しかしもういいよ。他人ならあっさり考えられる事に俺は時々変に執拗(しつこ)くなるんだ。一卜通拘泥(ひととおりこだわ)ると自然にまた直るんだが、中途半端に見逃せないのだ。今日プラットフォームに水谷の顔が見えた瞬間から不愉快になったんだ。つまり水谷の来るという事が壺を外れた事だ。何か不純なものをそれが暗示している気がしたんだ。そして結局それが当ったようなものだが、もうそれもいいよ。俺の気持が分り、これからそういう事に気をつけてくれるなら文句はない。お前も気にする必要はないよ」
 間もなく二人は床に入ったが、互に気持よくなったはずで、何だか、白々しい空気のため溶け合えなかった。当然謙作はそうして弱り切っている直子を自身の胸に抱きしめてやるべきだったが、それがわざとらしくて出来なかった。直子は泣きもしなかったが、掻巻(かいまき)の襟を眼まで引上げ、仰向けに凝っと動かずにいる。それは拗ねているのでない事は分っていながら、謙作はこの変な空気を払い退ける事が出来なかった。口では慰めたが、自身の肉体で近よって行く気にはなれなかった。
 こうして一夜を明かす事は堪えられないと彼は思った。何か自分の感情を爆発さす事の出来る事ならかえって直るのも早いのだがと思った。彼はかなり疲れていたが、そういう直子を残し、一人眠入るわけに行かなかった。眠れなかった。彼は手を出し、直子の手を探した。しかし直子はそれに応じなかった。彼はむっとして少し烈しい調子でいった。
 「お前は何か怒っているのか」
 「いいえ」
 「そんなら何故そんなに《しおれ》ているんだ」

    注:《  》は傍点部を示す

 

 プラットフォームで水谷の顔をみた瞬間「何か不純なものをそれが暗示している気がしたんだ。」という謙作の直感は、恐ろしいほど鋭い。「結局それが当ったようなものだ」と謙作は言うが、「それ」は、まだ三人が「泊まっていった」というだけのことに過ぎない。しかし、現実はそれだけではなかったのだ。謙作はまだ知らないけれど、その恐ろしい事実は、この二人の床のなかの見事な描写で、まるですかし絵のように現れてくる。

 ほんとうに何というすごい作家だろう。志賀直哉という人は。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 254 志賀直哉『暗夜行路』 141  直子との距離 「後篇第四 二」 その5

2024-02-04 11:18:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 254 志賀直哉『暗夜行路』 141  直子との距離 「後篇第四 三」 その2

2024.2.4


 

 謙作は、直子が神戸か三ノ宮に迎えに来ているだろうと期待していたのに、そこには現れず、結局迎えに来ていたのは京都駅だったことが不愉快だった。しかも、直子にくっついてきたのが、謙作が好きではない水谷だったから、なおさらだったのだ。しばらくぶりで夫に会えるのだから、一刻もはやく会いたいと思って、三ノ宮ぐらいまでは来ているに違いないと思った謙作は、拍子抜けしたのだ。なんだ、おれをそんなに待ちわびていたわけじゃなかったんだという気分が生じた。そこへもってきて、男と一緒に迎えにきていた。気に食わないのも当然なのかもしれない。謙作はいらだった。  


 謙作は苛々した。
 俥は烏丸通りを真直ぐ北へ走って行った。電車が幾台も追越して行った。謙作は一番後ろから大きな声で前に行くお栄に東本願寺を教えた。それを引きとって年をとったお栄の俥夫が何か説明していた。六角堂でも俥夫は馳けるのを止め、歩きながら、説明した。
 「夜とはいえ、電車通りをお練りで行くのは少し気が利かなかったな」彼は一つ前の直子にこんな事をいった。彼は自分は今はそれほど不機嫌でない事を示したかった。
 直子は何かいったが謙作には聴き取れなかった。彼は直子が何となく元気がないのが可哀そうになった。そして彼は、
 「水谷に荷を宰領さして皆で電車で行けばよかった」心にもないこんな事をいった。


 なにかとうるさく世話を焼く水谷が、謙作にはうっとおしかった。水谷にしてみれば、いろいろと謙作の役に立ちたいという好意からだったのだろうが、謙作は、直子だけと会いたかったのだ。それもわかる。

 人力車を連ねて走りながら、謙作は、それでも直子のことが気になる。直子が「何となく元気がない」ことを感じていたのだ。自分の不機嫌を直子は感じ取っているのだろうか。自分の一方的な期待が裏切られたからといって、直子がそれほど悪いわけじゃない。謙作がつとめて快活に声をかけても、聞き取れないほどの声で答える直子が可哀そうになる。

 みんなで電車にのって、楽しく家路についたほうがよかったよね、と、謙作は言うのだが、それは「心にもない」事だったというのだ。直子を可哀そうに思いつつ、実は、かれの不機嫌はむしろ増大していたのかもしれない。


 衣笠村の家へ帰ったのは十一時頃だった。眼刺しの仙が馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。謙作にはそれが直子の気持よりもずっと近く来たのが、変な気がした。直子は自分の留守にそういう連中と遊んでいた事を後悔し、それで心の自由を失っているのだ。しかしそれを今は何とも思っていない事を早く示してやらねば可哀想だと彼は思った。


 相変わらずの「眼刺しの仙」である。「馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。」なんて、実に生き生きといている。喜んで尻尾振って、迎えに出る仙の姿が目に浮かぶようだ。うまいものだ。

 その仙の姿を見て、謙作には「直子の気持よりもずっと近く来た」という。それを謙作は「変な気がした」というのだ。それは自分の仙への親しみが「変な気がした」のではなくて、それほど直子が「遠い」感じがしたというのが「変」だと思ったのだ。ただ、身の回りの世話をしているだけの仙が、妻となった直子より、身近に感じられる、親しく思われる、それが「変」なのだ。それもひとえに、自分のいない間に、男たちを家に泊めたということ、そして、その男たちの一人の水谷が一緒に迎えにきたということのせいなのだ。

 しかし、原因は、そのこと「だけ」ではないだろう。むしろ、謙作は、直子との心の距離を今改めて感じているのかもしれない。今回のことがなかったとしても、謙作と直子は、いまだに、心の距離があるのだ。

 家(うち)の中はよく片附き、風呂が沸いていた。「いいお住いね」お栄は座敷で茶を飲みおわると、立って、台所から茶の間と見て廻った。
 「お栄さんの寝る所は何所にした?」
 「分らないから、今晩だけとにかく二階の御書斎にとらしておきました」
 「うん」そして彼はお栄に、「今晩は疲れているから早く寝るとよござんすね。風呂ヘ入って直ぐお休みなさい」といった。
 「私は後で頂くから、謙さんお入んなさい」
 「瀬戸物の荷を解(ほ)どくから僕はゴミになるんです。今日だけ先に入って下さい」
 謙作は玄関の間で藁に巻いた壺や鉢をほどいて出した。


 仙の心遣いがよく分かる。お栄の寝る部屋についても謙作は仙に指示していない。仙は分からないなりに、気をきかす。謙作はそれに満足だ。

 謙作は、土産に李朝の古い焼き物を買ってきていて、「華革張の綺麗な函」も買ってきていた。この「華革張」というのは、見慣れない言葉だが、革張りということだろう。ちょっと調べてみたがあまりはっきりとしたことは分からない。ただ、革製品の制作技術は、西暦500年頃、韓国の革工人から日本に伝わったという記事を見かけたので、韓国の伝統的な工芸品なのだろう。

 「僕はゴミになる」という言い方は、今では聞かないが、昔はよく聞いたような気がして懐かしい。もちろん、「僕はゴミだらけになる」という意味で、大掃除のときに畳なんかをバタバタはたくと、「おお、ほこりになった」などと親が言ったような気がする。

 「高麗焼の方は少し怪しいのもあるようだ」
 直子は辰砂(しんしゃ)の入った小さい李朝の十角壺を取上げ、
 「これ、綺麗だこと……」といった。
 「お前には華革張(かかくばり)の綺麗な函を買って来た。しかしそれも欲しければやってもいい」
 「ええ、頂きたいわ」直子は両手で捧げ、電燈の下でそれに見入っていた。「何でしょう、べたべたするのね」

 「さあ、油でも塗ってあるかな」
 「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」
 「そうしよう」
 「この壺を洗ってやるの」
 「折角いい味になっているのを無闇に洗っていいかな」
 「いいのよ。これじゃあ、きたなくて仕方がない。シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ。もう頂いたんだから、いいでしょう? 私の物になったらもう骨董じゃあないのよ」
 謙作は日頃の直子らしくなったと思った。
 二人はそれらを座敷へ運び床の間に並べた。
 「私の壺が一等ね」
 「李朝の物ではそれはいいよ」
 「惜しくなっても、もうお返ししませんよ」
 謙作は異(ちが)う荷から華革張の函を出して来てやった。直子はそれも喜んだが、所々少し《はがれ》かけた所などを気にした。それを見て謙作はいった。
 「お前には今出来を買ってくればよかった。何でも見た眼が綺麗ならいいんだから」
 「そう軽蔑するものじゃあ、ないわ」

 「実際そうじゃあないか」
 「段々分って来てよ」


 「辰砂」は、「硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物」(Wikipedia)で、陶芸では「辰砂釉」として使われる。(ただし、水銀ではなくて、銅を含んだ釉薬らしい)。ともかく、きれいな赤い色をした壺である。

 直子はそれを綺麗だといいながら、ベトベトするから、お風呂で洗ってもいいかと聞く。そのところで、「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」/「そうしよう」/「この壺を洗ってやるの」という会話がある。この「一緒に」が「謙作と一緒に」なのか「壺と一緒に」なのか、ちょっと曖昧だ。

 謙作が「そうしよう」と答えているからには、「謙作と一緒に」なのだろうが、そうすると、お風呂で壺を洗うからという理由でどうして「謙作と一緒に」入らないといけないのだろうか。先に入って、自分ひとりで壺を洗えばいいじゃないか、と思うのだが。謙作の「そうしよう」は、「そうしたらいいだろう」ぐらいの意味だったと考えると自然なのだが。まあ、たいした問題ではないが。

 直子は骨董の焼き物をベトベトするから、「シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ」と言う。謙作は、直子のそういう所が、ものの価値が分からないと思うし、それを口にする。直子は反抗するが、それで喧嘩にはならない。謙作は、「謙作は日頃の直子らしくなったと思った。」というのだ。

 しかし、考えようによっては、せっかくの土産物が「ベトベトするから」、お風呂でメチャクチャ洗ってやるという直子は、ちょっとはしゃぎすぎの感があり、「日頃の直子らしくなったと思った」謙作が、それを感じていないはずもない。

 けれども、そのはしゃぎすぎの直子に、「日頃の直子」を無理してでも感じようとして、つとめて駅での再会以来のギクシャクした感じを払拭しようとした謙作だったが、彼のなかのわだかまりは意外に堅固で、まるで地下のマグマのように、地表に出てくる機会をうかがっていたのだ。

 


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