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日本近代文学の森へ 256 志賀直哉『暗夜行路』 143  妄想から現実へ 「後篇第四 四」 

2024-03-07 10:59:56 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 256 志賀直哉『暗夜行路』 143  妄想から現実へ 「後篇第四 四」 

2024.3.7


 

 とうとう謙作「詰問」が始まった。 直子は黙っているばかりだ。しゃべっているのは謙作だけで、ここで直子は「そんなこと……」以外の一言も発していないことに注意したい。


 ふと、或る不愉快な想像が浮んだが、謙作は無意識にそれを再び押し沈めようとした。しかし息が弾み、心にもなく亢奮して来るのを彼は出来るだけ抑えて、静かに続けた。
 「黙っていずに、何でもいえばいいじゃあないか。お前は俺が何か非難していると、そう思うのか?」
 「そんなこと……」
 「正直にいえば非難じゃないが、俺は非常に不愉快なんだ。停車場で見た瞬間から気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない。抽象的な気持ばかりをいうのは、分らなくて気の毒とも思うが、何か変だよ。──お前は要さんや水谷の事を何時(いつ)までも拘泥(こだわ)っていると思うかも知れないが、別の事だ、全然別かどうか分らないが、何か気持が抱合わない感じなんだ。其処(そこ)に不純なものが感じられるのだ。一体どうしたんだ。今までこんな事ないじゃないか」
 「…………」
 「二階に聴こえるのはいやだ。此方(こっち)へ来ないか」
 謙作は身をずらして、寝床に空地(あきち)を作ってやった。直子は元気なく起きかえって、来て、其処へ坐った。憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。其処には先刻(さっき)甚(ひど)く喜んだ壺や函がある。
 「坐ってないで横におなり」
 直子は動こうともしなかった。


 謙作の頭にふと浮かんだ「不愉快な想像」とはなんだったのか、書かれないだけに、読者の想像もふくらむ。

 謙作は、停車場で直子たちを見た瞬間感じた「チグハグ」な気持ちを、何とか言葉にしようとするが、どうもうまく言葉にならない。「気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない」とか、「何か気持が抱合わない感じ」などと言うのだが、謙作自身が言うとおり、それは「抽象的な気持ち」だ。

 これは、なかなか難しいところだ。「チグハグ」ということは、謙作の心の中で、何かと何かがしっくりこないということだ。それは、謙作の(あえていえば)「理想」と、謙作の感じている「現実」とが、かみ合わない、あるいは「抱き合わない」ということだ。

 本当なら(理想をいえば)、直子は一刻も早く自分に会いたいという気持ちから、せめて三ノ宮ぐらいまで迎えに出ていてもいいはずなのに、京都で待っていた。本当なら、久しぶりの再会を「二人だけで」喜びあいたいと思って、一人でくるのが当たり前なのに、水谷と一緒に来た。なにかおかしい。しっくりこない。そういうことだろう。

 直子は黙っている。「憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。」「憂鬱」「無表情」が、「醜い顔」を作る。そして「ぼんやり外らした眼」の先にあるのが「壺」や「函」だ。その「壺」や「函」を、「先刻甚く喜んだ壺や函」と表現する。ここがうまい。こう書くことで、直子が家に帰ってきてからの数時間が、鋭くよみがえり、今の重苦しい空気の中に溶解する。ああ、あの時から、直子は、不自然にはしゃいでいたのだ、だから、余計オレはしっくりこなかったのだ、とでもいうように。


 二人は暫く黙っていた。謙作の頭の中は熱を持ったようになり、疲れたまま冴えていた。静かな晩だ。寝静まった感じで四辺(あたり)は森々としていた。そしてただこの座敷だけが熱病にうかされ、其処には「凶」という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。


 得体の知れない空気がこの部屋に充満する。謙作と直子の苦しみは、二人の心の中に存在するばかりで、目には見えないものなのに、志賀直哉は、それを敢えて言葉にしようとする。それが、「其処には『凶』という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。」というところだ。

 実にユニークな表現だ。本当は、何も見えない。けれども、「眼に見えぬ小さなもの」が見えるような気がする。それが「凶」だ。「わざわい」「不吉」といった意味を持つ「凶」だが、そういう観念的なものではなくて、「凶」というまがまがしい文字が、小さなホコリのように部屋の中を「無数に跳躍している」とも読める。「凶」という文字の、とげとげしく、ほこりっぽい感じも、面白い。

 

 「とにかく、もう少し物をいっちゃあ、どうだい。こうこじれて来てはこのままで眠るわけには行かないし。──それともお前は何にもいわないと決心でもしてるのか?」
「…………」
「はっきりいって、事に依ったら怒るかも知れないが、それでもいいじゃあないか。怒る事なら怒れば直るかも知れないし、ともかくはっきりさして、その上で解決をつければいい。どうなんだい」
 「…………」
 「こうやっていればお互に段々息苦しくなるばかりだぜ」  直子はやはり返事をしなかった。
 「──俺は何のために、こんなにお前を責めているか自分でも分らない。何をいわそうとしてるか少しも分らないんだ。だから、お前も何にもないんなら、ないと、それだけ、はっきりいっていいんだ。──それだけの事ならはっきりいえるだろう? どうだい。ないのか?──ええ? 何(なん)にもないのか?」


 謙作は、まがまがしい事態を予想しながらも、それでも、事がはっきりすれば、怒るなりなんなり対処の仕方があるし、そうすれば事は解決するんだ、と思っている。あるいは、思おうとしている。

 けれども、謙作の詰問は、「何にもない」のか、どうかだけに絞られていく。つまりは、直子の「不貞行為」があったのか、なかったのか、その一点に絞られていくのを謙作はどうしようもないのだ。つまりは、謙作は、「何かあった」と確信しているのだ。それでも、直子がそれを「なかった」と否定してくれることを期待していたのかもしれない。

 

 直子は急に眼を堅く閉じ、首を曲げ、息をつめて顔中を皺(しわ)にした。そしてそれを両手で被(おお)うと、いきなり突伏(つっぷ)し、声をあげて烈しく泣き出した。謙作は不意に自分の顔の冷めたくなるのを感じた。彼は起き上り、何か恐しいものに直面したよう、波打つ直子の背中を見下ろしていたが、少時(しばらく)すると彼は自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。彼は直子のこの様子を、どう判断していいかと先ず思った。次に彼はとにかく自分たちの上に恐しい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。


 その期待は無残にも裏切られた。そればかりか、謙作の予想を遙かに超える「恐ろしい事」として「降りかかって来た」のだ。

 ここで、直子が、何をどのような言葉で説明したのかは書かれていない。章を改めて、事の経緯が明かされるという構成になっているのだが、言葉ではなくて、直子の「行動」で「すべて」が分かる。今までの流れの中で、この直子の取り乱した様子は、「すべて」を語っているのだ。

 謙作は、直子の姿を見て、「自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。」という。それは、謙作が京都駅についたときからの妄想が次第に膨らみ、まるで夢を見ているかのような気分でいたということだ。しかし、「現実」に直面すると、かえって「正気づく」。こういうことは確かにある人間心理の真実だ。

 

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