Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

日本近代文学の森へ 254 志賀直哉『暗夜行路』 141  直子との距離 「後篇第四 二」 その5

2024-02-04 11:18:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 254 志賀直哉『暗夜行路』 141  直子との距離 「後篇第四 三」 その2

2024.2.4


 

 謙作は、直子が神戸か三ノ宮に迎えに来ているだろうと期待していたのに、そこには現れず、結局迎えに来ていたのは京都駅だったことが不愉快だった。しかも、直子にくっついてきたのが、謙作が好きではない水谷だったから、なおさらだったのだ。しばらくぶりで夫に会えるのだから、一刻もはやく会いたいと思って、三ノ宮ぐらいまでは来ているに違いないと思った謙作は、拍子抜けしたのだ。なんだ、おれをそんなに待ちわびていたわけじゃなかったんだという気分が生じた。そこへもってきて、男と一緒に迎えにきていた。気に食わないのも当然なのかもしれない。謙作はいらだった。  


 謙作は苛々した。
 俥は烏丸通りを真直ぐ北へ走って行った。電車が幾台も追越して行った。謙作は一番後ろから大きな声で前に行くお栄に東本願寺を教えた。それを引きとって年をとったお栄の俥夫が何か説明していた。六角堂でも俥夫は馳けるのを止め、歩きながら、説明した。
 「夜とはいえ、電車通りをお練りで行くのは少し気が利かなかったな」彼は一つ前の直子にこんな事をいった。彼は自分は今はそれほど不機嫌でない事を示したかった。
 直子は何かいったが謙作には聴き取れなかった。彼は直子が何となく元気がないのが可哀そうになった。そして彼は、
 「水谷に荷を宰領さして皆で電車で行けばよかった」心にもないこんな事をいった。


 なにかとうるさく世話を焼く水谷が、謙作にはうっとおしかった。水谷にしてみれば、いろいろと謙作の役に立ちたいという好意からだったのだろうが、謙作は、直子だけと会いたかったのだ。それもわかる。

 人力車を連ねて走りながら、謙作は、それでも直子のことが気になる。直子が「何となく元気がない」ことを感じていたのだ。自分の不機嫌を直子は感じ取っているのだろうか。自分の一方的な期待が裏切られたからといって、直子がそれほど悪いわけじゃない。謙作がつとめて快活に声をかけても、聞き取れないほどの声で答える直子が可哀そうになる。

 みんなで電車にのって、楽しく家路についたほうがよかったよね、と、謙作は言うのだが、それは「心にもない」事だったというのだ。直子を可哀そうに思いつつ、実は、かれの不機嫌はむしろ増大していたのかもしれない。


 衣笠村の家へ帰ったのは十一時頃だった。眼刺しの仙が馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。謙作にはそれが直子の気持よりもずっと近く来たのが、変な気がした。直子は自分の留守にそういう連中と遊んでいた事を後悔し、それで心の自由を失っているのだ。しかしそれを今は何とも思っていない事を早く示してやらねば可哀想だと彼は思った。


 相変わらずの「眼刺しの仙」である。「馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。」なんて、実に生き生きといている。喜んで尻尾振って、迎えに出る仙の姿が目に浮かぶようだ。うまいものだ。

 その仙の姿を見て、謙作には「直子の気持よりもずっと近く来た」という。それを謙作は「変な気がした」というのだ。それは自分の仙への親しみが「変な気がした」のではなくて、それほど直子が「遠い」感じがしたというのが「変」だと思ったのだ。ただ、身の回りの世話をしているだけの仙が、妻となった直子より、身近に感じられる、親しく思われる、それが「変」なのだ。それもひとえに、自分のいない間に、男たちを家に泊めたということ、そして、その男たちの一人の水谷が一緒に迎えにきたということのせいなのだ。

 しかし、原因は、そのこと「だけ」ではないだろう。むしろ、謙作は、直子との心の距離を今改めて感じているのかもしれない。今回のことがなかったとしても、謙作と直子は、いまだに、心の距離があるのだ。

 家(うち)の中はよく片附き、風呂が沸いていた。「いいお住いね」お栄は座敷で茶を飲みおわると、立って、台所から茶の間と見て廻った。
 「お栄さんの寝る所は何所にした?」
 「分らないから、今晩だけとにかく二階の御書斎にとらしておきました」
 「うん」そして彼はお栄に、「今晩は疲れているから早く寝るとよござんすね。風呂ヘ入って直ぐお休みなさい」といった。
 「私は後で頂くから、謙さんお入んなさい」
 「瀬戸物の荷を解(ほ)どくから僕はゴミになるんです。今日だけ先に入って下さい」
 謙作は玄関の間で藁に巻いた壺や鉢をほどいて出した。


 仙の心遣いがよく分かる。お栄の寝る部屋についても謙作は仙に指示していない。仙は分からないなりに、気をきかす。謙作はそれに満足だ。

 謙作は、土産に李朝の古い焼き物を買ってきていて、「華革張の綺麗な函」も買ってきていた。この「華革張」というのは、見慣れない言葉だが、革張りということだろう。ちょっと調べてみたがあまりはっきりとしたことは分からない。ただ、革製品の制作技術は、西暦500年頃、韓国の革工人から日本に伝わったという記事を見かけたので、韓国の伝統的な工芸品なのだろう。

 「僕はゴミになる」という言い方は、今では聞かないが、昔はよく聞いたような気がして懐かしい。もちろん、「僕はゴミだらけになる」という意味で、大掃除のときに畳なんかをバタバタはたくと、「おお、ほこりになった」などと親が言ったような気がする。

 「高麗焼の方は少し怪しいのもあるようだ」
 直子は辰砂(しんしゃ)の入った小さい李朝の十角壺を取上げ、
 「これ、綺麗だこと……」といった。
 「お前には華革張(かかくばり)の綺麗な函を買って来た。しかしそれも欲しければやってもいい」
 「ええ、頂きたいわ」直子は両手で捧げ、電燈の下でそれに見入っていた。「何でしょう、べたべたするのね」

 「さあ、油でも塗ってあるかな」
 「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」
 「そうしよう」
 「この壺を洗ってやるの」
 「折角いい味になっているのを無闇に洗っていいかな」
 「いいのよ。これじゃあ、きたなくて仕方がない。シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ。もう頂いたんだから、いいでしょう? 私の物になったらもう骨董じゃあないのよ」
 謙作は日頃の直子らしくなったと思った。
 二人はそれらを座敷へ運び床の間に並べた。
 「私の壺が一等ね」
 「李朝の物ではそれはいいよ」
 「惜しくなっても、もうお返ししませんよ」
 謙作は異(ちが)う荷から華革張の函を出して来てやった。直子はそれも喜んだが、所々少し《はがれ》かけた所などを気にした。それを見て謙作はいった。
 「お前には今出来を買ってくればよかった。何でも見た眼が綺麗ならいいんだから」
 「そう軽蔑するものじゃあ、ないわ」

 「実際そうじゃあないか」
 「段々分って来てよ」


 「辰砂」は、「硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物」(Wikipedia)で、陶芸では「辰砂釉」として使われる。(ただし、水銀ではなくて、銅を含んだ釉薬らしい)。ともかく、きれいな赤い色をした壺である。

 直子はそれを綺麗だといいながら、ベトベトするから、お風呂で洗ってもいいかと聞く。そのところで、「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」/「そうしよう」/「この壺を洗ってやるの」という会話がある。この「一緒に」が「謙作と一緒に」なのか「壺と一緒に」なのか、ちょっと曖昧だ。

 謙作が「そうしよう」と答えているからには、「謙作と一緒に」なのだろうが、そうすると、お風呂で壺を洗うからという理由でどうして「謙作と一緒に」入らないといけないのだろうか。先に入って、自分ひとりで壺を洗えばいいじゃないか、と思うのだが。謙作の「そうしよう」は、「そうしたらいいだろう」ぐらいの意味だったと考えると自然なのだが。まあ、たいした問題ではないが。

 直子は骨董の焼き物をベトベトするから、「シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ」と言う。謙作は、直子のそういう所が、ものの価値が分からないと思うし、それを口にする。直子は反抗するが、それで喧嘩にはならない。謙作は、「謙作は日頃の直子らしくなったと思った。」というのだ。

 しかし、考えようによっては、せっかくの土産物が「ベトベトするから」、お風呂でメチャクチャ洗ってやるという直子は、ちょっとはしゃぎすぎの感があり、「日頃の直子らしくなったと思った」謙作が、それを感じていないはずもない。

 けれども、そのはしゃぎすぎの直子に、「日頃の直子」を無理してでも感じようとして、つとめて駅での再会以来のギクシャクした感じを払拭しようとした謙作だったが、彼のなかのわだかまりは意外に堅固で、まるで地下のマグマのように、地表に出てくる機会をうかがっていたのだ。

 

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一日一書 1739 寂然法門百... | トップ | 日本近代文学の森へ 255 志... »
最新の画像もっと見る