プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

自由民主主義(共産主義)の不都合な真実

2012-05-04 10:32:23 | 日記
 昨日、憲法は為政者が支配する為に作ったルールだと書きました。そして、そのルールに則って統治を行なうシステムが、「(自由)民主主義」であったり、「社会主義」或いは「共産主義」であってり、「(開発)独裁主義」であったりします。「主義」には、それぞれ独自の主張や理想がありますが、現実の制度としてのそれは、まがうことなく統治の為の「仮面」、「統治システム」であって、その「主義」をいくら突き詰めていっても、理想のユートピアを実現することは(時代の一時期に、非常に狭い地域であり得たとしても)現実的には不可能です。

 その最大の理由は、現実の制度、その「統治システム」を確固たるものとすればするほど、統治、つまり支配が完全なものとなるからです。「自由民主主義」の「自由」は奪われ、「民主」は消失します。或いは、「共産主義」の「共産」は嘘偽りの妄語と成り果てるのです。では、例えば「自由民主主義」を国家の制度とする日本において、誰が「民主」の「民」であって、その「自由」がどのように実現しているのか、考えてみて下さい。

 某友人Mさんは(その著書の中でも書かれていますが)、例えば先進国における「自由」が実現する為には、(共時的に)中進国や後進国の自由が奪われているという、「差別と排除」の「構造的な暴力」が存在していると言われます。分かり易く言えば、誰かの自由の為に、誰かの自由を奪っている「構造」です。もっと理解し易い例は、ギリシャの「(直接)民主主義」です。ギリシャの「市民」と言われる人々が政治(支配・統治)を行なうのに、「自由」を奪われた多くの奴隷が存在し、そのシステムを下支えすることを強いられていたわけです。僅かな「市民」の自由の為に、多大な「奴隷」とされたの人々の「自由」が必要だったのです。(ちなみに、ギリシャにおける「市民」というのは、一部の裕福な権力者を指します)

 このシステムは、「ネズミ講」システムとなっており、ピラミッド構造を呈しています。このピラミッド構造が崩れると、或いは下支えする「ネズミ」(奴隷)が無限に増え続けない限り、早晩破綻してしまうシステムなのです。現在の(共産主義でも同じですが)「自由民主主義」に置き換えてみると、「支配層」-「中間-「被支配層」というピラミッド構造(ヒエラルキー)が存在します。しかし、(ギリシャにはない)この所謂「中間層」という「支配(被支配)層」を形成する為には、その「自由」を保障する為には、世界の何処かの国や地域の民族、民衆の冨を奪い、自由を取り上げるという、世界的な「ネズミ講」を流布しなければならないのです。

その為に、所謂「大航海時代」以降、西欧の国々が挙(こぞ)って(「野蛮」と言われる)国々を侵略し、その冨と資源を略奪し、「植民地主義」としてそこに住む人々を強制労働、搾取し続けてきたわけです。その冨と、その冨によって可能となった「自由」を(ほんの僅か)分け与えることで、「自由民主主義国家」(或いは「共産主義国家」)は「自由」或いは「平等」という偽りの仮面(統治)を被ってきたのです。しかしその「ネズミ講」は(例えば日本の年金システムのように)その構造上長続きしませんから、いずれ崩壊せざるを得ないのです。その破綻の残骸が、現在の覇権や繁栄を謳歌してきた(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス等の)EUや米国、そして日本の衰退として現れてきているのです。(今度は中国やインドの番のようです)

 Mさんの言によれば、如何なる「文明」の国々(先進国)でも、その黎明期においては「開発独裁」の形態を摂るとのことです。今の中国やインドを見れば、「人権」もへったくれもないことが良く分かります。実は、その過程を、どの「民主主義国家」も「共産主義国家」も経てきているのです。そうしなければ、国力を増し、他国を(軍事的、経済的に)侵略することが叶わないからです。国内での(内戦の後)ヒエラルキーを構築して初めて、(軍事的にも、経済的にも)他国へ進出(侵略)することが可能となるからです。

 多くの「文明の国」である先進国が、如何に奇麗事を並べようと、その「憲法」に自由・平等・平和を掲げようと、彼等はその理念を他国を侵略する際には全て反故にしてきたのです。いえ、「開発独裁」の時期においては、国内でさえ多くの人々の人権を奪ってきたのです。戦後の原爆症の補償問題に始まって、水俣をはじめとする「公害」や、エイズ訴訟等の薬害問題、交通事故死や自殺等、様々な内戦が起こり続けてきたわけですが、これはまさに、この「民主主義」或いは「共産主義」という統治システムが、(Mさんの言われる)「差別と排除」という「構造的暴力」を、(自由、平等と言いながら)ピラミッド型のヒエラルキーという「不都合な真実」を内包しているからなのです・・・

P.S. そう考えると、「平和」というものの胡散臭さが分かってきます。何処かの国が平和である時、何処かの国や地域の「平和」が消失しているのです。逆に言えば、何処かの国の「平和」を維持する為には、何処かの国や地域の「平和」を奪えば良いのです。実際そのように、最も力ある国々では(勿論、様々な内戦は現存していますが)、戦争は行なわれません。都合の良い場所(国)で、都合の良い時期に「戦争」が行なわれてきたのです。そうして、経済的な「利」も得てきたのが、現実の「戦争」だったということなのです・・・

P.S.2 高速ツワーバスの事故により、(ヒエラルキーの最も最下層の)運転手が逮捕され、またその次に下層のバス会社に捜査の手が入りました。当然、犯した犯罪の罪を運転手が問われるのは当然ですし、その運転手を(日雇いとして)過酷な状態で働かせ続けたバス会社には、言うまでもなく過失があります。しかし、切られる尻尾はそこまでのようです。バス会社にツワーを委託している旅行会社には、お咎めが及ぶことはないようです。ましてや、それを管轄する国土交通省のお役人がお縄になることもありません。そして何より、この「大型戦車」を造ったメーカーの製造者責任が問われることもないのです。この「大型戦車」が一般道で歩行者の列に突っ込めば、一瞬して多くの人が轢き殺されてしまうことが分かっているにも拘わらずです・・・

P.S.3 この激烈なダンピング競争、2002年の小泉内閣の時に、道路運送法改正による規制緩和から始まったそうです。国民に痛みを押し付けるプロフェッショナルの小泉さんならではの「統治」の結果なのでしょう。それを(熱心に)真似しているのが、橋下さんのようですが。また、2007年には、国交省が「改善」と称して、当時組合との規定で500キロだった運行距離を670キロに基準を改定しています。(原発事故時の、原発労働者の被曝線量や食品等の暫定基準、或いはガレキの基準等の改定同様です。)まさにこれは、「人災」事故なのです。しかしながら、官僚も政治かも、誰も責任はお取りになることはないでしょう。そして何より、(この世界の「利」のシステム、そのヒエラルキーの最上位に位置する)自動車のメーカーの責任問題が問われることは、一切ないということなのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成24年5月4日)