SHOUTS TO THE SOUL !!   岡崎 陽

根っからのネガティブ人間。
無能、ノミの心臓が語るブログ。

「昨日みたバスに乗って」を途中リタイヤした。

2015年04月30日 16時13分01秒 | Weblog
講談社から出している本にしては、どうにもつまらな過ぎて、眠くなって仕方がない。

こういう行為は時間の無駄だ。

読む人によっては面白いのかもしれないが、俺には合わない。


表紙の写真と、文章の冒頭が良かったから読み始めたんだけど…。




スーパー銭湯

2015年04月29日 07時16分29秒 | Weblog
スーパー銭湯、笑顔の湯に行った。

1時間半ゆったりと過ごせて幸せを感じる。

はっきり言って、ディズニーランドより楽しい。

ゆずジュースを飲んで、マッサージチェアーでうつらうつらして、豆腐ハンバーグを食べた。


思えば子供のころは梅干しも、トマトも、茄子の漬物も食べれなかったけど、この歳になると好物になるんだよな。

人って変わるんだよな。








アルバム制作

2015年04月28日 05時59分08秒 | Weblog
ファーストアルバム本音がどうにも、納得できない仕上がりだったため、

リメイクしようと始めたことなんだけど、

アルバム本音を持っている人が聴いても、先入観があるから、面白くないと思う。

だから、本音に入っているろくでもない曲は省いて、新たに4曲追加した。

また、アレンジを全く別物と言うぐらいに変えた。

でも、卒業だけはすでに4回アレンジを変えているので、前回の音源に音を重ねただけにした。

自分の歌だから、何度も聴いているので、慢性化した感覚で作るので、良し悪しが解らなくなっている。

だから作るだけ作って、翌朝聴いてみるんだ。

そうすると、「ああ、こういう歌だったんだ」と、解るんだよな。

音楽って、臭い、色、寒暖、重さなどを、どれだけ自分の希望に近い表現ができるかが、重要なんだ。

第三者の視聴者もスタッフもいない一人作業だから、こういう部分が苦難だよな。

なんだかんだ言ってるけど、アルバムへんくつを大きくしのぐ出来栄えだと思うよ。

アルバム ヤンチャ坊主 

1 ヤンチャ坊主のテーマ~戯言
2 夢追人
3 暖かい唄
4  シュビドウアップ
5  卒 業
6 スピーカー
7 憎しみの唄
8 syachi
9 じゃあね
10 summer time
11 長電話
12 something
13 本 音

柏ストリートライブ

2015年04月25日 22時06分30秒 | Weblog
今夜もやった。

19時半から21時半まで歌った。

今夜はミュージシャンが見当たらない。

寒いからか?

まあ、アマチュアミュージシャンなんてこんなもんだ。

のびのび唄えてうれしよ。

しかし、今夜も何の反応もない。

ただ、帰るときに50円玉1枚前に置かれていたのを見つけた。

誰かが聴いてくれていたんだな、気が付かなかった。





「クラッシュ」を読んだ。

2015年04月25日 17時24分11秒 | Weblog
表題のクラッシュがパンクバンドのクラッシュを髣髴してしまい、読み始めた。

この著者の作品はどうにも、人でなしと、全てを奪われるお人よしの二通りしか出てこないんだ。

舞台は歌舞伎町あたり、実の妹を覚せい剤を使って、犯し、傷つけ自殺に追いやる。

どうしようもない腐った男、ホスト。

こんな奴らを相手にする、依存する女もまた腐っている人間だ。

あまりにも馬鹿人間過ぎて読んでいて気分が悪くなるだけだ。



夏が近い。

2015年04月25日 06時41分40秒 | Weblog
空の青と、雲の形が夏が近いことを現している。

今、’スピーカー’という楽曲の音源を作っている。

デジタルドラムを入れて、ギター重ねて、歌を入れて、様々な効果音を重ねてみた。

規則も決まりもない音楽の世界は自由の世界だ。

本物の自由は音楽にある。





品川シーサイド

2015年04月25日 06時34分11秒 | Weblog
商業道路を行きかう車、モノレール、ゴーゴーガーガーと、重低音のうるさい町だ。

新宿の雑踏のせわしい音も嫌だけど、こういう音が止むことなく聞こえていると言うのはなんだか、人の住む場所ではないように思える。

新都心なんだろうけど、何かを見落としているように思える。



「天命」を読んだ。

2015年04月21日 19時22分40秒 | Weblog
死について、どんなに考えても結論は出ない。経験者は存在しないからな。

はっきりしていることは人も、生き物すべては確実に死ぬということ。

死が訪れる時期が早いか遅いかということで、早いからと言って、悲観するのは死を目の当たりにした人だから言えることで、当人は理解しているのかは知る由もない。

’五十歳ぐらいまでは必死で生き続ける、重い荷物を背負って、坂道を喘ぎながら登り続ける、様々な苦しみがある、危機があるそれをなんとか、乗り切って生きるんだ。

その後忍び寄ってくるのが老化で目、歯、その他の器官もガタガタ、六十歳を過ぎれば坂道を転がるように衰える。

老いは悲惨であり、死もまた悲惨。

そこには愛も夢も幸福感もあるとは思えない、ただの絶望。

死を嘆くのか?今まで生きてきて。

生きるために、生き物を殺し食らって生きてきた、牛、鳥、豚、魚・・・死にたくないと悲願することも無視して、殺して食らってきたんだ。

見ず知らずの人が殺した肉片をまったく罪悪を感じることなく、涼しい顔して、食卓で、レストランで食らうんだ。

生きることは罪悪であることは確かだ。

死ぬことに死を宣告された人にかける言葉はない。’(一部引用)