顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸の梅まつり・2022…弘道館公園

2022年03月14日 | 水戸の観光

今年で126回を迎える水戸の梅まつりは、偕楽園のほか、水戸藩の藩校弘道館のある弘道館公園も会場として開催されています。コロナ禍のため3月1日から遅れての開催で、いろんなイベントはすべて中止ですが、自然はいつものように春を告げる花をいっぱい咲かせ始めました。


ここの梅は60種800本といわれ、早咲き、遅咲きと品種が多く長い期間楽しませてくれます。


たまたま訪れたのは、重要文化財の弘道館正門が開放の日で、天保12年(1841)に開設以来藩主の来館や特別な行事の際にのみ開かれた門をくぐることができました。


明治元年(1868)10月にここで藩内抗争の最後の激戦があり多数の死者を出しました。その時の弾痕が館内各所で見られ、門柱にも生々しく残っています。


正門、正庁、至善堂は当時の建物がそのまま残っており、国の重要文化財に指定されています。
正庁正面の式台と水戸の六名木「白難波」という白梅です。


武芸の試合が行われた対試場前には、弘道館を建てた水戸藩9代藩主徳川斉昭公の諡号の付いた薄紅色の「烈公梅」が咲いていました。


真っ赤な「緋の司」と弘道館至善堂裏手の梅林です。


学問の神様を祀る「孔子廟」も特別公開され、戟門(げきもん)も解放されていました。孔子の生誕地(中国山東省曲阜市)の方を向いて建てられているそうです。


孔子廟の大棟の両端に付いている鬼犾頭(きぎんとう)は、龍頭魚尾で頭から水を噴出する火災除けの水神で、流れ棟に鎮座するのは聖人の徳を感じて現れるという鬼龍子(きりゅうし)という霊獣です。


神儒一致の建学思想の象徴として建てられた鹿島神社は、昭和20年(1945)の水戸大空襲で焼失し、伊勢神宮第60回式年遷宮のとき、別宮「風日折宮」の旧殿一式が譲与され、唯一神明造りの社殿として再建されました。


藩校としては全国一の規模の面積約10.5haの敷地中央には、弘道館の建学精神を刻んだ弘道館記の石碑が納められている八卦堂が建っています。東日本大震災では碑の一部が崩落し、文化庁が6か月をかけて修理復元しました。堂を覆っている梅花は「八重寒紅」です。


北柵門と土塁からみた弘道館公園です。弘道館は水戸城の三の丸にあり、もとあった重臣屋敷を立ち退かせて建立されました。水戸城の大手橋前の重要な郭のため、周りは土塁と堀が巡らされていました。


「水戸の六名木」とは、花の形・香り・色などが特に優れていると選ばれた6品種、その中でも人気の「月影」と、文館跡の梅林です。


この一帯は当時、文館や寄宿寮がありましたが、明治元年の戦いで焼失してしまいました。
手前の梅は底紅という咲き方の「鈴鹿の関」、花弁の真ん中がほんのりと紅く染まります。


弘道館の寄宿生に起床時間を知らせる「学生警鐘」の鐘楼です。昭和20年の戦火を免れ、修理が加えられて現存していますが、鐘の実物は弘道館内で展示されています。


昭和5年建設の旧県庁舎は、近世ゴシック建築様式のレンガ張りの外観が重厚な印象を与え、梅やこの後咲く桜の花にとてもよく似合います。写真の似合っている梅の花は「月宮殿」という名です。

ウクライナの悲惨な戦禍の情報や、一向に減らない県内の感染状況など人間社会はウキウキする気分ではありませんが、自然は寒かった冬から急に暖かい日が続き、後れを取り戻すように一生懸命咲いています。どうも今年は、開花時期が短く、次の桜の出番にすぐなりそうな気もします。