安中宿から、松井田宿、坂本宿を通り、難所・碓氷峠を越え、
いよいよ信濃路、軽井沢宿、沓掛宿へ
【海雲寺】
招き猫で知られる。しっかり拝んだ。
【不動寺】
仁王門が見事だ。
【松井田八幡宮】
本殿が見事だ。ただ舞台が荒れていたナー。
【妙義山】
白雲山、金洞山、金鶏山の三つの山からなる妙義山は、四国小豆島の寒霞渓、九州大分の耶馬溪と並んで日本三大奇勝の一つと云われ、又群馬県を代表する赤木山、榛名山、と並び表されて上毛三山と呼び親しまれている。
【妙義道常夜灯】
【補陀寺】
大導寺氏の菩提寺
【文化財資料館】
横川駅と釜めしのおぎのや 懐かしい雰囲気だ。
【横川の関所跡(碓氷の関所)】【関所資料館】
東海道の箱根の関所とともに、「入り鉄砲に出女」を取り締まった重要な関所
坂本宿。今日はここで一泊。(くつろぎの郷コテージ)
坂本宿でのご来光。今日もいい旅が出来ますように。
今朝は9時少し前スタート。いよいよ峠越えだ。旧道入口からいきなり急な登りが続く。登山そのものだ。坂本宿から軽井沢宿まで約10、5Km。坂本の標高は465m、碓氷峠(熊野神社)は1195m。標高差730mを一気に登ってゆくことになる。軽井沢宿の標高は、960m。紅葉は坂本よりも早く来る。
【刎石(はねいし)の覗き】からの坂本宿。整然とした町並みだ。
厳しい道のりだったが、素晴らしい紅葉、景観だった。全員満足。新緑の頃もいいだろうなと思う。
【熊野神社】
昼近くに、碓氷峠頂上に到着。熊野神社にお参り。日本武尊を祀る。上野国と信濃国の国境だ。
室町時代中期建立の狛犬。長野県内では一番古いものだそうだ。右は口を開いた「あ」、左は「口を閉じた「ん」で、一対になっている。
【熊野神社】社殿(写真が上手く撮れなかったので、ホームページより)
碓氷峠の県境にある熊野神社の社殿。三社の建物が並び、正面からみて中央が本宮、向かって右手が群馬県側で新宮、左手が長野県側で那智宮となっている。中央の社殿が県境になるように建てられている。
近くの店で、力持ちそば、あん、大根おろしのもちと。涼しいくらいだったが、冷たいビールと。本当は熱燗が欲しかった。
熊野神社から下り、軽井沢宿までの紅葉もまた、素晴らしかった。沢を流れる水の音、風で舞う枯葉、なんとも風情がある。
【ショー氏記念碑と記念礼拝堂記念館】
軽井沢の避暑・別荘は、明治19年に英国聖公会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を訪れ、2年後の21年に最初の別荘を建てたことから始まるそうな。
軽井沢の町は、紅葉、正に、真っ盛りだった。旧軽を抜け、中軽井沢(沓掛)に向かった。今回の終点は近い。
【今回の旅】
・実施日 平成19年10月29日(月)午前11時から午後4 時30分 30日(火)午前8時半位から午後4時30分
・天 候 晴れ 気温20度前後か、歩くのに丁度いい。
・メンバー4人
・距 離 両日で約28Km
・見 所 紅葉の碓氷峠 素晴らしい
・食 事
松井田役場?前のそば屋?のまずいそば。まいった。碓氷峠くつろぎの郷の朝食はうまかった。(お愛想もOK)
・驚 き
この厳しい峠を、皇女和宮の大集団が越して行ったのだ。
和宮様一行は、文久元年(1861)10月20日、京都を出発、旅を重ね、沓掛(中軽井沢)を11月9日出発、軽井沢にて昼休み、難所碓氷峠を越し、夕方坂本宿に到着。10日坂本出発、松井田を経て安中で昼休み、板鼻到着。この時の行列は、京都方1万人、江戸方1万5000人、京都からの通し人足4000人という中山道開設以来、未曾有の大行列だったとか。(資料:安中市板鼻公民館)
・満足度 大変満足(中山道を歩き始めてよかったと思う)
【どこまで来たか?】
・宿 :六十九次中、19番目(沓掛宿)
・距離 :534Km中、152.5Km
【今回の駄作俳句】
松井田や 秋の不動に 赤仁王
秋深し 刎石覗く 坂本を
道険し 秋の碓氷や 宮思う
静かなる 色葉舞い散る 碓氷越え
人混みや 秋真っ盛りの 軽井沢
【次回予定】
沓掛宿から、追分宿、小田井宿、岩村田宿へ
沓掛宿(英泉画)
追分宿(英泉画)
小田井宿(広重画)
岩村田宿(英泉画)
いよいよ信濃路、軽井沢宿、沓掛宿へ
【海雲寺】
招き猫で知られる。しっかり拝んだ。
【不動寺】
仁王門が見事だ。
【松井田八幡宮】
本殿が見事だ。ただ舞台が荒れていたナー。
【妙義山】
白雲山、金洞山、金鶏山の三つの山からなる妙義山は、四国小豆島の寒霞渓、九州大分の耶馬溪と並んで日本三大奇勝の一つと云われ、又群馬県を代表する赤木山、榛名山、と並び表されて上毛三山と呼び親しまれている。
【妙義道常夜灯】
【補陀寺】
大導寺氏の菩提寺
【文化財資料館】
横川駅と釜めしのおぎのや 懐かしい雰囲気だ。
【横川の関所跡(碓氷の関所)】【関所資料館】
東海道の箱根の関所とともに、「入り鉄砲に出女」を取り締まった重要な関所
坂本宿。今日はここで一泊。(くつろぎの郷コテージ)
坂本宿でのご来光。今日もいい旅が出来ますように。
今朝は9時少し前スタート。いよいよ峠越えだ。旧道入口からいきなり急な登りが続く。登山そのものだ。坂本宿から軽井沢宿まで約10、5Km。坂本の標高は465m、碓氷峠(熊野神社)は1195m。標高差730mを一気に登ってゆくことになる。軽井沢宿の標高は、960m。紅葉は坂本よりも早く来る。
【刎石(はねいし)の覗き】からの坂本宿。整然とした町並みだ。
厳しい道のりだったが、素晴らしい紅葉、景観だった。全員満足。新緑の頃もいいだろうなと思う。
【熊野神社】
昼近くに、碓氷峠頂上に到着。熊野神社にお参り。日本武尊を祀る。上野国と信濃国の国境だ。
室町時代中期建立の狛犬。長野県内では一番古いものだそうだ。右は口を開いた「あ」、左は「口を閉じた「ん」で、一対になっている。
【熊野神社】社殿(写真が上手く撮れなかったので、ホームページより)
碓氷峠の県境にある熊野神社の社殿。三社の建物が並び、正面からみて中央が本宮、向かって右手が群馬県側で新宮、左手が長野県側で那智宮となっている。中央の社殿が県境になるように建てられている。
近くの店で、力持ちそば、あん、大根おろしのもちと。涼しいくらいだったが、冷たいビールと。本当は熱燗が欲しかった。
熊野神社から下り、軽井沢宿までの紅葉もまた、素晴らしかった。沢を流れる水の音、風で舞う枯葉、なんとも風情がある。
【ショー氏記念碑と記念礼拝堂記念館】
軽井沢の避暑・別荘は、明治19年に英国聖公会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を訪れ、2年後の21年に最初の別荘を建てたことから始まるそうな。
軽井沢の町は、紅葉、正に、真っ盛りだった。旧軽を抜け、中軽井沢(沓掛)に向かった。今回の終点は近い。
【今回の旅】
・実施日 平成19年10月29日(月)午前11時から午後4 時30分 30日(火)午前8時半位から午後4時30分
・天 候 晴れ 気温20度前後か、歩くのに丁度いい。
・メンバー4人
・距 離 両日で約28Km
・見 所 紅葉の碓氷峠 素晴らしい
・食 事
松井田役場?前のそば屋?のまずいそば。まいった。碓氷峠くつろぎの郷の朝食はうまかった。(お愛想もOK)
・驚 き
この厳しい峠を、皇女和宮の大集団が越して行ったのだ。
和宮様一行は、文久元年(1861)10月20日、京都を出発、旅を重ね、沓掛(中軽井沢)を11月9日出発、軽井沢にて昼休み、難所碓氷峠を越し、夕方坂本宿に到着。10日坂本出発、松井田を経て安中で昼休み、板鼻到着。この時の行列は、京都方1万人、江戸方1万5000人、京都からの通し人足4000人という中山道開設以来、未曾有の大行列だったとか。(資料:安中市板鼻公民館)
・満足度 大変満足(中山道を歩き始めてよかったと思う)
【どこまで来たか?】
・宿 :六十九次中、19番目(沓掛宿)
・距離 :534Km中、152.5Km
【今回の駄作俳句】
松井田や 秋の不動に 赤仁王
秋深し 刎石覗く 坂本を
道険し 秋の碓氷や 宮思う
静かなる 色葉舞い散る 碓氷越え
人混みや 秋真っ盛りの 軽井沢
【次回予定】
沓掛宿から、追分宿、小田井宿、岩村田宿へ
沓掛宿(英泉画)
追分宿(英泉画)
小田井宿(広重画)
岩村田宿(英泉画)
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