地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

援農ボランティア作業日誌ー番外ー

2009年06月29日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)



09-6-29
雨の予報が大きく外れ、快晴で蒸暑い日となった。で、気になっていたアピオスの雑草取りとなった。
今年は、種芋の出来がはっきりしないため、多く植えてみたが、結構順調に育っているように見える。
花をつけ始め、甘い匂いがたち込めていた。
汗をかきかき、無心に2時間の雑草取り、一人での作業が終わった。

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「信越トレイルクラブ」を読む

2009年06月27日 |    ・塩の道の資料

信越トレイル、6月のブナの森。

結構整備されてきていて、いい感じで登り、歩けそうな気がする。
いつかこの80Kmを楽しんで、歩きたいものだ。
2~3回に分けて、春秋の素晴らしさ味わいたい。日常から体力、気力を付けておかないといけない。

【信越トレイルクラブ】
http://www.s-trail.net/index.html
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援農ボランティア作業日誌ー170-

2009年06月27日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)



09-6-27 暑い、暑い。30,3,4度か。体から塩が噴出すみたいだ。炎天下の中山道歩きを思い出す。
【今日の作業】
・トーモロコシの間引き(二本のうち、下の方を取り去り、一本にするのだ。)


雑草の勢いは凄い。油断すると、やられてしまう。(カボチャが埋まってしまった。)アピオスもそうだ。


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援農ボランティア作業日誌ー169-

2009年06月25日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

もうトーモロコシの実の間引きをしないといけないそうだ。(一本の木に実一つ)


09-6-25 朝方の雨が上がり、作業が出来るようになった。そう蒸暑くない。
【今日の作業】
・じゃがいも(きたあかり)の出荷準備(泥落としと大きさ選別)写真下。
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「千曲川のスケッチ」再読す。

2009年06月24日 |   北国街道四人旅

09-6-24
今年の梅雨は梅雨らしい。雨の日に、昔買って読んだ本を引っ張り出して読んだ。
上の写真は最近の新潮文庫の文庫本だが、読んだのは角川文庫の文庫本(昭和36年初版)で、
字が小さくかなずかいも古く読みにくかったが、それはそれで、少し情緒があった。昭和41年5月
読了とメモがしてあったので、43年前、22歳の時という計算になる。遠い昔のことだ。
藤村が信州小諸を拠点にして歩き回ったさまざまな土地や情景が、千曲川支流の鹿曲川近辺に
生まれ育った自分にとって、何か懐かしく、またほほえましく思うことが沢山あった。

再読もいいものだと感じた。

出版社/著者からの内容紹介
『若菜集』刊行ののち,私塾の教員として信州小諸で6年間を過ごした藤村(1872-1943)は,千曲
川にのぞむその地の人々の暮らしや自然を詩情豊かに描いた.
この小品集は,そのなかから作者自身が若い人たちのために選び,明治末から大正初期にかけて
雑誌『中学世界』に連載したものである.改版.(解説 井出孫六)


【国土交通省ホームページより】
信州を潤し、藤村が愛した清らかな流れ-千曲川-
千曲川は、長野県川上村、埼玉県秩父市、山梨県山梨市の3県の境にある甲武信ヶ岳にその源を
発し、佐久、上田の2つの盆地を経て長野市のある長野盆地にて最大の支川犀川を合流します。
長野市の東縁を流下すると、治水の難所である立ヶ花狭窄部をぬけ飯山盆地を貫流後、新潟県境
にいたり信濃川と名を変えます。途中の支川を合流させると流域面積7,163km2、流路延長214kmの
日本最長河川である信濃川の長野県内部分をいいます。




小諸なる古城のほとり(島崎藤村 「落梅集」(明治34)所収)

小諸なる古城のほとり ・
雲白く遊子悲しむ ・
緑なす(はこべ)は萌えず ・
若草も藉(し)くによしなし ・
しろがねの衾(ふすま)の岡辺 ・
日に溶けて淡雪流る ・

あたゝかき光はあれど ・
野に満つる香(かをり)も知らず ・
浅くのみ春は霞みて ・
麦の色わづかに青し ・
旅人の群はいくつか ・
畠中の道を急ぎぬ ・

暮れ行けば浅間も見えず ・
歌哀し佐久の草笛 ・
千曲川いざよふ波の ・
岸近き宿にのぼりつ ・
濁り酒濁れる飲みて ・
草枕しばし慰む ・


語釈
【小諸】 長野県北佐久郡の町。現在の小諸市。
【古城】 維新前は牧野氏一万五千石の居城。現在は懐古園という公園になっている。
【遊子】 旅人。
【はこべ】 なでしこ科の越年性草本。春の七草の一つ。
【藉くによしなし】 藉くすべもない。
【しろがね】 銀色。雪におおわれたさまの形容。
【衾】 夜具。ふとん。
【浅間】 浅間山。
【佐久】 小諸を中心とする郡の名。
【いざよふ】 進みもせず退きもせず、ためらうこと。
【濁り酒】 精製しないで白く濁った下級の地酒。
【草枕】 旅。旅情。


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「北国街道殺人事件」を読む

2009年06月18日 |   北国街道四人旅

09-6-18
久しぶりの推理小説。
内田康夫の作品は初めてかも知れない。結構面白かった。で、短期間で読了。

内容(「BOOK」データベースより)
野尻湖の発掘現場から、死後数年の人骨が発見された同じ日、良寛ゆかりの五合庵で
研究家が殺害される。
出雲崎を訪れた田尻風見子は、被害者と偶然すれ違う。卒論のテーマに良寛を選んだ風
見子は再び新潟に向かい、良寛と一茶の共通項に誘われて野尻湖へ。
捜査中の「信濃のコロンボ」こと竹村岩男警部が風見子と出会ったことで、事件は意想外
の展開を―。名探偵・竹村警部の推理が冴える。
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援農ボランティア作業日誌ー168-

2009年06月17日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

09-6-17 曇り、昨日は大雨。気温は丁度いい。
【今日の作業】
・なすの手入れ、トーモロコシの間引き(写真)と雑草取り
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古き、良き友より

2009年06月16日 | 【14】信州田舎時代

09-6-15
小中学校同級生のY君から、自宅の敷地に生えたという筍を送ってきてくれた。
毎年年賀状のやり取りで、「今年は会おう」といいつつ、10年以上は経ってしまったか。
去年か一昨年、東京から信州佐久に帰ったとのこと。奥方の実家を継ぐらしい。

Y君は中学を卒業してすぐ、新宿御苑前にある、何とか林業という会社に就職した。
そう、あの時代、中学を卒業してすぐ働く人は多かった。夜学に行く人も多かった。
3年遅れで上京して、よく遊んだ。といってもお互いお金はほとんど無かったー。
お金がなかったから良かったかも知れない。楽しく、仲良くしてもらった。

人生もう一度やり直しがきくんであれば、中学時代位からが一番いいかなと思ったりする。
学校林の植林、下草刈り、河原から校庭への石運び、・・・・結構肉体労働が多かった。
あの時代を思い出すのには、あまりに懐かし過ぎる。

来月か再来月、墓参り、見舞いと、信州に帰ったら、久しぶりにY君に逢いたいものだ。
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雨の合間の散歩

2009年06月16日 | 【2】舞子ライフ



09-6-12
今回の舞子行は、雨が多い。合間を縫ってわらびの収穫。最終日にはふきの収穫。
家に帰ってから一仕事になるが、時間はあるし酒のつまみ作りは、重要なことだ。
図書館から、予約しておいた「北国街道殺人事件」(内田 康夫)が取置きしてあるとのメールが入っていた。
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古道が残されているかも知れない。

2009年06月10日 |   北国街道四人旅
北国街道は、中山道と北陸道(北陸街道)を結ぶ街道で、信濃の追分宿から越後の高田宿まで
約35里(約140km)の道。加賀藩をはじめとする北陸諸藩の参勤交代の道であり、また、佐渡金山
で産出した金を運ぶ道としても重要視された街道だ。また、長野の善光寺参拝を目指す旅人が多か
ったことから善光寺街道の名もある。
北国街道の行程は、中山道の追分宿から分かれ、小諸宿、田中宿、海野(うんの)宿、上田宿、
坂木宿、戸倉(とぐら)宿、矢代宿、丹波島(たんばじま)宿、善光寺宿、新町(あらまち)宿、
牟礼宿、古間宿、柏原(かしわばら)宿、野尻宿を経て越後国に入り、関川宿を経て、高田宿で
北陸道と連絡していた。
追分の分去れには、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」という歌碑があった。

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