地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

中山道を歩くー資料編④ー

2008年06月27日 |  ・同上ー資料編ー


08-6-22(日 )~24(火)
中山道13 見る所

■野尻宿(江戸から40番目の宿場)
【八人石】二十三夜様 月の信仰
【柿其(かきぞれ)水路橋】
・全長142m、鉄筋コンクリート造りの水路橋で、2連のアーチ橋。国の重要文化財
・福沢桃介(ももすけ)(福沢諭吉の次女の婿)
http://www.enasan-net.ne.jp/rekishi/haku/momosuke/momosuke.html
 ・柿其渓谷・・・南寝覚と呼ばれる美しい渓谷

今日の宿泊 民宿ほていや
   http://www13.plala.or.jp/hoteiya/

■三留野宿(江戸から41番目の宿場)
【等覚寺】
・天神像韋駄天像(等覚寺韋駄天像)など三体の円空仏が安置。
・円空・・・美濃国生まれ。不幸な人々を救うため、12万体の仏像を残すことを誓い、旅に出て数多くの仏道を彫り続けた。一刀彫の手法。
【本陣跡・枝垂れ梅】
【桃介橋】【福沢桃介記念館(桃介の別荘跡)】
 ・桃介と川上貞奴(さだやっこ)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E8%B2%9E%E5%A5%B4
 ・三留野が明治の終わりから注目を浴びた。それは、木曽川の水力発電の基地になったから。
【和合】むかし木曽の谷中に酒なし、和合の里人はじめて酒を造る。
【園原先生碣(けつ)】江戸時代の有数の学者で、尾張、美濃、信濃に多くの門人がいた。
【ふりそで松】義仲が弓を引くのに松の木が邪魔になり、巴御前が袖を振って倒したと。
【かぶと観音堂】
・木曽義仲旗揚げの時、この先の妻籠に砦を築き、その鬼門に当るここに小祠を造り、義仲の兜に納められていた守り本尊の十一面観音像を納め祀ったのが始まりといわれる。
【一里塚】一対がしっかり残っていると。

江戸時代の宿場の街並みがそのまま息づく妻籠宿へ

■妻籠宿(江戸から42番目の宿場)
・妻籠の集落保存計画・・・昭和43年、長野県の明治100年記念事業の一つとして採択。
・その後、「妻籠を愛する会」を地元住民が中心となって組織し、「売らない、貸さない、壊さない」の信条に基づき保存、復元された。
【高札場跡】
【水車】
【脇本陣林家】(奥谷郷土舘)
・江戸時代には禁制であった木曽五木が解禁された後、明治10年に総ヒノキ造りで立て替えられた。木曽五木(ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・サワラの五種類の常緑針葉樹林)
 ・「夜明け前」では、扇谷得右衛門の名で登場。
【本陣(復元)】(島崎家)青山半蔵のいとこに当る青山寿平次は、ここ妻籠宿の本陣の娘と結婚。
【光徳寺】枝垂桜は樹齢500年の巨木
【上丁字屋(元旅籠)】黒股屋・・・弥次喜多が京都から善光寺に向かう途中泊ったと。
【下嵯峨屋】
【生駒屋】
【上嵯峨屋】
【大妻籠集落】立派な家(元旅籠)が昔ながらに残っている、いい風情の家並み
【男滝】【女滝】吉川英治の「宮本武蔵」にある、武蔵とお通の出会った「男垂の滝」
【馬籠峠】
【一石栃番所跡】
【峠の茶屋】峠の頂上(海抜800m) 
・正岡子規「白雲や青葉若葉の30里」
・藤村「後ろは高い木曽の山々、前の方は“平らな野原の多い”」と書いた美濃の平地へ下って行く。
・左に見える山は「恵那山」
【熊野神社】
【峠の御頭の碑】夜明け前

木曽路は全て山の中である。中山道のハイライトをゆく

■馬籠宿(江戸から43番目の宿場)
・贄川に始まった木曽路最後の宿
【馬籠脇本陣資料館】
 ・蜂屋家、屋号屋八幡屋(酒造・金貸し)の古文書・民具、木曽五木実物見本
 ・夜明け前の貴重な資料
【大黒屋】
 ・藤村の初恋の人おふゆの生家。本陣青山吉左衛門の親友、年寄役伏見屋金兵衛。大黒屋10代目
  大脇兵右衛門信興。この大黒屋日記を見て、「夜明け前」執筆を決意したんだと。
【島崎本陣跡】【藤村記念館】

今日の宿泊 永昌寺
  http://www.mapple.net/spots/G02101095601.htm

【永昌寺】
 ・臨済宗・福島長福寺に属す。
 ・夜明け前では、万福寺として登場、和尚は松雲だ。
 ・島崎家代々の墓、島崎正樹夫婦、藤村の遺髪など。遺骨は神奈川県大磯の地福寺。
【諏訪神社】
【島崎翁記念碑】藤村の父正樹を記念
【新茶屋集落】木曽路はここで終わり。
 ・芭蕉の句碑 送られつ送りつ果は木曽の秋
【これより北 木曽路 藤村老人】

十曲峠の急坂を下る。

いよいよ美濃路(十六宿)へ 初めての道へ

■落合宿(江戸から44番目の宿場)
【落合石畳】
【医王寺(山中薬師)】狐膏薬 日本三大薬師の一つ、浄土宗で京都知恩院の末寺。
【落合宿本陣跡】

■中津川宿(江戸から45番目の宿場)
【東円寺】(後ろ向き薬師)
本尊の薬師如来像は、この前を乗馬で通ると必ず落馬するということで、後ろ向きに安置されているそうな。国重要文化財
【間家大正の蔵】東濃随一の豪農
【中津川本陣跡】

中津川インターのバス停へ!
 インターチェンジの中の、駐車場の中にバス停があるらしいが、初めてのケースだ。
                              2008年6月17日

08-7-27(日 )~29(火)
中山道14 見る所

■中津川宿(江戸から45番目の宿場)
【茶屋本陣・篠原家】

■大井宿(江戸から46番目の宿場)
【甚平坂】眺望よし 
【長国寺】
 ・行基の創建 
 行基(668年~749年)
奈良時代の僧侶。河内国の生まれ。官大寺で法相宗などの教学を学び、集団を形成して関西地方を中心に貧民救済や治水、架橋などの社会事業に活動した。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA
 ・西行葬送の寺 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C
【上宿石仏群】悪病を食い止めるために立てられたという。
【大井宿本陣跡】
【中山道ひし屋資料館】
【市神神社】300余年の伝統 7日市 煙草
【中山道広重美術館】全国的に評価の高い美術館

今日の泊まり・・・エナプラザホテル(0573-25-6777)

【中野村庄屋・本酒屋】犬矢来に引き戸
【西行硯水公園】西行は大井宿で晩年の3年間を過ごしたという。

いよいよ十三峠がはじまるよ!

【西行塚】西行終焉の地は諸説あり。
【槙ヶ根追分】
【首なし地蔵】
【紅坂ぼたん岩】くれないざか?べにざか?
【神明神社 芭蕉句碑群】
  山路きて なにやらゆかし すみれ草   など

■大湫(おおくて)宿(江戸から47番目の宿場)
【観音坂霊場巡拝碑】
【大湫コミュニティセンター】ロービーに資料あり
【脇本陣・保々家】
【神明神社】大杉(推定樹齢1300年)・神明の泉
【観音堂】
・付知(恵那市付知村)の画人「三尾暁俊峰(静)」の描いた60枚の絵天井
     花さかり 山は日頃の あさぼらけ(芭蕉)
【夫婦岩】烏帽子(えぼし)岩と母衣(ほろ)岩 中山道では有名な岩だそうだ 別名「弁慶岩」

次の峠は、難所、琵琶峠。

【琵琶峠】標高540m(美濃路の最高地点)
  ・700mの石畳(この石畳は長い間土の下に埋もれていてその存在は知られていなかったが、昭和45年に地元の方の情熱により発見された。東海道の箱根峠、中山道の十曲峠(落合)の石畳をはるかに超して日本一長い石畳となっている。
   ・昔、京へ琵琶の修行に行った信濃の法師が、その奥義を極められず失意の中、信濃へ帰る途中、琵琶峠で疲れてうとうとしていると、峠の松風の音が聞こえます。法師は「これこそ琵琶の音だ」と気づき、再び京に行き、ついに琵琶の奥義を極めるのです。(一説)
    
住み慣れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび(皇女和宮顕彰歌碑) 

【八瀬沢の一里塚】江戸から九一里目の一里塚 双方、当時の姿のまま残る(高さ、塚周)

■細久手宿(江戸から48番目の宿場)
【北野坂の廻国塔】巡拝塔の一つ
【弁天池】杜若(かきつばた)
【庚申堂】

本日の泊まりは大黒屋。(0572-69-2518)
          大黒屋での朝食は6時。7時前に出発。

【大黒屋】http://www.tono-gifu.net/daikokuya/main/index.htm
  細久手宿は、慶長15年(1610年)に新宿として設けられた。
江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。その1軒が、『尾州家定本陣大黒屋』であった。
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。
【津島神社】本来は防疫の大神だと
【秋葉坂三尊】馬頭観音、千手観世音、秋葉前立仏 道中安全祈願のため。
 

■御岳(みたけ)宿(江戸から49番目の宿場)
【御殿場跡】
【一呑の清水】
【謡坂(うとうざか)の石畳】
【七御前・キリシタン遺跡】
【和泉式部廟所】
・・・恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。その才能は同時代の大歌人藤原公任にも賞賛され、正に男女を問わず一、二を争う王朝歌人といえよう。
    ひとりさへ 渡れば沈む うき橋に あとなる人は しばしとどまれ

※次は、時間によっては次回まわし

【本陣跡】
【中山道みたけ舘】中山道にかんする豊富な資料
【願興寺】
 別名 蟹薬師
願興寺の門前町として栄えた御嵩宿は、江戸時代中山道の宿場として大いに栄えた。
815年伝教大師最澄による開創と伝わる願興寺は、2度の兵火で焼失したが、その度に仏像など多くの文化財は難を逃れ、1581年には地区の多くの人たちによって再興され、現在の本堂はその時のものである。
その造りは四周の回廊の広さに独特のものがあり、また材を持ち寄った痕跡が残る民の寺である。

【愚渓寺】

◎御嵩駅発11:13に間に合うように歩く。
名鉄広見線 新可児(しんかに)行きー各停― ・・・・・・・・290円
      
新可児11;24着
11:31発(太田線―多治見行きー各停―)・・・・・・ 480円
多治見11:50着
12:07発(中央本線(東海)(中津川行き)快速
瑞浪(みずなみ)12:18着 
 ◎中央道瑞浪天徳バス停へ 歩きで20~30分か?(確認して昼飯)
     ・・・・・・・4900円(乗車時支払い)
 中央ライナー6号 13:38発 新宿新南口着18:33
2008/07/13

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山道六十九次を行く-13-その②

2008年06月26日 | 【17】中山道(予備)
【第三日目】
馬籠宿から落合宿、中津川宿へ  
           木曽路が終わり、美濃路へ入る 



【永昌寺】(ここで泊まり)
 夕食、朝食とも一品一品、丁寧に心のこもった料理で美味しかった。
 島崎家のお墓にお参り。


【島崎本陣跡】【藤村記念館】


【大黒屋】
 ・藤村の初恋の人おふゆの生家。本陣青山吉左衛門の親友、年寄役伏見屋金兵衛。
大黒屋10代目大脇兵右衛門信興。
藤村はこの大黒屋日記を見て、「夜明け前」執筆を決意したんだと。




小雨降る、早朝の馬籠宿風景


諏訪神社参道。この静けさ。


【これより北 木曽路 藤村老人】


【落合石畳】
 深い木立の中を、石畳の急な坂道が続く。濡れて滑りやすく神経を使った。
 この石畳は、全長約800mにわたるそうだ。
 そもそも石畳は、急な坂道を大雨の水から守るのが目的だったそうだ。


長い石畳の道に、思わぬ筋肉を使う。


対の石仏。


【医王寺(山中薬師)】狐膏薬 日本三大薬師の一つ、浄土宗で京都知恩院の末寺。


【落合宿本陣跡】
 この門は、火事見舞いとして、加賀前田家から贈られたものだそうだ。


【中津川一里塚跡】

【今回の旅】
・実施日 平成20年(08)6月22日(日)~24日(火)
・天 候 初日野尻宿より雨。今回の旅では雨具を手放して歩いたのは、2日目の
 朝の柿其渓谷への散歩、3日目(最終日)の午前10時位、落合宿、中津川宿から
 高速バスのバス停に向かう時位だった。この旅が始まって始めて、雨の多かった
 たびだった。梅雨時だから仕方ない。これも旅の一部だ。
     
・メンバー4人

・距 離 1日目・・・ 9,964歩( 7.47Km)
     2日目・・・38,593歩(28.94Km)
     3日目・・・26,462歩(19.85Km)
・見 所
     ・柿其渓谷(かきぞれけいこく)
     ・妻籠宿
     ・馬籠宿
     ・新緑の木曽の山々、荒々しい木曽川の流れ

・閉 口 福沢桃介記念館の説明者(女性)による、早口の情報提供過多。
     
・食 事(うまかった、よかった)
     ・永昌寺(馬籠宿)の夕飯、朝食。特に、夕方陽の沈む頃、庭園を見な
      がらの夕飯は、良かったなー。持参の酒も美味かった。(馬籠宿入口
      の酒屋の亭主の態度の悪さには、呆れたが。)
 
・満足度 雨のお陰で、行動がやや鈍ったことで、満足度は中程度。ただ、雨の木
     曽路を歩いた思い出は、これはこれで、いい思い出として残る。観光客
     も少なく、静かな木曽路の街道を歩けたことは、良かったのかも知れな
     い。

【どこまで来たか?】
・宿  :六十九次中、45番目の宿(中津川宿)
・距離 :534Km中、340.0Km

【駄作】
 京に向け 木曽路歩きの 梅雨の入り
 柿其や 緑の渓谷 恋路橋
 梅雨雲の 南寝覚や 霧が立つ
 襲い来る 男滝女滝の 梅雨出水
 梅雨湿り 木曽山霧湧く 等覚寺
 大妻籠 大山木の 花香る
 蓮の花 酒飲み眺む 永昌寺
 花菖蒲 夜露に濡れし 馬込宿
 緑さす 十曲峠や 石畳


【次回の旅】
  
 美濃路  
   大井宿、大湫(おおくて)宿、細久手宿、御嵩(みたけ)宿へ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山道六十九次を行く-13-その①

2008年06月25日 | 【17】中山道(予備)
【第一日目】
野尻宿から柿其(かきぞれ)渓谷の宿へ

柿其橋より、木曽川の景色。雨は止まない。


南寝覚と呼ばれていると。


今日の宿泊先。民宿「ほていや」

【第二日目】
柿其渓谷から、三留野宿、妻籠宿、そして馬籠宿へ









【柿其渓谷】
柿其渓谷は、長野県南木曽町、即ち信州木曽路に位置し、数ある木曽の渓谷の中でも
特に美しいと言われている。
柿其渓谷は、岩や石が花崗岩質なため、五色の色合いとなって川底が美しく映えるらしい。
早朝(朝食前)の渓谷散策は、気分良かった。

 


【等覚寺】(三留野宿)
・天神像韋駄天像(等覚寺韋駄天像)など三体の円空仏が安置。(写真撮り忘れ)
・円空・・・美濃国生まれ。不幸な人々を救うため、12万体の仏像を残すことを
誓い、旅に出て数多くの仏道を彫り続けた。一刀彫の手法。
・この仁王像は円空作ではない。(作者不明)


【桃介橋】
http://www.geocities.jp/kazumihome2004/13-6.html






妻籠宿の中心。観光案内、雑誌でよく見かけるスポットだ。








【妻籠本陣(復元)】(島崎家)
宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋
を兼ね勤めました。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠
から伯父の所へ養子にきた広助(ひろすけ)。
「夜明け前」で、青山半蔵のいとこに当る青山寿平次は、ここ妻籠宿の娘と結婚。


【大妻籠集落】立派な家(元旅籠)が昔ながらに残っている、いい風情の家並み


【男滝】【女滝】吉川英治の「宮本武蔵」にある、武蔵とお通の出会った「男垂の滝」


馬籠峠への入り口。石畳は滑って歩きにくい。


頂上を目指す。途中、平で雰囲気のいい場所があった。小雨は降っている。


【峠の茶屋】峠の頂上(海抜800m) 
・正岡子規「白雲や青葉若葉の30里」
・藤村「後ろは高い木曽の山々、前の方は“平らな野原の多い”」と書いた美濃の
平地へ下って行く。
・晴れていれば、「恵那山」が見えるはず。



馬籠宿に入って行く。


【永昌寺】
 ・臨済宗・福島長福寺に属す。
 ・夜明け前では、万福寺として登場、和尚は松雲だ。
 ・島崎家代々の墓、島崎正樹夫婦、藤村の遺髪など。遺骨は神奈川県大磯の地福寺。

今日の宿泊はここ永昌寺だ。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

援農ボランティア作業日誌ー119-

2008年06月25日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)




08-6-25
【今日の作業】
1.トマトの収穫
2.ジャガイモの収穫(写真は北明かり)
3.ナスの剪定(写真)
今日も早出。畑の隅にプチベールの苗4本植えさせてもらった。
アピオスも3本追加して植えた。
農作物はほぼ順調に育ち、収穫が出来ている模様で、結構なり。
今日は蒸暑い日だった。昨日までの中山道の疲れが、少し残っていた。


アピオスは、ムラはあるが、まあまあ育ってきている。
雑草取りをした。過去最高の本数になる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泰山木の花の不思議

2008年06月19日 | 【15】雑感



08-6-19
本当はいけないことなんだが、近くの公園にある大きな泰山木の花を蕾のときに
失敬して、花びんに入れ観測。
この20~30cmもあろう大きな花びらをもつ泰山木(大山木)の花は、何とも不思
議で神秘的な花だ。

・開花時期は、 6/ 1頃~ 7/10頃。なんとなく梅雨空に似合う花です。
・北アメリカの東南部原産。明治初期に日本へ渡来。
・大きい白いカップ形の花。街路樹、公園樹としてときどき見かける。背丈がかな
 り高くならないと花が咲かない。
・花、葉、樹形などが大きくて立派なことから賞賛してこう名づけられた。
  また、花の形を大きな盃(さかずき)に見立てて「大盃木」、それからしだいに
 「泰山木」になったとも。
・「大山木」とも書く。
・強い芳香あり。
  (季節の花300より)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

援農ボランティア作業日誌ー118-

2008年06月18日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

08-6-18
【今日の作業】
前回に続き、梅の収穫。梅がどんどん落ちてくる。早く収穫しなきゃ。
今日の作業で、ほぼ終了した。

休憩時間に頂いた梅ジュースは最高でした。
曇り空で蒸暑い日だったが、作業は順調だった。





野菜たちが、順調に成長している。


自転車での行き帰りの畑で、珍しく小麦畑があった。最近収穫したらしい。
キジバトが、10羽位餌を啄ばんでいた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わらびのオシタシ作り

2008年06月11日 | 【9】食を楽しむ


08-6-11
わらび これも舞子で収穫したもの。不揃いながら味は良さそう。
1.沸騰している湯に入れ、重曹大さじ3つ、15秒前後で火を止める。
2.後は自然にさまし、一晩置いておく。
3.あとはきれいな水に替えて、さらしておく。
4.食べる分だけ水から上げて調理。
5.かつおぶしと醤油をかけて、酒のつまみとする。

簡単料理の見本。早く食べないと味が落ちる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

援農ボランティア作業日誌ー117-

2008年06月11日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)




08-6-11
【今日の作業】
1.梅もぎ(写真上)この一本収穫するのに、大人3人で2時間かかった。
2.じゃがいもの収穫 今年はいい、美味そうだ。
曇りで蒸暑かったが、まあまあの作業日和。



かぼちゃ、ナス、じゃがいも、キューリの花々。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感動!キャラブキ作り。

2008年06月10日 | 【9】食を楽しむ



08-6-10
時間かかったー。
総量約3Kgのふき。舞子での収穫物だ。
1.ふきんで1本1本、毛をきれいにふき取る。皮は剥かない。
2.5cm位に切り
3.しょうゆ(280cc)、みりん(50cc)、酒(300cc)、砂糖(150g)を合わせ
4.弱火で煮る。時々返しで約3時間。
絶品、キャラブキの完成。気持ちを込めた作品、酒のつまみとしても最高。
極意は、ぎりぎりのところで、みりん、砂糖をいかに少なくするか。
ふきとの対話か。
こういう仕事は、暇な男に向いているかも。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

援農ボランティアー番外編ープチヴェール

2008年06月10日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)


08-6-9
プチヴェールを育ててみることにした。
注文しておいたプチヴェールの苗が、留守中に宅急便で配送されていた。
出かける時にストップをかけたが間に合わず。昨夜自宅に届けてもらった。
4株。葉がすこし黄ばんでいるのが気になるが、何とかなりそうに思う。
少し大きめのポットに植え替え、1~2週間育ててから畑の片隅に植えさせて
もらう予定。
http://www.masudaseed.com/products/petitveil.html
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする