2007年(平成19年)4月30日
イザッ!京へ向け出立!!
日本橋から板橋宿を通り、戸田橋を渡る
【江戸日本橋】
慶長六年(1603年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた。五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸を起点とする五つの陸上交通だ。
【五街道】
東海道
中山道 (中仙道ともいう)
甲州街道 (甲州道中)
奥州街道 (奥州道中)
日光街道 (日光道中)
街道整備として一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意した。
それにしても橋の上の首都高がうるさく、薄暗い。いつか移転の話がでたことがあるが。
さあ、ここで集合し出発する。天気がいいし、気分も爽快だ。
ルネッサンス様式のアーチ式石橋。長さ49m、幅27m。
高架に邪魔されて、この橋を充分に眺めた人は少ないのではないか。欄干にある青銅製の照明、獅子や羽根の生えたドラゴン像?すごい造形美だ。(明治44年完成だと。)
歌川(安藤)広重画 日本橋(大名 西へお立ちの図)
【神田明神】
えびす様、だいこく様、まさかど様の3人を祭ってある。
【東大赤門と三四郎池】
ご存知、加賀藩上屋敷跡。中に入って散策できるのが嬉しい。広大な敷地に緑が多く、鳥が鳴く。静寂。別天地のようだ。ここは散策の穴場のコースかも。
【高岩寺と刺抜き地蔵】
あまり大きな寺ではない。人が多くて大変。
【庚申塚】(中仙道庚申塚、猿田彦大神庚申堂の碑有り)
駕籠かきなんかの休憩所。結構賑わったそうな。
【板橋】
コンクリート製だが板の橋に似せているので、風情がある。下を流れる石神井川の渓谷とよくマッチしている。中山道一の賑わいを見せた宿場。江戸の入口にあたる城門のような大木戸があり、「入り鉄砲に出女」は厳しく警戒されたそうだ。
板橋宿<英泉画>
二階屋が軒を連ねる宿場へ旅人達が足を速める。裕福そうな夫婦らしき旅人と供。駕籠へ乗れとせがむ駕籠かき、なだめる供。馬子が馬の草鞋(わらじ)を交換中。そうか、当時馬には蹄鉄が打ってなかったんだ。
【縁切り榎(二代目)】
皇女和宮がここを通る時、縁起を担いで、榎を菰(こも)ですっぽり包んで、見えないようにしたとさ。
【志村一里塚】
道の両側に残っている。でも、道幅が広すぎる。どちらか一方移したのかも知れない。
【清水坂】
昔は、この辺り唯一富士山が見える名所であったそうだ。今、両脇には高い家、マンションが立ち並んでいる。長く急な坂を、下から登ってくるのは老人でなくとも難儀だ。
戸田橋より荒川を望む(逆光のため、暗く写っている)昔、旅人は渡しに乗ってこんな光景を見たんだろうと思う。
蕨・戸田川渡<英泉画>
戸田川(荒川)の平水時の川幅は約100mであったが、満水時には1里(約4Km)にも広がって、渡船は不可能となったんだと。船の中には、馬を真ん中にして、さまざまな旅人が同乗している。
【今回の旅】
・自宅から自宅まで 34,357歩
・距離換算 24.7Km(日本橋~蕨宿までは19Km)
・消費カロリー 1,008Kl
・メンバー3人:
日本橋10時出発、戸田公園駅午後5時着。天候晴れ(27、8度あったか、陽射し強すぎ)今日は日曜日。歩くのは土日が正解か。でないと車の排気ガスでやられてしまう。平地であれば、歩く距離は今日位が一日の目安。
感想:皆、よく下調べをしていた。ここが重要なところ。順調に歩けた。お天気男がいたと思う。戸田公園駅前で飲んだビール、酒の味は格別だった。
「中山道を行く」ビデオスタート画面
【駄作5・7・5】
春暑し 京に踏み出す 日本橋
緑立つ 赤門くぐり 三四郎
花は散り 往時を偲ぶ 板橋に
春暑し 刺抜き地蔵 人囲み
春の汗 息切り登る 清水坂
春深し 荒川光り 滔滔と
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