地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

援農ボランティア作業日誌ー96-

2007年11月28日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

【今日の作業】
・里芋、八つ頭の収穫
 両方とも、本来の出来ではない。でも、味はいいと思う。
 今晩試食して見る。


S氏宅より、前の家の植木畑を望む。
いい色合いの楓だ。
携帯のカメラでは、うまく色合い、形が写らないのが残念。
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晩秋

2007年11月25日 | 【15】雑感


07-11-25
暖かい秋の一日
母と女房が近くの公園で拾った、紅葉と桜の葉一枚陶器に入れ、水を注ぐ
窓からの斜めの陽射しを受け、色が更に鮮やかになる

この秋を止めて、留めて、置きたい、か。
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援農ボランティア作業日誌ー95-

2007年11月24日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

【本日の作業】
・さといもの収穫作業

昨年、一昨年と比較してどうも出来が良くないみたいだ。作業日和で、いい汗をか
いた。


この秋一番の冷え込みで、相当の霜が降りた。
写真は「としこし」とういう耐寒性のある,栽培しやすい白菜。
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中山道六十九次を行く-10-その2

2007年11月22日 | 【17】中山道(予備)
【第三日目】
いよいよ和田峠越えに挑戦、そして下諏訪宿へ




【本亭】(和田宿)
昔ながらの旅籠。ふすまや御用箱が時代を感じさせる。
朝食後、7時40分頃出発。
中山道最大の難所、長丁場だ。積雪は?天候は?熊は?スズメ蜂は?






【接待茶屋跡(永代人馬施行所)】
一里塚を経て、接待茶屋跡に到着。
雪はそう多くなく、木漏れ日の林の中、気持ちよく歩く。ほぼ順調に来ている。

※永代人馬施行所
中山道の難所「和田峠超え」の冬、極寒の中で苦しむ旅人や牛馬の難儀を幾分でも助けようと、
江戸の呉服商かせや与兵衛が1000両を基金として幕府に収め、その金利で運営した施設。
11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚き火を、牛馬には一年中桶一杯の煮麦を与えていた。
寛永5年(1852)まで続けられたそうだ。




雪の残っている橋を、滑らないよう注意して渡る。
空は真っ青になってきた。



和田峠の古峠(ふるとうげ:標高1599m)には、予定通り昼に到着。
遠くに見える山はどこだろう?霧ヶ峰・蓼科山・八ヶ岳方面かあるいは甲州の山々か。
でも山の形から見てどうも霧ヶ峰っぽいな。
今度から磁石が必要だ。右手山麓には諏訪湖があるということだ。
頂上は風が強いので、昼飯は少し下って、風のない場所を選ぶことにした。





鹿に皮を食べられた木々が点在する。長い熊笹の街道を下る。
途中、少し開けた街道の真ん中で、昼飯。本亭で作ってもらった大きなおにぎりを頬張る。
そして、またひたすら下る。左手は崖、相当下の方に川が流れている。
バランスを崩すと危ない。急坂を下る。雨だったら鉄砲水が出そうな急な坂道を下っていく。
和田宿から下諏訪への下りは結構きついなーと感じた。昔、皇女和宮は、この細い急な山道では反対向きに背負われて登っていったんだと。それも怖かっただろうと想像する。


【浪人塚(水戸浪士墓)】
「水戸浪士の一行千余人が勤皇の志をとげようと和田峠を超えてきた。
それを高島、松本両藩が防いだ激戦地の跡で塚には討死した浪士を葬り櫻を植え墓碑が建られている。」と。
下諏訪宿まではもう少しだ。



【木落とし坂】
最大傾斜35度・長さ100㍍の木落とし坂。
この坂を人を乗せた御柱が落ちる。7年に1度のお祭りだ。
http://www.shinshu-tabi.com/suwaonbasira3.html







【慈雲寺】
さすが諏訪だなー。大きな寺、スケールが違う。で調べた。

武田縁の寺である。
開山は、正安2年(1300)。応安元年(1368)の梵鐘は足利義満時代のもので貴重な文化財。臨済宗妙心寺派である。
信玄は、この寺の天桂玄長禅師を師と仰ぎ、天文6年(1537年)慈雲寺焼失の再建の際には、信玄が大旦那となったともいうが、
この年まだ信玄は家督をついでいないので少々怪しい。だと。

下諏訪宿には4時半頃到着。
駅近くの温泉「菅野(すげの)温泉」に入り、特急あずさで、夕飯。
ビールと日本酒少々。疲れたー、良かったー。

信州もほぼ真ん中位に来たので、県歌「信濃の国」を。
http://www.sbc21.co.jp/shinano/

【今回の旅】
・実施日 平成19年(07)11月18日(日)~20日(火)
・天 候 3日間とも、朝は冷え込んだが、日中は、晴れ間が広がり
     気温も上がってきた。山陰など風が強く冷たい時もあったが、
     歩くのには差し支えは無かった。天気予報は、2日間、
     晴れ後雪で心配したが、大きく外した。最高の天気と言って
     いい。良かった。
・メンバー4人
・距 離 1日目・・・23,927歩(16.75Km)
     2日目・・・31,484歩(22.04Km)
     3日目・・・33.700歩(23.59Km)
・見 所
     ・望月宿(歴史民俗資料館)
     ・茂田井宿(大澤酒造内、しなの山林実術館、民俗資料館)
     ・芦田宿(津金寺、笠取峠の松並木)
     ・浅間山 
・食 事
     ・本亭の夕飯、朝食はまあまあか。あと、塩名田宿のそば、他。
・残 念
     ・東餅屋の冷たい「力餅」(少し焼くか暖っためろーツーの)
・御 礼
     ・塩名田宿のリンゴ園のおじさん(タップリ蜜の入ったりんご)
     ・八幡宿のそばやのおばあさん(おやきと素敵な俳画)
     ・望月宿の歴史民俗資料館のおじさん(一生懸命さ・真面目さ)
     ・茂田井宿の大澤酒造のおじさん(いやみのない自慢)
     ・茂田井宿の実家の兄夫婦(美味しい漬物など) 
    
・満足度 よく歩いたなー、よく和田峠を越えたなー。で、大いに満足。
     天気にも恵まれた。こんな天気だったら、新緑の頃もう一度挑戦
     してもいいなーと、ちょっと思った。
     メンバーの一人、靴の選定に失敗、峠越えは特に大変だったが、
     よく頑張りました。
     京都まで、これ程のきついところはもうないだろうなー。

【どこまで来たか?】
・宿  :六十九次中、29番目の宿(下諏訪宿)
・距離 :534Km中、221Km


この旅は、来春まで休み。
    信州の冬は寒すぎるので。



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中山道六十九次を行く-10-

2007年11月21日 | 【17】中山道(予備)
岩村田宿から、塩名田、八幡、
   望月、芦田、長久保、和田、下諏訪宿へ

【第一日目】岩村田宿から望月宿へ


【西念寺(浄土宗)】(岩村田宿)
 ・信玄が開基、または庇護
 ・小諸藩仙石秀久など墓がある


【駒形神社】
 ・牧に関連した神社 





塩名田宿
サンフジが鈴なりなれど。
今年の6月の雹(ひょう)の被害で傷物に。この近辺では相当の被害があったという。おじさんが一生懸命説明してくれた。で、お味の方は?
「まあ、最高だ」と云って勧めるので、頂いた。
「確かに!」この蜜の詰まった最高のりんごに「幸せな気分」になった。
ペンキ屋のころ肺をやられたとのこと。昔だったら後継者に仕事を譲ってのんびりだったろうか。
ジュースかジャム用に一生懸命りんごを収穫する老人。いい顔をしていた。
おじさん有難う。お元気で!




【八幡神社】【高良社】
高良とは、周辺に定着して牧畜を営んでいた朝鮮からの渡来人の社高麗社の意。




今日は熱燗に蕎麦、これが旅の楽しみの一つ、しかも大きい一つだ。
多分孝行息子の蕎麦屋の息子が、店の脇にお母さんの楽しみの俳句・絵の展示室を造ってあげたのだろう。
絵句も結構上手かった。このおばあさん、目を輝かせ、一生懸命話をしていた。
80歳と言っていたか、やりがい、生きがいを持って生きている、参考になる生き方。





【歴史民俗資料館】(望月宿)
立派な資料館で、先ず今まで歩いてきた宿では一番だと思う。
内容、スケール、管理など町が相当力を入れてきたようだ。
館長?も一生懸命説明してくれた。我望月高校の先輩とか。

【望月の歴史】 
 望月は平安時代、大和朝廷に馬を献上した全国32牧の内、信濃の国16牧の筆頭に 数えられていました。
 「駒牽の儀」が毎年旧歴の8月15日の夜に行なわれたことから、望月(満月)の 地名が生まれたと
 言われています。
 望月の道の周辺には道祖神ほか庚申塔、馬頭観音、大日如来など様々な石仏が見 受けられます。
 特に道祖神は140体もあるといわれています

・平安時代の歌人・紀貫之
 逢坂の関の清水に影見えて、今や引くらん望月の駒 
(望月の駒が献馬中の駿馬であったことが、京人にも望月の地への思いを馳せさせ
 たとか)

・生駒姫と月毛の恋の物語り
http://homepage2.nifty.com/wildwind/ikomahime1.html

・望月小唄(甘利英男作詞・中山晋平作詞/小沢直与志編曲)
 私や信州ヤレ 望月の生まれ
 山家の育ちでも 実がある
 ヤンレ スッチョコ ションガイナ
 ヤレコレ スッチョコ ションガイナ

 南蓼科ヤレ 北では浅間
 間の望月 駒の里
 お主聞かんせヤレ あの瀬の音は
 千曲 鹿曲の 夫婦川
 姫に恋したヤレ 月毛の駒の
 思ううらみや 四つの鐘
 鹿曲狭にヤレ 咲き出た花は
 意気と情けの 色もよう
 俺が望月ヤレ 殿居の城の
 駒に乗せたい 逢わせたい


【旅籠大和屋(真山家)】
・天明5年(1785)の建築 国の重要文化財指定
 表の小さな引き戸を開け、「どうも」と声をかけたら、暗がり奥のほうからスー とおばあさんが現れた。
 見学の予約をいれおいた者と話すと、暗めの電気をつけ、座敷の隅の方からラジ 引っ張りだして、
 「これを聞いてくれ」と云うことになった。
 「声の主」はこのおばあさんだった。歴史はほぼ分かった。
 礼をいい家を出る頃、おばあさんはやや明るい雰囲気になった。  
 「おばあさん、元気で頑張って!」と思った。家族はいるんかなー


今日の宿「山城屋」古く、風情ある旅籠。
裏手に流れる「鹿曲川」(かくまがわ)の水音が、結構、大きく聞こえた。
望月宿では、あと、天来記念館、弁天窟・豊川稲荷を見て回った。

【第二日目】朝、7時45分スタート、寒い。
         望月宿から和田宿へ


【大伴神社】(望月宿)
・毎年8月15日の「榊祭り」は、大伴神社により執り行われる。


【蓼科山】
久しぶりの蓼科山。電線が邪魔だが。頂上の雪は少ない。この方角が一番素晴らしい。
 蓼科山 標高 2530m
 浅間山 標高 2542m



【武重酒造】(間の宿 茂田井)
・酒造業は明治初頭。地酒「御園竹」「牧水」など。
・若山牧水はこの酒を好んだとか。
・よく観光雑誌、パンフに登場する場所だ。
・この家の裏手で藤沢周平「たそがれ清兵衛」の映画が撮られた。









【大澤酒造】
・創業元禄2年、日本最古の酒が眠っているそうだ。地酒「大吉野」
・無料で展示している「しなの山林美術館」「民俗資料館」「書展」こんな素晴ら しい美術館など、
 我町にあったとは。ただただ感心。
 無料、無休で開館しているという。いつ頃できたんだろうか。
 書については、この大澤家の多分社長が、天来の書やその他ある書について説し てくれた。
 代々、誇れる仕事をしてきているんだなーと思った次第。
・我姉は、この家の出の高校教師大澤洋三氏に望月高校で教わった。
 著書に「望月ものがたり」「蓼科物語」などがある。いい本だ。


間(あい)の宿、茂田井の街道風景。



浅間山の頂上の雲は、まだ、晴れない。
浅間山は、茂田井から見るのが一番だと、いつも思っている。
前面にある山(前掛山?)との重なり具合が一番なのだ。



【本陣跡】(芦田宿)





【津金寺】
 ・大宝2年(702)大和薬師寺の僧・行基により、聖観音を安置し開山されたと伝  えられる。
  現在日本で最も古い天台宗の談義所といわれる。
 ・寺の紋は武田菱。信玄ゆかりの遺物、遺跡、伝承が多く残っている。
  川中島へ向かう出陣の時、ここの聖観音に戦勝祈願をしたと伝えられる。


津金寺の裏山から見た浅間山、ようやく頂上が見えた。




【笠取峠の松並木】(当初は、赤松753本植えたんだと)
気温が丁度よくなってきた。コンビ二で買ったおにぎりでお昼だ。
実家でもらったみかんもあって、結構、結構。





【笠取峠】


【松尾神社】(長久保宿)
京都の松尾神社と同様に酒の神を祀ってあるという。
酒造家の信仰が厚いと。



【長久保歴史資料館・一福処濱屋】



バス停も洒落ている。


月が見える。


杉の紅葉と松が、なんとも云えない色具合をしていて綺麗だ。


柿はこのように、少し残すのか?



和田宿の入り口で見た浅間山。雄大で、形もよい。




ようやく和田宿に入った。結構長い道だった。が、雨、雪でなくて良かったぜー


【八幡神社】(和田宿9
・入母屋造りで藁葺き めずらしい。



【信定寺】(和田宿)
・信玄の信濃攻めで討ち死にした、和田城主大井信定の菩提を弔っている寺


いい感じの月が旅館の上にあった。
なぜか、お礼を言いたいような感じなのだ。


本日の宿泊先「本亭」午後4時半頃到着。もう薄暗くなってきた。
熱い風呂、旨い酒、夕飯と。「ホッ」。
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中山道六十九次を行く-9-

2007年11月14日 | 【17】中山道(予備)
沓掛宿から、追分宿、小田井宿、岩村田宿へ



【長倉神社】(沓掛宿)
・本殿は江戸時代の建築
・神社の中の土俵は、何か懐かしい気がする。故郷の諏訪神社に土俵があり、よく 相撲をとって遊んだ記憶があるからだ。吉葉山、鏡里、朝潮などの全盛期だった。
さて、雷電 は、信濃の国の出身だが、信州の力士で有名なのは、雷電のみというのが残念だ。

 ※雷電爲右エ門(らいでん ためえもん、明和4年(1767年) - 文政8年2月21日(1825年4月9日))は、信濃国(現長野県東御市)生まれの江戸時代の大関。
 力士生活21年、江戸本場所36場所中(大関は27場所)で通算で喫した黒星がわず かに10、勝率は9割6分2厘であり、大相撲史上、古今未曾有の最強力士に推す意 見も多い。
 
・沓掛の時次郎碑(長谷川伸が発表した戯曲の主人公)


【馬頭観世音】
江戸時代後期、中山道を往来する馬の息災延命を祈り、建立された。
歩いていると随所に建立されている。


【遠近宮(おちこちのみや)】
(信濃なる浅間の獄に立つけふりをちこちの人の見やはとがめぬー在原業平)


【追分宿郷土館】
結構整理されていて見やすかった。
入館料400円は取らないか100円位にして、もっと多くの人に見てもらえばいいのに、と思った次第。



【諏訪神社と一茶の句】
 有明や浅間の霧が膳(ぜん)を這(は)ふ
 
夜が明けても、まだ空に月が残っている。早立ちのために食膳につくと、浅間山の方から霧が流れてきて膳のあたりを這っている。〔季語〕霧




【泉洞寺】(追分宿)
山門の周りの紅葉が綺麗だった。
下は、堀辰雄が気に入っていた如意輪観音の半跏思惟像(地元では歯痛止めの仏様)



【追分の分去れ(わかされ)】
・北国街道と中山道の分岐点
・北国街道道標  森羅亭万象の歌碑(平賀源内の門人・桂木甫燦三)道しるべ石(さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿  常夜燈(1789建立)


【御代田の一里塚跡】
・長野県下でも数少ない一里塚で、榎ではなく、見事な枝垂桜だ。



・倒木や崩れた土砂で道が塞がっている。潜って通過する。
・引き抜いて、正しく立て直しておく。
この道を通り抜けたところに「全面通行禁止」の表示板があった。


雲が流れ、青い晴れ間が広がってきたが、浅間山の頂上付近の雲はなかなか取れない。雪の頂上を見たい。
気温は8度位だ。街路樹の花梨の木は、熟した花梨の実を付けていた。
2、3個持って帰ればよかったかなーと思っている。砂糖漬けは、結構いけるのだ。
昔は、風邪といえばこれを食べさせられた。


こんな街道を歩いていると、懐かしく、「ホッ」とする。




【龍雲寺】(岩村田宿)
・曹洞宗の寺で、佐久に進攻した武田信玄が越後から北高禅師(越後・雲洞庵)を 迎えて中興。
 北高禅師が伊那の駒場で病死した信玄の遺骨を持ち帰り、ここにひそかに埋葬されたという。
・昭和6年骨壺が発見され、中から骨と島田助宋作の短刀、
「大壇越信玄千時天正元年酉年四月十二日於駒場卒戦時為舎利納慈、北高和南頂百
 拝」と記された袈裟環が発見され、言い伝えが確認された。





【鼻顔(はなづら)稲荷神社】(岩村田宿)
・京都清水寺を彷彿させる景観
 地元の佐久長聖高・野球部の連中に案内してもらった。いい感じの連中だった。
 頑張れよ!


神社の脇を、湯川が静かに流れている。夕方の静寂。


陽はもうすぐ落ちる。雲が綺麗だ。(鼻顔稲荷神社から)


陽が落ち、ようやく雪を冠した浅間山が頂上を見せ始めた。


幻想的な雲の上に、三日月が。(岩村田宿上空)

【今回の旅】
・実施日 平成19年(07)11月13日(火)午前10時から午後5時      
・天 候 曇りから晴れ 気温8~9度前後か、さすが風が吹くと寒い。
・メンバー4人
・距 離 約28Km(35,000歩前後か)
・見 所 龍雲寺の山門
・食 事 昼飯を食おうとそば屋の前で迷っていた時、通りがかりの
     地元?のおばあさんが、小声で「ここは美味くないよ」と
     おっしゃる。もっと先のそば屋の方が美味いというので朗報
     に感謝し、急ぎ行ってみれば「休みじゃー」。
     仕方なく入ったカレー屋兼スパゲッテー屋。 しょっぱ目の
     カレーに文句。このところ昼は駄目じゃなー。     
・満足度 満足。全体的に「いい旅・気持ちのいい旅」ができた。

【どこまで来たか?】
・宿  :六十九次中、22番目(岩村田宿)
・距離 :534Km中、166.5Km

【次回予定】
晩秋の信濃路、いよいよ中山道最大の難所和田峠越えへ 
 塩名田宿、八幡宿、望月宿、芦田宿、長久保宿、
 和田宿から下諏訪宿へ 


塩なた(広重画)


八幡(広重画)


望月(広重画)


あし田(広重画)


長久保(広重画)


和田(広重画)


下諏訪(広重画)

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援農ボランティア作業日誌-94-

2007年11月07日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)




07-11-7
【今日の作業】
1.みかんの収穫
2.柿の収穫
 東京でもみかんが採れる。今年のみかんは甘いなー。
 今年の猛暑は、果実には良かったのか?
 みかん、柿ともに、品評会出品用、産業祭出荷用を収穫した。


ゆずも順調。出荷は12月の冬至前。ゆず湯にゆっくり入ろう。
冬至は12月の22日。この日、北半球では太陽の高さが一年中で
最も低くなる。そのため昼が一年中で一番短く、夜が長くなる。
この日を境に、一陽来復、日脚は徐々にのびていく。
冬至の読みは「とうじ」。湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」
にかけてる。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きます
ように」という願いが込められているんだって。


今年の里芋は何か変じゃないかなー
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0711舞子行

2007年11月05日 | 【2】舞子ライフ

07-11-2
舞子高原の朝 じっと見ていても飽きない。



大源太湖の秋 紅葉、銀杏などの木が欲しい感じだ。



晩秋の舞子高原スキー場を散策する。
今シーズンも、ゆっくり、じっくりスキーが出来ますように。
雪の量は、多過ぎず、少な過ぎずでお願いしたい。
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