高崎宿から板鼻宿を通り安中宿へ
○三代将軍家光の弟(秀忠の三男)忠長の墓(大信寺内)
高崎城に幽閉・自刃、享年29歳
将軍継承問題・・・二代将軍秀忠の忠長偏愛を、家光の乳母・春日局が
家康に直訴。家康は元和元年(1615)、家光を将軍の後継者に決定、
翌年没した。その後、忠長はで非行があったという名目など、家光に疎
んじられ・・・
大信寺内には、幼稚園が併設され、忠長の墓の周りは、無縁仏の墓か、
多数の墓石が集積され・・・嫌だねー
◎諏訪神社
土蔵造りの小さな神社、建物は龍の絡まる鳥居が張り付けてある。
信州諏訪より48の宝石を勘請した沼田城主真田氏が箕輪に祀うった2の宝石
のうち1つが祀られている。彫刻がすごい。物語風の彫刻も。
○高崎城跡・櫓・東門
○長松寺
写真中:天女絵(玄関天井なので結構傷んでいる)、下:本堂の龍
このお寺の、若い多分住職だと思うが、丁寧に忠長自刃の部屋を見せて
くれたり、本堂の龍(天井絵)、天女(天井絵)などお寺の歴史を含め
説明してくれた。(天井絵:狩野探雲作ー江戸時代)
こういう住職にはしっかりした檀家がついて行くだろうなと思う。
◎小林山達磨寺(開山は心越禅師)
【達磨寺縁起】
昔、碓井川のほとりに観音様のお堂がありました。ある年、大洪水
のあと川の中に光るものがあるので、里人が不審に思ってみますと
香気のある古木でした。
これを霊木としてお堂にお納めて置きますと、延宝八年(1680)
一了居士という行者が信心を凝らして一刀三礼、この霊木で達磨大師
の座禅像を彫刻してお堂にお祀りしました。
まもなく、達磨大師の霊地少林山として知られると、元禄十年(1697)
領主酒井雅楽頭は、この地に水戸光圀公の帰依された中国の帰化僧心越
禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫和尚を水戸から請じ、少林山達磨寺(曹洞宗)
を開創しました。
享保十一年(1726)水戸家は、三葉葵の紋と丸に水の微章を賜い永世の
祈願所とされました。
のち、隠元禅師を中興開山に仰ぎ、黄檗宗に改め以来法灯連綿として今日に
至っております。
遠くに妙義山が見えてきた。あの山の向こうは、信濃の国だ。
◎皇女和宮資料館(木島本陣の書院)
板鼻公民館が管理しているというので、お願いすると、女子事務員が別棟の
資料館のカギを開けてくれたはいいが、目も合わせず、一言もなしでカギを
開けて、公民館に帰ってしまった。なに?で皆でブーイング。
そんなことと資料館の中は薄暗く見難いし、系列だっていないしで10分位で
出てしまった。ったくーだ。何か巻物が埃だらけの棚の上に2,3乗っていた。
皇女和宮がこの板鼻宿に泊まった時の貴重な体験、資料があるのになー。
今回の旅で一番期待していただけに残念。この市には人材が居ないのか。怒。
改善委員会には、長松寺の和尚さんを入れるべきだ。本当に。
○原市の杉並木
植樹されたのは731本、日光の杉並木と並び称された。
昭和8年321本、52年57本、現在は?
榛名山
○原市八本木地蔵堂(100年に一度ご開帳。日本三地蔵の一つ)
丁度、中秋の名月だった。6時、磯部に到着。陽が短くなった。
【今回の旅】
・実施日 平成19年(07)9月25日(火)午前10時から午後6時
・天 候 晴れ 気温30度前後か、汗だくになってしまった。
・メンバー4人
・距 離 直線で16Km位(自宅から自宅33,757歩・約24Km)
・見 所 諏訪神社
長松寺本堂の天井絵(龍)
小林山達磨寺
・残 念 「皇女和宮資料館」が全く整備されていなかったこと。
・驚 き 板鼻公民館の女子事務員の態度
・満足度 あまりない。
磯部で見た中秋の名月と『恵みの湯』には満足。
【どこまで来たか?】
・宿 :六十九次中、15番目(安中宿)
・距離 :534Km中、125Km
【今回の駄作俳句】
・秋彼岸 忠長さびしき 大信寺
・秋暑し 皇女泊まれし 板鼻に
・中秋の 月に照らさる 磯部かな
【次回予定】
松井田宿、坂本宿を通り、いよいよ碓氷峠越え
軽井沢宿へ。
いよいよ信濃路。
松井田宿(広重画)
坂本宿(英泉画)
軽井沢宿(広重画)
○三代将軍家光の弟(秀忠の三男)忠長の墓(大信寺内)
高崎城に幽閉・自刃、享年29歳
将軍継承問題・・・二代将軍秀忠の忠長偏愛を、家光の乳母・春日局が
家康に直訴。家康は元和元年(1615)、家光を将軍の後継者に決定、
翌年没した。その後、忠長はで非行があったという名目など、家光に疎
んじられ・・・
大信寺内には、幼稚園が併設され、忠長の墓の周りは、無縁仏の墓か、
多数の墓石が集積され・・・嫌だねー
◎諏訪神社
土蔵造りの小さな神社、建物は龍の絡まる鳥居が張り付けてある。
信州諏訪より48の宝石を勘請した沼田城主真田氏が箕輪に祀うった2の宝石
のうち1つが祀られている。彫刻がすごい。物語風の彫刻も。
○高崎城跡・櫓・東門
○長松寺
写真中:天女絵(玄関天井なので結構傷んでいる)、下:本堂の龍
このお寺の、若い多分住職だと思うが、丁寧に忠長自刃の部屋を見せて
くれたり、本堂の龍(天井絵)、天女(天井絵)などお寺の歴史を含め
説明してくれた。(天井絵:狩野探雲作ー江戸時代)
こういう住職にはしっかりした檀家がついて行くだろうなと思う。
◎小林山達磨寺(開山は心越禅師)
【達磨寺縁起】
昔、碓井川のほとりに観音様のお堂がありました。ある年、大洪水
のあと川の中に光るものがあるので、里人が不審に思ってみますと
香気のある古木でした。
これを霊木としてお堂にお納めて置きますと、延宝八年(1680)
一了居士という行者が信心を凝らして一刀三礼、この霊木で達磨大師
の座禅像を彫刻してお堂にお祀りしました。
まもなく、達磨大師の霊地少林山として知られると、元禄十年(1697)
領主酒井雅楽頭は、この地に水戸光圀公の帰依された中国の帰化僧心越
禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫和尚を水戸から請じ、少林山達磨寺(曹洞宗)
を開創しました。
享保十一年(1726)水戸家は、三葉葵の紋と丸に水の微章を賜い永世の
祈願所とされました。
のち、隠元禅師を中興開山に仰ぎ、黄檗宗に改め以来法灯連綿として今日に
至っております。
遠くに妙義山が見えてきた。あの山の向こうは、信濃の国だ。
◎皇女和宮資料館(木島本陣の書院)
板鼻公民館が管理しているというので、お願いすると、女子事務員が別棟の
資料館のカギを開けてくれたはいいが、目も合わせず、一言もなしでカギを
開けて、公民館に帰ってしまった。なに?で皆でブーイング。
そんなことと資料館の中は薄暗く見難いし、系列だっていないしで10分位で
出てしまった。ったくーだ。何か巻物が埃だらけの棚の上に2,3乗っていた。
皇女和宮がこの板鼻宿に泊まった時の貴重な体験、資料があるのになー。
今回の旅で一番期待していただけに残念。この市には人材が居ないのか。怒。
改善委員会には、長松寺の和尚さんを入れるべきだ。本当に。
○原市の杉並木
植樹されたのは731本、日光の杉並木と並び称された。
昭和8年321本、52年57本、現在は?
榛名山
○原市八本木地蔵堂(100年に一度ご開帳。日本三地蔵の一つ)
丁度、中秋の名月だった。6時、磯部に到着。陽が短くなった。
【今回の旅】
・実施日 平成19年(07)9月25日(火)午前10時から午後6時
・天 候 晴れ 気温30度前後か、汗だくになってしまった。
・メンバー4人
・距 離 直線で16Km位(自宅から自宅33,757歩・約24Km)
・見 所 諏訪神社
長松寺本堂の天井絵(龍)
小林山達磨寺
・残 念 「皇女和宮資料館」が全く整備されていなかったこと。
・驚 き 板鼻公民館の女子事務員の態度
・満足度 あまりない。
磯部で見た中秋の名月と『恵みの湯』には満足。
【どこまで来たか?】
・宿 :六十九次中、15番目(安中宿)
・距離 :534Km中、125Km
【今回の駄作俳句】
・秋彼岸 忠長さびしき 大信寺
・秋暑し 皇女泊まれし 板鼻に
・中秋の 月に照らさる 磯部かな
【次回予定】
松井田宿、坂本宿を通り、いよいよ碓氷峠越え
軽井沢宿へ。
いよいよ信濃路。
松井田宿(広重画)
坂本宿(英泉画)
軽井沢宿(広重画)