中山道六十九次、25番目の宿
・望月牧は朝廷の官牧。平安朝の初期、清和天皇の貞観七年(856)から、天皇が毎年、八月十五日、
満月の日に、この御牧から献上される馬をご覧になる儀式があったので、望月の地名が起こったとされる。
献上される馬は信濃十六牧八十四匹のうち、望月の駒が二十匹を占め、八月十五日京都到着を目指し、
八月一日、千曲川西岸の御馬寄を出発した。
京都では望月の駒のくる日を待ち構えていて、その日は左右馬寮の頭や宮廷の役人が逢坂の関まで
出迎えることになっていた。(駒迎)
逢坂の関の清水に影見えて
今や引くらん望月の駒(紀 貫之)
望月の駒引く時は逢坂の
木の下闇も見えずぞありける(恵慶法師)
あづま路をはるかに出づる望月の
駒に今宵や逢坂の関(源 仲正)
・三代将軍徳川家光の時に定められた参勤交代のために、中山道は東海道についで諸大名の往来が激
しくなった。
・幕末の文久元年、考明天皇の妹和宮親子内親王が十四代将軍家茂へ御降嫁の際の大行列では、
数万の人足が動員された。
・和宮の御下向から3年後、元治元年、天狗党の水戸浪士軍千余人望月宿に一泊。
以上、「佐久の道と歴史」(大澤洋三著)による。大澤氏は茂田井出身、我母校、望月高校の教師でもあった。
「望月物語」他著書多数。佐藤春夫門下
・8月15日の「榊祭り」には久しく行っていない。
【榊祭り】
信州の奇祭として名高い榊祭りは毎年8 月15 日の夜に行われる。
火と榊によって一切の不浄を払い浄め、五穀豊穣や無病息災を祈る
大伴神社の例祭。500年の歴史がある。