11-5-30 水道道路散歩中にて。雨上がり、せんだんの花が、満開だ。
11-5-26
プラン2の主な内容(プラン1に追加 ど素人の思い込み)
早く復興ビジョンを確定させ、雇用主体を作り、全被災民を雇用する。復興ビジョンの策定、事業の推進に当たっては、必ず地元の意見を取り入れる。
①海岸からある程度離れたところに築く防波堤は、高さ20m、鉄板・鉄網入りの強固なものとする。この防波堤建設は、本復興プランの一つの根幹を成すものであり、確実にかつスピーディに工事を進め、完成させる。(完成を待って、一部避難所・仮設住宅を移転・新設する。)
②防波堤の海側斜面は、「太陽光発電パネル帯」とする。(受光可動式、津波・塩害対策) パネル発注に当たっては、メーカー側に被災住民の一時雇用と研修を要請する。
③防波堤完成後は、それに沿ってガレキの集積場とし、分別(有無害・各種分類)工場とする。有害ガレキは、別処理を検討。
④橋梁を建設し、防波堤の間の上部は自転車・遊歩道、自動車道とする。(電車は埋立地の端を使ったほうが合理的かも知れない) この道路・電車を観光コースとして生かす。
⑤山側の学校、病院、老人ホーム、公共施設、宅地、役所、商店街など、造成のために出た土を橋梁に沿って埋め立て、耕作農地とする。(廃材など無害のガレキも埋めたてに使う) 造成後は、地盤を強固にさせるため、常緑広葉樹を中心に植樹する。(宮脇方式を採用)
⑥埋め立てた上に、更なる津波対策・緑化・観光対策として、「緑の防波堤」を作る。この大自然の林の中に、トレッキングコースを作り、国内・世界の観光客を誘致する。
http://takaeco1.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1a89.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%98%AD
⑦バイオ燃料「ボトリオコッカス」栽培場を海側に、橋梁内側に「オーランチオキトリウム」の栽培実験農場を作る。オーランチオキトリウム栽培場は半地下とし、屋根には太陽光発電パネルを設置する。
http://wiredvision.jp/blog/yamaji/201102/201102251301.html
http://d.hatena.ne.jp/Farmers_Energy/20110125/p1
◎将来的に、太陽光発電による売電、オーランチオキトリウムなどによる石油の加工・販売などにより、復興プランにかかる費用の一部の返済に充てる。なお、本プラン実行に当たっては、初めから、原発の影響下にある、福島の一部の農家・漁業者の希望者を募集し、受け入れる。
プラン3は、もう少しマンション棟について考えてみる。
今でも避難民10万人、なんとこの国のリーダー達の動きが悪いことよ。強い、本当のリーダーでないと、どうしようもないのか・・・。
五智国分寺三重塔 欄間彫刻 見事。
北国街道歩き(最終回) 日本海に向け、北へ北へ
第一日目(平成23年5月22日) 関山宿から二本木宿へ
【残雪の妙高山】
やや冷たい風が、歩くのに心地よい。標高2,454m、越後富士とも呼ばれる。深田久弥の「日本百名山」の一つ。山麓の大斜面はわが国の最も古いスキー場といわれる。
【関山神社】
新緑の中の、静かな神社妙高山の里宮として1818年に建立された。社殿は総ケヤキの権現造り。金比羅さんや弁財天、亀石や座禅石がある。毎年7月に開催される火祭りは、1200年の伝統を守り受け継がれている。
山の天気は変わりやすい。時々、冷たい風が吹き下りてくる。
◎二本木宿 松田旅館に宿泊
第二日目(5月23日) 二本木宿から高田宿(北国街道終点)へ
【賀茂神社】
賀茂神社の創建等の詳細は良く分からないそうだ。ただ、周囲の産土神らしい。銅板で囲われた鳥居や多くの石灯篭は信仰の広さや篤さを示す目安になるので格式の高い神社か。街道沿いに鎮座しているので多くの旅人などにも参拝があったのではないか。
【照光寺】
住職夫人によれば、明治の新井大火で寺の大半が焼けてしまい、残ったのは欄間の彫刻(言い伝えによれば、左甚五郎作とか)と鐘つき堂のみとか。
【東本願寺新井別院】
頸南地方の末門や門徒を支配統轄するために創設された別院は貞享2年(西暦1685年)の開基。境内には親鸞聖人ゆかりの恵信尼の御堂や新井出身の画家・森蘭斎の墓もある。毎年11月には「おたや」が開かれ、賑わいをみせている。
◎高田宿 大手屋旅館に宿泊
【高田城】
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。天守はなく、1614年に3重3階の三階櫓を建てて天守の代用とした。当時の三階櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%9F%8E
桜で有名な高田城。東北大震災がなければ・・・と思ったが、新緑の高田城もまたいい。
第三日目(5月24日) 高田宿より、日本海・直江津へ
【高田の雁木】
大雪の時の生活通路として作られた雁木は、アーケードなどと違って、通路も軒も家々の所有で、各戸で設置・維持される。江戸時代初めに最初の雁木が造られて以来、時には3メートル以上の雪が積もる豪雪地・高田では、雁木も延びていった。
上越市の2000年の調査では、高田の雁木通りの総延長は約16キロ・メートル。市全体では約18キロに及ぶという。
【鉄梯子】備え付けの雪下ろし用の鉄梯子。垂直過ぎて怖いよなー。毎年事故が多く起こるそうだ。
【春日山神社】
山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社。明治23(1890)年に、童話作家・小川未明の父小川晴明によって創建された。
【林泉寺】
上杉謙信の曾祖父長尾重景が、名僧雲英恵禅師を開山として創建。上杉氏後の越後領主堀氏、高田城主松平・榊原氏の菩提所
林泉寺山門
【五智国分寺】 三重塔
天平年間(729~749)に創設された越後の国分寺。1562年(永禄5)上杉謙信の再興と伝わる。1856年(安政3)建立で、高さ25mの三重塔には十二支の彫刻が施され、伽藍は未完ながら県の文化財に指定。本堂は焼失したが、平成9年に再建された。境内には親鸞聖人が流罪生活を送った竹之内草庵があり、自作の等身大の木像が安置されている。
【直江津 居多ヶ浜】
1207年、越後国に流された親鸞は直江津居多ヶ浜に上陸したんだと。この直江津は信州の小学生が6年生の修学旅行で、初めて海を見る浜でもあった。テレビがない時代、初めて見る海に皆感動したものだ。その時と同じように海水を少し舐めてみた。
第5回目の旅(最終回)を終えて
・歩いた距離
5月22日(日) 12,871歩 9,07Km
5日23日(月) 31,370歩 21,96Km 早朝散歩3,867歩 2,60Km
5日24日(火) 18,164歩 12,71Km 早朝散歩5,083歩 3,56Km
・良かったところ
妙高山
新緑・大自然
歩きやすい天気、気温
高田本町通りの司寿司(大手屋旅館の紹介)と大手屋旅館の朝食
次回は、来春、桜咲く季節、
「日本横断(尾張・信濃・越後)・塩の道」に挑戦できるか?じっくり検討。
11-5-18 援農268 陽射の強い日、ジャガイモ畑の雑草取り。雑草からジャガイモを助け出す。
ボランティア畑の野菜たち
11-5-13 久しぶりの新潟・舞子。いつもの年より、春が遅いようだ。つくしとふきのとう。
わらび
田植えを待つ。
大源太山・大源太湖 春の息吹。
初めて、 関越自動車道寄居PA(上り)の『Restaurant LE PETIT PRINCE』星の王子様PAのビュッフェスタイルレストランに寄って見た。朝食800円は結構美味かった。
11-5-12 今日は一日 雨の日。何時か歩こうと思って買っておいた雑誌を、少し検討。スケッチブックを持って歩くのに、丁度いい散歩道が沢山ある。全24コース。(交通新聞社 2010・6)
福島原発の解決、目処立たず。かえって悪い方向になってきている感じだ。福島から300Km、東京を通り越して、神奈川県南足柄郡の茶葉が、基準値を上回る放射能(セシューム)汚染。土壌からきているとすれば、関東一円の土壌はどうなっているんだろうか?と思う。しっかりした情報がなかなか出てこない。
非常時に止めようがない、止める手段・方法をもたない原子力への戦いを、自分はただ見守っているしかない。
新緑の季節、新鮮な空気を吸いながら、ゆったり近郊を散歩したいものだが、どうもその気が起きない。
・明治神宮外苑から新宿御苑へ 港区・新宿 ・浜離宮恩賜庭園から芝公園へ 中央区・港区 ・多摩川台公園から六郷用水遊歩道へ 大田区 ・観蔵院から石神井公園へ 練馬区 |
コラム
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11-5-9 東銀座の「いわて銀河プラザ」(岩手県のアンテナショップ)にて、ささやかな被災地支援を。
購入品・・・紫波の地酒「月の輪」(辛口、無農薬純米酒)、黒糖まんじゅう、おばあちゃんの南部煎餅、岩谷堂羊羹、フェリシャス鉄せんべい、同カルシュームせんべい、志賀ごま煎餅、白はっか糖で3,925円也。
いわて銀河プラザ http://www.iwate-ginpla.net/
久しぶりに銀座「登亭」で昼飯、美味かった。ビールは我慢、暑い日で迷ったが。
11-5-9 ドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を観た。(ヒューマントラストシネマ有楽町。1600円の内、200円は東日本大震災の義援金)
原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。(作品資料より)
公式サイト http://www.uplink.co.jp/100000/
上映館情報 http://www.uplink.co.jp/100000/theater.php
フィンランドでは現在原子力発電所は4基、合計グロス出力276万kWが運転中である。懸案となっていた同国5基目となる新規原子力発電所建設計画は2002年5月、議会の採決を経て承認された。・・・日本の原発は現在54基といわれる、膨大な数だ。増え続ける「使用済み核燃料の最終処分場」はどこに持っていこうとしているのだろうか?地震、津波、火山列島の日本に最終処分場は出来るのか?時の政権への監視役を担うべきメディアは、その役割を果たしていないように見える。電力会社からタップリの広告料や研究費が入っているといわれる今の新聞、テレビや御用学者、そして大きな利権に結びついているといわれる政治家からは、残念ながら、「真実」や「将来の展望」は語られそうもないと思う。
原子力エネルギーを使う以上、最終処分は「その国の責任だ」と、このドキュメンタリーは語っていた。このドキュメンタリーは日本の多くの人々必見の映画だと思う。
11-5-6 援農267 小雨。先日蒔いたいろんな野菜の種が順調に芽を出し、植えた苗が育ってきている。
アスパラガス