上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

高松英郎さんのこと。

2007年03月02日 | 日記
23歳の夏に1週間だけ瀬戸内の小島に居た事が在る。

田中裕子さん・荻野目慶子さんW主演のドラマのロケに録音のサード(一番下っ端)として行ったのだが、その時ご一緒した方が高松英郎さんだった。
業界に入って半年近くが過ぎていたので、役者さんに会って緊張することは余り無かったが
(当時の所属会社の専務が田中裕子さんのファンで、専務命令で女子高生姿で出待ちの田中さんにサインを頂いた時は緊張しました。)
高松さんと昼食で向かい合わせになった時、少し緊張してお話をした事だけは鮮明に覚えている。

その時、高松さんがこんな事をおっしゃった。
「兄ちゃん、こんな飯であんな重労働、大変な仕事だろ?全くやってらんねぇよな。
でも頑張れよ。」

確かにロケ先の小さな食堂での昼食で、質素ではあった。
(まさに世はバブルの真っ只中。飽食の時代でした。)
しかし私には、もの凄く意外な言葉だった。

子供の頃からTVを通してよく知っていると思っていた熱血漢の頑固親父から、生でこんな事を言われたのは、地方ロケに来て有頂天になっている23歳の若造にはメガトン級のインパクトだった。

ここはプロの現場なのだと、決して夢や憧れだけで出来る浮かれた仕事では無いのだと、再認識させられた。

今でも、プロフェッショナルとアマチュアの違いを考える時、この事が頭に浮かぶ。

2/26の高松さんの訃報を目にして感慨深い。
私の人生に大きな示唆を与えて下さった方がまた一人この世を去った。

ご冥福をお祈りいたします。

GREEから転載の日記「新しいパートナー」

2007年03月02日 | 日記
今回、新しくマルチリンガルアウトソーシング社と業務提携することになった。
月明けには、当社からの提携第一陣が出発することになる。
M社はジャスダックに2008年8月までに上場すると公言している俊英な代表者が率いる若者達の会社だ。
彼らなら必ずやり遂げる事だろう。その為の企画・陣容も整っているようだ。
ただ、自分のレッズ時代のことを思い出すと、彼らがチームメイトのままゴールすることを願ってやまない。
偶然だが、レッズ商事部で取り扱っていたサッカーゲームがM社の事務所に置いてあったのは何かの縁だろう。

話は変わるが、昨日時田貴志が芝居を続けているのをネットで知った。
「下北沢駅前劇場」で4月27日(金)~4月30日(月祝)までやるそうだ。
時田はスクエアエニックス創業以来の生え抜きで第7開発部の部長なので一生喰うには困らないのだろうが、とても意外だが嬉しいことだ。
彼の作ったファイナルファンタジー4は今も下の娘が遊んでいる。
他のサイトで見た、ゲーム雑誌の取材に答える写真の彼は17歳の時に私がファインダー越しに覗いたそのままの笑顔だった。

こうして、上海に居て、四半世紀振りに友の顔を見る事が出来るのは、インターネット社会のお陰だと思う。
モデムの普及を通じて今のインターネット社会構築の些細な部分を担ってきた自分の仕事が無駄では無かったと知ることはとても嬉しい事でもある。

いつかまた川崎と時田と一緒にドラマを撮る日が来ることは無いのは知っているが、あの夏の日をまた思い出してしまった。