『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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2009年11月25日(水)

2009年11月25日 00時00分01秒 | Weblog
「必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」
ロバート・アーウィン著 西尾哲夫訳

やっと読み終えた。
前嶋信次著「アラビアン・ナイトの世界」と合わせて、
だいぶ、楽しめた。

アラビアン・ナイトは、
現存最古の断片は、9世紀のもののようであるが、
さまざまな物語の原型は、紀元前何世紀にも、
さかのぼれる。

東方の物語は、西洋のあらゆる娯楽文学に、
影響を与えてきた。

面白いお話があると、
やはり、誰かに話したくなって、
それが、伝わって、広がっていく。
元は、誰が作ったとか、話したとかは、
わからなくなっても、
面白いお話は、いろんな形で、いろんな場所に。

世界中の、あちらこちらで、
面白いお話が、生まれて、
それらが、わーっと広がって、
ある日、一番最後ぐらいに、僕が聞く、
というような場面を、思い浮かべて、
楽しいのであった。

面白いお話があるよと、
誰に話しても、もう知ってるなんて、
もう、自分で、それ以上のお話を、
作るしかない、という。

様々な教養があってこそ生まれる、深い展開や、
パロディーだって、とっても面白いことである。
それらの工夫も、新しい発明に違いない。

何の影響もなく、新しいものを作るなど、
不可能ではないか、と思われるが、
もし、できるなら、これもまた、すごいことである。

今朝見た夢など、なんの脈略もなく、
僕が、ある有名歌手と電車に乗っていて、
開きにくい窓を、上手く開けて、褒めてもらうという、
個人的には、大変楽しめた、お話であった。

「真実は一つの夢にではなく、
複数の夢に現れる」と。

洋司

2009年11月24日(火)

2009年11月24日 00時00分01秒 | Weblog
源氏物語、賢木(さかき)の巻、
御息所、伊勢下向を決意。

源氏より、13~14歳ほど年上の、御息所、
夫が亡くなってすでに十年以上というところ。
もともとは、
源氏の熱心な求愛を受け入れたのである。

が、源氏には、若い女性がたくさんいる。
御息所は、しだいに冷たくされ、会うこともない。

御息所は、もう嵯峨野を去ろうと決意。
伊勢に旅立って、二度と帰らぬ、と。

それを知った源氏、久しぶりに、
御息所を訪ね、ちょっと会うだけでいい、
といいながら結局、入り込む。

悲痛な思いで、胸しめつけられて、
よよと泣く。

声を出して泣くのは、男のほう。

源氏物語、原文と訳と、解説を、
少しずつ、読んでいるところであるが、
その解説に、「よよと泣く」と。

泣くのは源氏のほう。

よよと泣く、は、辞書で引けば、
しゃくりあげて、おいおい泣くことのようである。

おいおい、も、言えば、えんえん泣くみたいな、
泣いている音声から、きた言葉かもしれない。
よよ、も、
しゃくりあげる音が、よ、よ、と聞こえたからか。

聞き分けられる耳、と正確に表現できる力か。

よよ。
聞いたことはあっても、使ったことはない。
まえの、「げに」みたいに。

「越境者 松田優作」(松田美智子著)を読んでいて、
ある場面で、優作が泣くところがある。

えんえん、でもないだろうし、おいおいでもなさそうで、
しくしく、もちょっと。
よよ、なら、などと、思ったところであった。

洋司

2009年11月23日(月)

2009年11月23日 00時00分01秒 | Weblog
神経細胞から伸びる「情報の通り道」の太さをコントロールするたんぱく質を見つけた、と。

たんぱく質って、いろいろあるものである。

アミノ酸が約20種類あって、
人間の体は約10万種類のたんぱく質から構成されている、と。

このうち、9種類は体内で合成できないので、
食物から摂取しなければならない。これが必須アミノ酸、と。

体内で、合成できないのに、どうして、
体内に、あるのか。

一番最初の人には、なかったのか。

よく調べれば、わかることなのであろうが、
ここでは、調べないのであった。

洋司

2009年11月22日(日)

2009年11月22日 00時00分01秒 | Weblog
「大都会」シリーズは、見てなかったなぁ。

「探偵物語」は大好きで、
そのあとに、たぶん
「俺たちは天使だ」とか、
「プロハンター」があって、
やはり大好きで、見ていた。

「傷だらけの天使」は、
ちょっと見るには、
僕が小さすぎたか。

ま、そういう刑事、探偵もの、を、
やっぱり、好きな、子供であった。

松田優作、沖雅也、草刈正雄。

三浦友和も、よかったけどね。
これも、こっちがちょっと小さすぎた。

前にも書いたかもしれないが、
僕が、小学生の3年か4年のころ、
三浦友和が、ドラマで、
悪いやつにむかって、
「やめたまえ!」と、言っているのを聞いて、
早速、学校で、
一応、しかるべき場面で、
「やめたまえ」って言ったら、
笑われたのであった。
場は和んだが、
ちょっと、恥ずかしかったなぁ。

沖雅也は、ブーメラン飛ばしてたから、
やはり、僕も厚紙で、ブーメラン作って、飛ばしたら、
屋根に引っかかったのであった。

松田優作は、中学の友達に、
松田優作を、ちょっと小さくしたような感じの男子がいて、
本人も、だいぶ意識していたので、
僕としては、真似はできないなぁ、と思ったことであった。

草刈正雄は、スカジャンみたいなのを着ていて、
かっこよかったところ、それを知ってか、母が、似たような、
洋服を買ってきてくれて、あれは、嬉しかったなぁ。

高倉健、ちょっと年上過ぎたか。
「あ・うん」は大好きだった。

そういう世代である。
ちょっと、前に、久々に、半田健人。
これは、昭和の匂いがしていたからかもしれないなぁ。

まずは、藤岡弘、かぁ。

洋司

2009年11月21日(土)

2009年11月21日 00時00分01秒 | Weblog
ライブも一週間後に迫ってきた。
本日は、そのThe東南西北が、
24年前にレコードデビューした日である。

1985年11月21日は、
僕は19歳になって、1ヶ月もたっていない、
というところ。

当時は、CDなどない。

レコードである。
ちょっとはやっていた、
12インチのシングルレコードであった。

LPレコードと同じ大きさ、といっても、
今、それと比べるようなもの、といったら、
ピザ、ぐらいか。

しかも、レコードは、裏面も聞けたからね。

裏面を聞いているときには、
表のほうが、裏になっているわけであるが、
それなのに、
今、聞いているのは、裏、っていう、
パラドックス。

洋司