ヘブライ語旧約聖書翻訳研究

原典に近く若者にもわかりやすい翻訳を目指しています
翻訳間違いやより良い和訳がありましたらコメント頂ければ幸いです

イスラエル 暦

2022-09-24 17:25:54 | 歴史

イスラエル 暦

 

 

9月26日      新年

 

10月5日      ヨム・キプール 贖罪の日

 

10月10日~    仮庵の祭り

 

10月17日、18日 シムハット・トーラー 律法の感謝祭 


歴史

2022-09-24 07:21:43 | 歴史

歴史

年表のとある説を紹介します


bc4005~4004             天地創造

bc1407 TISHRI 10TH      約束の地に入る

bc967~966          ソロモン神殿    約束の地に入ってから9jubilee

bc588~574             エルサレム崩壊

ad2022 9月26日        70回目の jubilee 始まる


という説があるのですがホントの所、どうでしょうか?
天地創造年は違うと思います。
真の年表はかなり研究しないとたどりつけません。


北イスラエルとアッシリア  年表

2022-04-16 16:50:02 | 歴史

北イスラエルとアッシリア  年表

 

BC1021年  イスラエル建国
BC 922年  北イスラエルと南ユダに分離

BC 722年  北イスラエル滅亡 アッシリアに捕囚
          ある北イスラエルの民アッシリアから移動
BC 612年  新バビロニアやメディアの攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落
          北イスラエルの捕囚の民移動開始
BC 609年  ハランにアッシリア亡命政権がはじまった。
          アッシュール・ウバリト2世王がエジプト王ネコ2世と同盟した。
          新バビロニアと戦ったが敗戦して、アッシリアは滅亡した。

BC 586年   南ユダ滅亡 バビロン捕囚 
           南ユダの一部の民、バビロンへ行かずに移動
BC 537年   捕囚の民、エルサレムへ帰還 20万人帰国


歴史 アハシュエロス王

2022-01-22 16:58:04 | 歴史

歴史 アハシュエロス王

アハシュエロス王(クセルクセス1世)

アケメネス朝ペルシアの王

(在位:紀元前486年 - 紀元前465年)
ダレイオス1世とアトッサの息子

クセルクセス1世の在位期間に関しては、紀元前496年 - 紀元前475年頃説もある。これはペルセポリスから出土した銘文に父ダレイオス1世との共同統治期間が示唆されているためです。

ペルシア戦争期

紀元前480年、海・陸の大軍を整えギリシア遠征を計画した。
遠征の際、ヘレスポントス海峡に多数の船を並べて、それらを縄で連結させた橋を架けて、アトス岬に運河をきり開いて遠征軍を進めて、アルテミシオンの海戦でギリシア海軍と戦った。
ギリシア海軍がやや優勢だったが、テルモピュライの戦いでギリシア連合軍の陸軍が敗北したせいで、ギリシア海軍が自主的にサラミスへ撤退した。
同年8月、テルモピュライの戦いでスパルタ王レオニダス1世を戦死させた。
9月、アッティカ地方を遠征したが、サラミスの海戦で敗北した。
そして、帰国した。
紀元前479年8月、マルドニオスの率いる陸軍はプラタイアの戦いで敗北した。
敗残海軍はミュカレの戦いで撃滅されて、ギリシア軍の反撃に苦しんだ。

ギリシア遠征で大打撃を受けたクセルクセス王は帰国して、事実上ギリシア遠征は失敗に終わった。
その後、ペルシアは大規模なギリシア遠征を行うことはなかったが、ペルシア戦争自体は息子のアルタクセルクセス1世がカリアスの和約を結ぶまで継続した。

ペルシア戦争後
帰国後、有名な万国の門(クセルクセス門とも)などの大規模な建築事業やユダヤ人の保護政策などを数多く行ったが、これにより国の財政がさらに圧迫されて、次第に国力が衰えてアケメネス朝の衰退を招いた。

逸話
クセルクセスはまた「性剛情」とされ、アフラマズダ神の崇拝を強行しようとしたといわれる。 またアフリカを周航させたともいわれる。

エステル記
旧約聖書『エステル記』は、インドからクシュまでの127州を統べるペルシアまたメディアの王クセルクセスの時代を描いている。
この王は伝統的にクセルクセス1世と考えられており、かつての和訳ではアハシュエロスとされていた。