赤崁楼(せきかんろう)は1652年にオランダ人によって創設されたもので、もとはプロビンティア城(オランダ語で永遠の意味)と言われていたが、のちに中国人に「赤崁城」、「番仔楼」、「赤毛楼」などと呼ばれるようになった。
赤嵌楼の敷地の中に、鄭成功の像が建てられている。 鄭成功は,台湾南部を占領していたオランダ人を追い出した英雄として崇められているので、このような像が建てられた。
オランダ人により占拠されていた時代から行政要所とされ、1661年に鄭成功がオランダ人を駆逐した後、プロビンティア城を首府に制定した。
清代初期、台江が土砂で閉塞される前、赤崁楼のすぐそばまで波涛が達し、「赤崁の黄昏」は当時有名な台湾八景の一つであった。
赤崁楼の前には外地から運ばれ、清代に造られたという9基の石亀駄碑がある。伝説によれば石亀は龍が生んだ9人の子の一人で、重責を負わされていたため、亀の形にされたという。また、「断足の石馬」像は石馬が妖怪に化けて悪さをしに夜な街へ出てくるため、足を切られ現在の姿になったという話が伝わっている。
台南: かつて台湾南部はオランダに占領されており、台南はその拠点であった。当時、台湾北部はスペインに占領されていたが、オランダがスペインを台湾から追いだし台湾を支配する。
オランダの植民地支配は、中国本土から渡ってきた「鄭成功(母は日本人。)」によりオランダ人が撃退された結果、1661年に終結する。その後、鄭成功は38歳の若さで死去し、政治は清朝が司ることになる。
1885年に台湾の首府が台北に移るが、1661年から1885年までの224年の間、台南が台湾の首府であり、政治、文化の中心であった。台南は歴史のある古都であり、それだけに観光スポットも多い。
台南は台北とは異なり、熱帯性気候に属する土地で、景観も台北とはかなり違っており、街の雰囲気は真に南国である。