藤沢周平全集 第二十一巻 文芸春秋H18年(1997)発行 は、「三屋清左衛門残日録」と「秘太刀馬の骨」の二編が載っている。どちらもNHKでドラマ化されたものである。
仲代達也氏の三屋清左衛門のイメージが強烈に印象に残っている。仲代氏の描いた清左衛門が藤沢周平の描こうとした清左衛門と一致するのだかどうかは小生にはよく判らないが、それぞれ独自の清左衛門であるように思えてならないのである。
この最終章「早春の光」というものの中にある、次のような文が強く印象に残った。
竹馬の友である平八が、卒中を患ったがようやく歩行訓練を始めた姿を見ての記述である。
「――― そうか、平八。 いよいよ歩く習練をはじめたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればいい。
しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、このことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。
家に帰りつくまで、清左衛門の眼の奥に、明るい早春の光の下で虫のようなしかし辛抱強い動きを繰り返して、大塚平八の姿が映ってはなれなかった。今日の日記には平八のことを書こう、と思った。」
清左衛門の時代より現代はかなり寿命が延びた関係で、あら古希世代の小生は、年齢的には一回り以上若い清左衛門(五十代半ば)と同じような肉体年齢だろうと思っている。これが年齢的な共通点であり隠居だという点でも一致しているのである、さらにもう一つの小生との共通点は妻を亡くしているという点である。
これら以外には、あらゆる点で小生とは似通った点がない。仲代-清左衛門はあまりに格好良すぎて、小生の憧れの埒外になってしまった。むしろ小生の憧れの人物が周平の清左衛門であろうと思っているが、さりとてこれとても手の届く範囲ではない。