司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読もうと探したが見当たらないので「新史 太閤記」を読んだ。
「露と置き霧と消えねるわが身かな
浪華のことは夢のまた夢」
の秀吉の辞世の句で終わっている。
その本の解説に、「司馬さんは、外国人が読んでも分かる小説を書いた」という一節があった。日本の歴史を全く知らない外国人が読んでも分かるように書いたといういう意味である。
登場人物を生き生きと描くことに長けている氏の作風は、こんなことも理由にあるような気がしている。
この本を今回読み直して、秀吉はシーザーに似ていることに気がついた。それは敵を殺さない・許し配下に取り込んでしまうという寛容の点での類似性である。
塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読み、シーザーの寛容が強く印象に残っていた影響のためこのような感想を持ったのである。
シーザーにしろ秀吉にしろ、単に歴史上の大事を成した大人物というだけでなく、長く人々に慕われるのは、この寛容の精神が人々の心をとらえているためだろうと思っている。