本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

さまよう刃 東野圭吾

2007-07-14 | 小説

 少年法の問題に正面から取り組んだ作品ということで、少し前に話題になっていた作品ですね。未成年の凶悪犯罪者を社会はどう扱うかという問題は、結局のところ誰もが納得する答えのない問題なのではないかと思いますが、そういう意味で、東野さんもこの作品では、明確な結論を提示できずに終わってしまったようです。

 

 長峰は妻を亡くした後、大切に育ててきた娘を強姦し死に至らしめた未成年の少年の一人を殺害し、残りの一人を追います。世間は圧倒的に父親に同情的。かといって、結局は他人事。

 

 私自身は、正当防衛は別として、もし人を殺してしまったら、年齢や精神状態にかかわらず、それは”命”でしか償えないのではないかと思っています。ただ、殺人者の命をもって償ったとしても被害者が生き返るわけではないので、結局のところは”意味のある償い”といっても、結局は残された家族などに対するものになるのでしょうか。それとも社会に対するものになるのでしょうか?

 

 東野さんの”手紙”という作品は、結局殺人者は、いくら反省しても、更正しても”許される”ことはないのだということがテーマになっていました。遺族には、殺された人の代わりに加害者を許すことはできないのだということが最後に提示されて愕然としましたが、この作品ではそこまで衝撃的な結末にはもっていけなかったので、ミステリーとして少し”えっ!”と驚かせるオチがサービスで入っていました。

 

 結局のところ、長峰を最後まで走らせ続けたのは、この事件を犯人の逮捕で終わらせたくないという切実な思いだった。少年や自分が自首したのでは、そのうち世間はこの事件を忘れ、そのころ少年は何食わぬ顔で社会に戻ってくる。そのことが許せなかった。

 

 山口県光市の母子殺害事件の被害者の夫は、そういう意味ではとてもつらい何年かを自分を世に晒しながら、世間の関心を集め続けています。あの殺された母子の幸せそうな写真が出るたびに何の関係もないけれど、犯人を憎まずにはおられないですよね。人権擁護となかんとかいって、妙な法廷戦術を使って少年を死刑から逃れさせようとする弁護士さえ、憎たらしく思える。でも、それでももし少年が死刑になったとして、世の中は変わるんだろうか??少年たちに何か変化が起こるのだろうか?

 

 救いが必要なのは、遺族なんですね。だから意味のある償いのできるのは犯人ではなく、実は”世間”なのではないかと思った作品でした。