年たけて
また越ゆべしと
思ひきや
命なりけり
さやの中山
と西行は詠んだ。「命なりけり」とは「命あってこそのことだ」の意味。ここには老いへの感慨があり、同時に自分の命をいとおしむ心境が詠われている。
芭蕉は、おそらくこの西行の詩を思いやり、
あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風
此道や行人(ゆくひと)なしに秋の暮
と詠んだ。芭蕉にとって命とは、燃え盛るものであるとともに、沈潜するものであったようだ。芭蕉の「命」には西行の「命」が受け継がれているように思われる。漂泊者の命を思慕していたのであろう。
僕らは誰だって漂泊者という命運を逃れ得ない。そのことを自覚するか否かは別の問題なのだが。あるいは自覚する時期がいつなのかは別の問題なのだが。
命こうささやかなるに秋をまつ (理方、記録的猛暑の砌)
なんちゃって。
また越ゆべしと
思ひきや
命なりけり
さやの中山
と西行は詠んだ。「命なりけり」とは「命あってこそのことだ」の意味。ここには老いへの感慨があり、同時に自分の命をいとおしむ心境が詠われている。
芭蕉は、おそらくこの西行の詩を思いやり、
あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風
此道や行人(ゆくひと)なしに秋の暮
と詠んだ。芭蕉にとって命とは、燃え盛るものであるとともに、沈潜するものであったようだ。芭蕉の「命」には西行の「命」が受け継がれているように思われる。漂泊者の命を思慕していたのであろう。
僕らは誰だって漂泊者という命運を逃れ得ない。そのことを自覚するか否かは別の問題なのだが。あるいは自覚する時期がいつなのかは別の問題なのだが。
命こうささやかなるに秋をまつ (理方、記録的猛暑の砌)
なんちゃって。