自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

戦争の悲惨さを語り継ぐ元零戦パイロット

2010年09月06日 | Weblog
(朝刊より)
  原田 要さん(94)
 1941年12月、零戦に乗って真珠湾攻撃に参加した。25歳。あれから何人の敵兵を殺しただろうか。撃墜した敵機パイロットのゆがんだ顔が今もよみがえる。
 42年のミッドウェイ海戦で戦闘中に愛機が被弾して着水、洋上を4時間漂流した。同年秋のガナルカナル島攻撃では左腕を銃弾が貫通し、不時着した。同じく不時着した僚機に閉じこめられた戦友は「おっかさん」と言いながら息絶えた。自らは泥水を飲みながらジャングルをさまよい、九死に一生を得た。
 この時のけがで帰国し、予科練航空兵の飛行教官になった。生徒たちが「戦争に早く行きたい」と申し出ても、「まだ早い」と許さなかった。日本の負けを予感していたから、本心は行かせたくない。「前途ある若い人を南方の空に散らすのはつらかった」と振り返る。
 長野市で幼稚園を経営してきた。戦争体験は封印していたが、91年の湾岸戦争が重い口を開くきっかけになった。ハイテク兵器を駆使した戦いを「ゲームみたい」と評したテレビ報道に怒りを覚えた。
 「爆弾の先には必ず生身の犠牲者がいるのに。戦争の最前線に勝ち負けなんてないんです」。
 以来、小中学校や地域の集会で戦争の無意味さを語り、慰霊の旅を続ける。9日も長野市内の中学校で講演する。「戦争の悲惨さを次の世代に申し送るのが、生かしてもらった私の使命です。償いは一生続きます」。

(今日はちょっと遠出してきます。)