自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

朝顔――「はかない恋」か「実存の淵」か

2007年07月24日 | Weblog
 猫の額に申し訳なさそうに小ぶりの朝顔が咲いている。

 「朝顔に釣瓶とられて貰ひ水」という千代女の句には、優しさを売り物にするようなイヤミがある、と評した人がいる。もっとも、朝顔の生命力の強さを詠んだという意味ではこの句の描写は正しい。朝顔のつるは、大袈裟に言えばあっという間にするすると伸び、つるとつるが絡み合いながら勢力圏を広げる。その花言葉「結束」はおそらく、つるの結束の強さを意味するのだろう。もう一つ花言葉がある。「はかない恋」。はかなさにこそ人々は惹かれてきたのであろう。朝顔の命のはかなさを、人の世のはかなさに重ねる人も多いのだろう。

 蕪村に「朝がほや一輪深き淵のいろ」という句がある。これは絶品だと思う。深い藍色の花の中に、蕪村は深い淵を見たのだ。蕪村の人柄が偲ばれる。千代女の句には無い、人間の定めのような実存とも言える淵を一輪の朝顔に見ている。鋭い観察力だ。こういう観察力が特に戦後、影を潜めたように思われる。経済成長に血眼になったからだ。