自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

「長崎の鐘」

2007年07月15日 | Weblog
 「長崎の鐘」の作詞でよく知られている永井隆は、放射線医学の専門家であった。昭和20年8月9日、浦上天主堂近くの病院勤務中被爆。自宅では妻・緑が殆ど骨盤と腰椎だけの姿で爆死。からくも生き残った永井は救護活動に骨身を削る。が、やがて危篤状態に陥る。病床で執筆活動を続ける。「・・・幸いなことには、私の研究したい原子病そのものが私の肉体にある。・・・」(「この子を残して」)
 昭和23年如己堂(にょこどう)完成。このわずか二畳の部屋から、「ロザリオの鎖」「この子を残して」「生命の河」「長崎の鐘」などの名作が誕生。「神の御栄のために私はうれしくこの家に入った。故里遠く、旅に病むものにとって、この浦上の里人が皆己のごとくに私を愛してくださるのがありがたく、この家を如己堂と名づけ、絶えず感謝の祈りをささげている。」(「この子を残して」)
 如己堂から発表される作品や言葉は、世界の人々の胸を打ち、ヘレン・ケラーやローマ法王特使をはじめ、多くの人々が如己堂を訪れた。
 昭和26年、かつての職場である長崎大学付属病院で静かに帰天(享年43歳)。
 言う言葉なし。今年もまた暑く物憂げな季節が来る。