谷沢健一のニューアマチュアリズム

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発会式御礼(その6)

2006-01-23 | YBC始動
 最後になるが、裏方で活躍してくれたスタッフの方々にも礼を言いたい。たっぷりと用意されていたご馳走もろくに口に運べずに式の進行を支えてくれた人たち(名前は一々挙げないが、私の心には深く刻み込まれている)にはいくら感謝してもあまりある。
 加藤準備本部長の「ほとんど打合せもしなかったのに、よくもまあ、こんなスムーズに進行できるとは! YBCのスタッフ連中は、驚きを通り越して呆れるほどだ」という賞賛の言葉を、私の言葉に代えておこう。
 (まだ、興奮が残っているので、感謝すべき人たちや事柄がまだまだ漏れているはずだが、今すぐ出てこない。その粗漏をお詫びする。)

発会式御礼(その5)

2006-01-23 | YBC始動
 選手たちにも礼を言わねばならない。というのは、私の決めた「YBC流背番号決定方式」を受け入れてくれたからである。背番号とユニフォームはプレイヤーにとって深くこだわるものの一つである。どれだけ強く拘泥するかは、一般の人たちには理解しにくいだろう。その理由の一つは中学・高校・大学の野球部にある。野球の強豪校であればあるほど、多くの有望な選手が入部する。だが、その中で限られた選手しか背番号を与えられない。甲子園大会のTV中継などで、スタンドでユニフォームを着用した部員たちが大声で応援する姿が映し出されるが、かれらの背には番号がない。そして、その多くの選手たちは背番号を付けることなく卒業していく。私は運良く最初から最後まで背番号を付けられたが、それでも番号を何番にするかは深いこだわりをもってきた(このことについてはYBC会報『月刊フェニフェニ』創刊号の「川上×谷沢対談-16番を承け継ぎし者」を参照していただきたい)。
 当然、選手たちも絶対にほしい番号があるはずだ。例えば、王さんに憧れて1番を付けたいというふうに。だが、考えてほしい。私も川上氏(「川上さん」などと気安く書けるわけがない)の16番を長く心の内に潜めていて、今ようやく付けるのである。それもご本人の謦咳(けいがい)に接し、ご教示をうけ、お許しを乞うての上である。それでもなお「身の程をわきまえていないのではないか」と心がひきしまってしまう。
 どうか、選手諸君よ、私そして君たちを支えてくれるスタッフの期待を受けとめて、錬磨し成長し、実力で獲得してほしい。

発会式御礼(その4)

2006-01-23 | YBC始動
 サプライズ・ゲストの数人はやはり多忙で来られなかったが、小林至ソフトバンク・ホークス取締役兼江戸川大助教授がわざわざ福岡からかけつけてくれた。あいかわらず、生来の温顔をさらにほころばせながら、「おめでとうございます」と律儀な挨拶をしてくれた。
 じつはもう一人、現役のプロ野球関係者が駆けつけてくれたのだが、ひじょうに残念ながら皆さんにご紹介できなかった。というのは、当日は柏とは別の場所いることになっていたからである。そこを抜け出して会場にまで来てくれたことは感謝以上の想いを私に与えてくれた。
 もっとも多忙なのは政治家の方であろうが、桜田副大臣と長浜代議士がわざわざ祝ってくださった。とくに桜田副大臣は本多市長の開会宣言を承けて、閉会宣言を発してくださった。副大臣は大の野球好きだそうで、少年野球の後援者らしい祝辞をくださった。

発会式御礼(その3)

2006-01-23 | YBC始動
 多忙すぎる方々も、わざわざ豪華な花や祝電をくださった。その全員の方々をここに列挙するスペースがないが、白井総長、永井教授をはじめ、早稲田大学の諸先輩のお気持ちはじつに嬉しかった。後輩の小宮山悟氏も花輪だけでなくサイン入りグラブやら優勝記念の背番号14番のTシャツ(それも4枚も)やら色紙(これはハワイで書いてくれた)やら、ずいぶんたくさん提供してくれた。おかげで「お楽しみ抽選会」の景品がいっそう豊かになった。
 抽選会は、その直前の「背番号決定会」で熱くなった一部選手の気持ちをなだめたようである。とはいえ、幸運のくじ引き役の池井名誉教授の手は、かなりスタッフびいきで、引くカード引くカード、次々とスタッフのCPナンバーばかりで、私はあやうく「池井先生、同じ所のカードばかり引かないで・・・」と言いかけそうになったが、その時、ようやく招待者のカードを引いてくださり、ほっとした。もともと池井先生は思いがけないことをおやりになるのが好きで、なにしろ慶大教授の身でありながら、渡米してキッズ・ベースボール・スクール(夏休みに開講される子どものための長期野球教室)の生徒になったりする方なのだ。

発会式御礼(その2)

2006-01-23 | YBC始動
 柏市の関係者の方々も、招待状の発送が遅かったのにもかかわらず、ご多忙な日程を割いて臨席してくださった。本来なら、いろいろな方々に祝辞をいただくべきであったが、そのための時間があまりなくて、失礼をすることになったのに、それを笑って許していただいたのは、まさに海容の一語に尽きる。そういう非礼はYBCという組織の性格上いたしかたがないことで、飲料もノンアルコールにしたのも、そのせいである。
 池田ベースボールマガジン社社長も、おそらくジュースを持っての乾杯の音頭取りというのは初めてだったろう。その簡潔だが直截なご祝辞はすばらしかった。「スポーツ選手は煙草を喫うべきでない」と冒頭におっしゃった。残念ながら、二三の選手がロビーで喫煙していた。おそらくそれを諭そうとお考えになったのだろう。代表評議員として監督に代わっておっしゃってくださったのである。もし、アルコールが入って、もっと舌が滑らかになれば、さらに含蓄に富み、かつ鋭利なお言葉を拝聴できただろう。

発会式御礼(その1)

2006-01-23 | YBC始動
 感謝・・・今、私の心はこの二文字で埋め尽くされている。
 発会式の開始前、控室に入ったときから、スタッフをはじめ、定刻よりかなり早くおいでになった招待者の方々と言葉を交わす、その中に暖かい皆さんの気持ちが私の胸の中へ流れ込んでくる、私はその時からずっと感動に浸り続けることになった。
 心を尽くして準備をしていただいた遠藤支配人をはじめ、三井ガーデンホテルの方々にまず最初に感謝したい。天空の間の中央に掲げられた「谷沢野球コミュニティ千葉」の隷書体の文字とその背景の緑と黄色、どこかで見たぞと思ったら、YBC公式ホームページのタイトルを忠実に再現してくれたのだった。こういう細やかな心配りこそホテルマン・スピリットとでも言うのだろう。
 柏市役所の方々も、本多市長をはじめ、多くの方々が足を運んでくださった。市長の「ここに谷沢野球コミュニティ千葉の発足を宣言いたします」という力強い発足宣言を、私はけっして忘れないだろう。しかも、「市長、勝手ながらYBCの名誉顧問に就任していただけませんか」というお願いも、快く「結構ですとも」と即座に快諾していただいた。まさに順風満帆の船出だった。
 矢上教育長も、YBCの吉田、金澤、阿部の3選手を招いて「市立柏高のOBとしてがんばれよ」と激励しておいでだった。そのお顔は私が中学生だったときの矢上先生そのものだった。