谷沢健一のニューアマチュアリズム

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始動!

2006-01-06 | YBC創設
 1月5日、トレーニング計画会議を準備本部3Fで行った。参加者は、香川理事と高嶋、阿部、勝原の3君。みな松の内にもかかわらず駆けつけてくれた。
 高嶋さんは仕事の都合で遅れたので、両君から、先月25日の初合同練習会で実施した体力測定の結果を発表してもらった。8項目の体力テストデータと、その結果から導き出された五段階評価は、正直言って芳しくはなかった。
 彼らのコメントを一部紹介しよう。
1・パフォーマンスの高い選手も幾人かはいるが、全体的に数値が低い傾向にある。
2・柔軟性、筋力などは、土日の練習だけでは補えないので、平日、個人的に行う必要がある。最寄のジムや施設と提携して継続的に行っていくことを考えるべきだ。
3・チームとしては、準備体操の後にドリルを入れ、期分けをして、積極的に体力を向上させていき、アスリートとしての基礎体力を最低限、身につけるように、具体的な指導をすべきである。
4・2006年のシーズンは、基礎体力を身につけた上で、野球に必要な筋力をつけていくのが望ましい。
5・体力テストを、プレシーズン(3月)、インシーズン(8月)、オフ直前(10月)、オフシーズン(12月)の年4回行って、効果を測定し、常時課題を設定していくことが不可欠である。
などなど、どれもこれもしっかりしたデータ分析力による納得できる提言だった。
 この日は、引き続いて広報スタッフとの第2回打合せもあったし、7日からは、いよいよ練習も始まる。新年早々から、YBCの組織は動き出している。ある人に言わせると、私と準備本部長は「楽天的過ぎる、無計画に過ぎる」そうだが、2人を除くYBCのスタッフは計画的であり、実戦的である。だから、私たちが事細かく指示をしたり、詳細な計画など考えたりしない。
 つくづく思う、持つべきものは、やはり、自らやりたいことを明言し、それを提言に変え、そして実行するという、意欲的に参加する(スタッフの)心意気である、と。

新年会、そして夢

2006-01-06 | YBC創設
 名古屋に居たのは4日だけ(十分家族のサービスを受けた)で、2日の夜には東京に戻った。何と言っても、準備本部は7日からの練習に向けて、選手から寄せられいる練習スケジュールの配分やらなにやらの作業に追われているからである。
 だからと言って、すぐに準備本部に駆けつけたわけではない。名古屋で正月を迎えたが、千葉、東京では正月の儀式を済ませてないからである。人間が社会生活を営む上で、原点回帰として、新年を迎えて一度ゼロに戻す行動が、次へのステップになることは明白である。
 東京は、近くの氷川神社にお参りをし、千葉県柏市へは、一人住まいの父を訪ねて正月気分に浸った。10年前に亡くなったお袋へも、仏壇に手を合わせることによって、家族への平安とYBCへの誓いを心に刻んだ。
 心身ともゼロにした私は、加藤準備本部長(新年からは「YBCフェニーズ」副部長)と二人だけの新年会をささやかに行った。
 ワイン1杯だけの(私は2杯)ほろ酔い気分が昂じたのか、二人の夢は果てしない構想となって拡がりっぱなしとなり、隣の客の目と耳には多分、現世の出来事とは思えなかったであろう。しかし、それが現実味を帯びてしまうのが、私たちの「恐ろしい」ところである(と、YBCの立ち上げの時に様々に心配してくれた知人は言っていた)。

謹賀新年

2006-01-06 | 個人的な話題
 年末に書くべき年賀状を年が明けてから書くことになってしまった。早々とくださった方々に礼を欠いてしまったが、ともあれ、その年賀状の文面を以下に掲げて、皆さんへの新年の挨拶としたい。

「昨年は私にとってエポックメーキングな一年でした。長く心に潜んでいた想いが噴き出し、我ながら思いもかけないほど急速に事態が進展しました。それは「谷沢野球コミュニティ千葉(YBC)」の創設です。幸い、家族とそれに等しい知友の聡い理解と篤い協力を得られ、大胆な第一歩―そして決して後戻りできない第一歩を踏み出しました。私の心の内に生まれた「野球コミュニティ」という概念は、なかなか浸透しにくいとは思いますが、それでも、徐々にかつ確実に周辺の方々に広がりつつあります。今年は、プロ野球選手・コーチとしての過去の経験、プロ野球解説者としての現在の体験、それらを継続しつつ未来の新たな野球界図を描くために微力を尽くすつもりでおります。深い谷であればあるほど、その底に満々と清らかな沢が流れていることを信じております。こういう私以上に、あなたの上に幸いと健やかさがまず第一に舞いおりますよう、祈念しております。」