選手たちにも礼を言わねばならない。というのは、私の決めた「YBC流背番号決定方式」を受け入れてくれたからである。背番号とユニフォームはプレイヤーにとって深くこだわるものの一つである。どれだけ強く拘泥するかは、一般の人たちには理解しにくいだろう。その理由の一つは中学・高校・大学の野球部にある。野球の強豪校であればあるほど、多くの有望な選手が入部する。だが、その中で限られた選手しか背番号を与えられない。甲子園大会のTV中継などで、スタンドでユニフォームを着用した部員たちが大声で応援する姿が映し出されるが、かれらの背には番号がない。そして、その多くの選手たちは背番号を付けることなく卒業していく。私は運良く最初から最後まで背番号を付けられたが、それでも番号を何番にするかは深いこだわりをもってきた(このことについてはYBC会報『月刊フェニフェニ』創刊号の「川上×谷沢対談-16番を承け継ぎし者」を参照していただきたい)。
当然、選手たちも絶対にほしい番号があるはずだ。例えば、王さんに憧れて1番を付けたいというふうに。だが、考えてほしい。私も川上氏(「川上さん」などと気安く書けるわけがない)の16番を長く心の内に潜めていて、今ようやく付けるのである。それもご本人の謦咳(けいがい)に接し、ご教示をうけ、お許しを乞うての上である。それでもなお「身の程をわきまえていないのではないか」と心がひきしまってしまう。
どうか、選手諸君よ、私そして君たちを支えてくれるスタッフの期待を受けとめて、錬磨し成長し、実力で獲得してほしい。
当然、選手たちも絶対にほしい番号があるはずだ。例えば、王さんに憧れて1番を付けたいというふうに。だが、考えてほしい。私も川上氏(「川上さん」などと気安く書けるわけがない)の16番を長く心の内に潜めていて、今ようやく付けるのである。それもご本人の謦咳(けいがい)に接し、ご教示をうけ、お許しを乞うての上である。それでもなお「身の程をわきまえていないのではないか」と心がひきしまってしまう。
どうか、選手諸君よ、私そして君たちを支えてくれるスタッフの期待を受けとめて、錬磨し成長し、実力で獲得してほしい。