ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『火の山のマリア』を観て

2016年09月22日 | 2010年代映画(外国)
少しずつでも、またブログを書いていこうと思う。
ただ、気持ちを新たにするため、ブログタイトルとハンドルネームを変えてみることにした。
というわけで、最近DVDで観た『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ監督、2015年)について。

マヤ系先住民の一家の物語。
場所は、古代マヤ文明が繁栄したグアテマラの火山付近の高地。
17歳のマリアは、両親の農業を手伝いながら暮らしている。
住んでいる土地は借地で、農作物が収穫できなければ追い出されてしまう可能性もある。
そこでマリアの両親は、土地の持ち主でもあり、コーヒー農園の主任のイグナシオにマリアを嫁がせようとする。
相手のイグナシオは妻に先立たれて、3人の子供たちを働きながら育てている。
彼の両親も含め、みんながこの縁談に乗り気だが、ただひとりマリアだけは気乗りしない。

マリアは、コーヒー農園で働く青年ペペに心を寄せている。
ペペは、憧れのアメリカに行って働きたいとの希望をもっている。
マリアは、自分も一緒に連れて行ってほしいと頼む。
連れて行く条件として、ペペはマリアに処女を捧げてくれたら、と言う。
彼女は悩んだ末にペペに身を任せる。
しかしペペは、約束の夜、ひとり旅立ってしまって・・・

グアテマラの劇映画はこれが日本では初の作品ということで、やはり珍しくて興味深い。

その自然に囲まれた暮らしは、どちらかといえば原始的な雰囲気が漂っている。
両親は、畑の中の蛇に悩まされている。農薬も野焼きも効かず、蛇を駆除しないと種まきが出来ない。
そんな生活の中で、マリアが妊娠する。母親がそれに気付く。
破談になれば、この地を離れなければいけないことを恐れる母親は、いろいろと流産する方法をマリアに試させる。
しかし、それも失敗し、マリアのお腹はいよいよ大きくなる。
覚悟を決めた母親は言う、「この子は生きる運命にある」。

大地と生命。
素朴な暮らしの中に根付いて垣間見える生命力。
父親にも、とうとう知らせなければいけない時がくる。
意外なのは、家父長制度かと思いきや案外そうでもなさそうである。
どちらかと言えば、母親の方がしっかりしていてたくましい。

ある事件がマリアに起きて、イグナシオにも妊娠がわかってしまう。
そのイグナシオがしたことは・・・
悲しいかな、マリア一家は現地語しか話せず、公用語のスペイン語がわからない。
作品の底辺に流れているテーマは、さりげなくってほとんど見落としてしまう程だけど、貧困と無教育。
マヤ系先住民たちもこのような暮らしが当然のような感じで、社会的意識が芽生えているのかどうか。
映画は、そこの辺りは強調せず現実だけを切り取る。

この作品は見方によっては、退屈でつまらないと感じるかもしれない。
特にアメリカ的娯楽作品を好んで楽しむような人は、そう思うかもしれない。
しかし、よく考えてみると、まさしくこのような作品が映画の原点だったじゃないか、と思う。
いろいろな国の映画作品を観て、その国の人々を知ること。
私にとって、観客におもねいた娯楽作品よりも、このような作品を観る方がよほど楽しい。

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2 コメント

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再開おめでとうございます (ろこ)
2016-09-22 20:00:53
 新しいブログの門出をお祝い申し上げます!
 
 グアテマラの劇映画、珍しいですね。
 なじみのない国の因習を織り込んだ物語の展開は耳目を拓かれます。

 いろいろな映画をまたご紹介くださると思うと胸がときめきます。
 ハンドルは何でしょうか?
 またこのブログを訪問する楽しみができました
 まずはお祝いのご挨拶まで。
 
>ろこさんへ (ツカヤス)
2016-09-23 00:04:52
早速のコメントありがとうございます。
それにしてもお祝いとはちょっと照れてしまいます。
ハンドルネームは本名ではありませんが、このようにしました。
ボチボチと自分のペースで書いていこうかなと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
まずは、ありがとうございました。

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