今、釧路の街は突然のラッコ・フィーバーで沸いている。全国ネットのテレビや全国紙の一面を飾るニュースとして紹介された。市の中心を流れる釧路川、海への出口となる河口付近に架かる幣舞橋には連日、多くの人が一目見ようと押し寄せている。暗いニュースが多い昨今の世情を憂慮した神様が、癒しのプレゼントをくれたのかもしれない。この自然の小さな贈り物は、釧路の街に思わぬ効果も生み出している。
ラッコはアメリカのアラスカや西海岸、千島列島などの北太平洋沿岸に生息するイタチ科の哺乳類。北海道では根室や厚岸の道東の海岸では見かけることはあった。しかし、釧路まで遠征することはほとんどない。まして、街中の河口に姿を現すことは、これまで全くなかった。というよりは、例年だとこの時期、釧路川の河口は薄いながら氷が張り、幣舞橋周辺はラッコが泳ぐ状態にならない。餌を求めて近くまで来ることがあっても、河口でその姿を見かけることは不可能であったのである。
ところが今年の異常な暖かさは河口の氷を造らせない。この暖かさがラッコの行動範囲をさらに広めた要因らしい。世界的な異常気象がちょっとしたプレゼントをもたらしたことになる。
多くの見物客の前で悠然と泳ぎ、例によっておなかの上で餌の貝を乗せて食事をしている。その仕草は愛嬌があって見る者をほっとさせる。アラスカで見た時は石を使って貝を砕いて中身を食べていた。釧路では貝を二つ使って、砕いていた。道具を使う数少ない野生動物なのである。見ていても楽しい。このお腹の上では子育てもする。ラッコのお腹はテーブルであり、子供にとってはベッドでもあるのだ。
さっそく、このラッコには「クーちゃん」という名前が付けられた。多摩川に現れたゴマフアザラシの「たまちゃん」と同様、子供たちから「クーちゃん!」と呼びかける声がかかっていた。見物客の騒ぎなど全く気にする様子もなく、川面を楽しげに泳いでいた。時には流れに身を任せてそのまま昼寝もしている。
北海道経済はここ数年冷え続け、世界的な不況の影響で昨年からさらに先行き不安の深刻さが増している。のんきにラッコ見物でもないのではと、思いきや、このラッコ・フィーバーは、意外な効果を生み大している。幣舞橋のすぐそばに「ムー」というフィッシャーマンズワーフがある。観光客用のショッピングゾーンでもある。夏はともかく、冬はさすがに暇な時期となる。ところが、ラッコの登場で周辺の雰囲気ががらりと変わった。連日多くの人が押し寄せ、「ムー」の売り上げは普段の三倍になったという。ある商店主がささやいた。「ラッコが去った後が心配になる。ずっといてくれないかな」正直な感想であろう。自然はラッコという癒しのプレゼントの他に大きな経済効果も呼んでいた。
冷たい水の中でさぞかし寒いのではと考えるのは人間。ラッコは綿毛という柔らかな下毛をもち、1平方センチに10万本以上が密生している。水の中でも綿毛の間の空気が断熱層となって抜群の防寒効果を発揮する。他の海生哺乳類が分厚い脂肪層で身を守るのと明らかに違う。ラッコの毛皮は保温力に優れ、手触りがよく、昔から最高級の毛皮として知られていた。
十三・四世紀ころ、千島列島のアイヌの人たちが北海道に現れ、また北海道から千島列島に出かけた商人たちは、いずれもこのラッコの毛皮貿易が中心であった。その当時から北海道経済の重要な要素であったことが分かる。十八世紀以降、ロシアの南下政策のテーマにもこの毛皮があった。そのため明治以降、ラッコの乱獲がすすみ、一時絶滅種に指定されるほど、その数が激減したのである。世界的な保護政策が実施され、ようやく現在は正常が保たれている。
ちなみに、和名となったラッコはアイヌ語からつけられたもの。英語ではシー・オッターと呼ぶ。水族館で見るラッコとは違う、野生本来の姿を間近で見ることができた幸運を感謝したい。
ラッコはアメリカのアラスカや西海岸、千島列島などの北太平洋沿岸に生息するイタチ科の哺乳類。北海道では根室や厚岸の道東の海岸では見かけることはあった。しかし、釧路まで遠征することはほとんどない。まして、街中の河口に姿を現すことは、これまで全くなかった。というよりは、例年だとこの時期、釧路川の河口は薄いながら氷が張り、幣舞橋周辺はラッコが泳ぐ状態にならない。餌を求めて近くまで来ることがあっても、河口でその姿を見かけることは不可能であったのである。
ところが今年の異常な暖かさは河口の氷を造らせない。この暖かさがラッコの行動範囲をさらに広めた要因らしい。世界的な異常気象がちょっとしたプレゼントをもたらしたことになる。
多くの見物客の前で悠然と泳ぎ、例によっておなかの上で餌の貝を乗せて食事をしている。その仕草は愛嬌があって見る者をほっとさせる。アラスカで見た時は石を使って貝を砕いて中身を食べていた。釧路では貝を二つ使って、砕いていた。道具を使う数少ない野生動物なのである。見ていても楽しい。このお腹の上では子育てもする。ラッコのお腹はテーブルであり、子供にとってはベッドでもあるのだ。
さっそく、このラッコには「クーちゃん」という名前が付けられた。多摩川に現れたゴマフアザラシの「たまちゃん」と同様、子供たちから「クーちゃん!」と呼びかける声がかかっていた。見物客の騒ぎなど全く気にする様子もなく、川面を楽しげに泳いでいた。時には流れに身を任せてそのまま昼寝もしている。
北海道経済はここ数年冷え続け、世界的な不況の影響で昨年からさらに先行き不安の深刻さが増している。のんきにラッコ見物でもないのではと、思いきや、このラッコ・フィーバーは、意外な効果を生み大している。幣舞橋のすぐそばに「ムー」というフィッシャーマンズワーフがある。観光客用のショッピングゾーンでもある。夏はともかく、冬はさすがに暇な時期となる。ところが、ラッコの登場で周辺の雰囲気ががらりと変わった。連日多くの人が押し寄せ、「ムー」の売り上げは普段の三倍になったという。ある商店主がささやいた。「ラッコが去った後が心配になる。ずっといてくれないかな」正直な感想であろう。自然はラッコという癒しのプレゼントの他に大きな経済効果も呼んでいた。
冷たい水の中でさぞかし寒いのではと考えるのは人間。ラッコは綿毛という柔らかな下毛をもち、1平方センチに10万本以上が密生している。水の中でも綿毛の間の空気が断熱層となって抜群の防寒効果を発揮する。他の海生哺乳類が分厚い脂肪層で身を守るのと明らかに違う。ラッコの毛皮は保温力に優れ、手触りがよく、昔から最高級の毛皮として知られていた。
十三・四世紀ころ、千島列島のアイヌの人たちが北海道に現れ、また北海道から千島列島に出かけた商人たちは、いずれもこのラッコの毛皮貿易が中心であった。その当時から北海道経済の重要な要素であったことが分かる。十八世紀以降、ロシアの南下政策のテーマにもこの毛皮があった。そのため明治以降、ラッコの乱獲がすすみ、一時絶滅種に指定されるほど、その数が激減したのである。世界的な保護政策が実施され、ようやく現在は正常が保たれている。
ちなみに、和名となったラッコはアイヌ語からつけられたもの。英語ではシー・オッターと呼ぶ。水族館で見るラッコとは違う、野生本来の姿を間近で見ることができた幸運を感謝したい。
「クーちゃん」…いいねえ。
自然が、経済効果をもたらしてくれる…
これは理想ですよね。
それにしても、早速撮りに行ったんだ。
リアルな写真、ありがとうございます。
帰寒したら、早速見に行きたい!
いるかなあ?
いつもはさびしい感じの釧路の街が、久しぶりにホッとした空気が流れています。必見です。
早速、昨日「クーちゃん」に会いに。
いました!いました!
ホンの20秒ほどだけど、顔を見ました。
写真撮ったけど、うまくいかなかった。
原野人さんの写真とは比較にならない。
構成も何だか似てしまったけど、
原野人さんのブログの方がはるかに上だなあ。
カメラ購入しようかなあ。