お盆近くなると、日ごろ無沙汰をしている人たちから便りが届く。自らはあまり連絡をしないのだから無沙汰になるのは当然の話。誰のせいでもない。おかげで今年5月に従姉の一人がなくなったことを知った。母の姉の子供だから私よりはだいぶ年上となる。天寿を全うしたかと思いながら、晩年の不遇を思うと複雑な気分となった。人の一生はなかなか思い通りにはいかない。そんな基本はよく分かっているつもりであったが、死を迎えたとなるとそれ以上のことは起こり得ない。つまり、それが終点となる。やはり複雑な思いと少しばかり悔の残滓があった。
従姉は基本的に幸せな人生を送れた人であった。学校の成績もよく、高校の教員として定年まで勤め、夫婦ともに教師であったから、老後の生活も問題はなかった。しかし人生はうまく転がらない。定年後の離婚が歯車を狂わせたのかもしれない。熟年離婚と言ってもそれぞれが定年まで働き、二人とも潤沢な年金生活があった。子供は二人いたがいずれも独立していた。離婚したとはいえ順風であった。その後まもなく元亭主は癌を発病して逝去する。それも予想の範囲であった思う。計算が違ったのは息子の存在だった。息子が勤めを辞めて父のもとへ帰っていたのである。父が死んだので、住むところがなくなり母のもとへ。人生の狂いはここから始まった。ニートと化した息子は年を経ても変わらなかった。母の年金をあてにしての生活となる。しかし、普通に暮らしていけば家も持ち家であるし、特別なことはなかったはず。それがなぜか借金に苦しむようになる。詳しい事情はよく分からないが、家を処分しなければならない事態まで追い込まれる。この従姉は、理知的とまでとは言わないが、それなりに頭は良かった。狂い始めた人生を立て直す知恵は十分に持っていたと思う。だが、なぜかそうはならなかった。
勝手な想像だが、ある程度年を経た母と息子が一つ屋根で暮らすことの難しさを感じる。この生活が、冷静な判断力を弱めたのではないだろうか。親子の煮詰まった生活はいろいろなことを生むと想像できるからだ。無理心中だって考えられた。十年ほど前に、故郷の町を離れ、行方は分からずじまいとなったと聞いた時も、その思いが瞬間的に浮かんだ。ところが転々と移動はしていたけれど、所在はなんとなく分かっていたらしい。従姉の妹から聞いた。理由は年金の存在だった。時折、問い合わせがあったという。
昨年になって、ある村の療養所に入院していることが分かった。すでに認知症を患い、判断力もなくなっていた。癌にもなっていたという。その連絡が従姉の妹に入った。理由は入院費の支払いであった。一緒にいたはずの息子には連絡が取れないという。年金は確実に出ていて、どうやらそれをすべて息子が使っていた。母を入院させた後、どこかへ雲隠れしてしまっていた。私にとっては、従姉の息子だから従甥(じゅうせい)に当たる。母を捨てながら母の年金で生活するこの従甥にやはり親族のひとりとして無念の怒りが起こる。
その従姉がその入院先で亡くなったのが今年の5月であった。息子の行方は依然として分からない。従姉の妹が私に言った「姉は成仏できたのだろうか」。
私の推測であり、たんなる考えにすぎないが、死んだ従姉はそれなりの覚悟を持って家を出たと思っている。息子とともに家を出た時、こうなる覚悟をしていたと思う。その決意は遺言にあった。「葬式はいらない」「骨になったなら無縁仏として」というもの。その死はとっくに覚悟したことであり、どうにも再浮上できない息子に順じて、放浪に出た意思を感じる。つまりそれも自分なりの罪の償いと思っていたのではないのだろうか。私はその妹に言った。「成仏はできてるよ。それもまた覚悟の上だったはずだから」
還暦を超すと、自分の死についても随分と身近に感じる。どう人生を終わるかなど、予想はできないけど、できればこうしたいという願いは生まれる。きっとだれも思うことだと想像する。死んだ従姉も自分の状況を考えれば、きっと考えていたはずだ。だから成仏できたと、思うのである。
そんなことを思っていた今日の朝、電話があり、中学時代の同級生が亡くなったことを知った。彼もいろいろあった人生だった。二年ほど前、近くの町から十勝の方へ引っ越していた。引っ越した後、電話で話したのが最後となった。この時、「そんなに離れると、お互いに何かあっても駆けつけることができないな」と言った。これが最後とは思っていなかったが、何かしらの予感があったのかもしれない。彼は「そうだね」とだけ言った。私は続けた。「もし何かあって、すぐ行けなくても、どちらか生き残った方が、墓参りに行けばいいな」。彼はまた「そうだね」「でも無理することもないさ」。それが最後の会話だった。社会的な常識をあまり認めようとしなかった彼の人生を、どうこう言うつもりはない。それは彼個人の考え方だから。そのために家族は苦労したかもしれないが、それも含めて彼の人生だったと思う。墓参りする時は酒を持参して行こうと思っている。彼の生きがいであった酒は、命を縮めた元凶でもあった。天国で思う存分飲んでもらいたい。いや、もうたらふく飲んでいることだろうと思うが。
お盆が近づくと、お線香の匂いが強まる。その匂いに乗って、二人の訃報を聞いていた。(合掌)
自分が成年後見人として活動してるわけじゃありませんが、
事例検討会では実にいろいろな人生に遭遇します。
耳を疑うような事例もあって、大半は改めて家族の意味を考えさせられることが頻繁です。
人間やってくことは辛いことだと再確認してます。
ご友人に合掌!多分これからはそういうことが多くなるんでしょうね、当方も。
死に方というのは本人の希望通りにはいかないとは思うけど、残されるものに迷惑をかけないようにと願うばかりですね。でも迷惑をかけるのは避けられない。そこが問題ですね。
確かにこうした例はこれからどんどん増えるでしょうね。なにせお迎えの近い年齢になりましたから。