原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

知能指数って、どうなの?

2012年11月02日 07時35分38秒 | 社会・文化

 

頭が良いか悪いかの判断基準に知能指数(IQ)が上げられる。だが、この基準は本当に正しいのだろうか。多少の疑問がある。IQ120以上が秀才、150を超えると天才の域に入ると言う。当然、ノーベル賞の受賞者はこうした天才の集まりに思えるが、分かっている範囲内でみれば歴代のノーベル賞の受賞者にIQ150以上の人はいない。例えば20世紀を代表物する理学者リチャード・P・ファインマンは自らIQ123であると発言。DNA研究の父と言われるジェームズ・ワトソンはIQ122である。彼らは一般的に超天才と呼ばれる学者だ。だが、IQ的には天才ではない。

 

では、知能指数検査とはどんなものなのだろうか。これは1905年にフランスの心理学者ピネーとシモンという二人が考えたもので、目的は児童の精神的な発達の遅れを診断するものであった。この検査に世界中が賛同し、さらに研究されて現在に及んでいる。そしていつのまにか、発達の遅れを見つけるためのものから、頭の良い悪いの判断基準の一つにされてしまったのである。

IQ指数には、生活年齢と精神(知能)年齢の比を基準としたものと、同年齢集団での位置を基準とするものの二つがある。前者が従来型で、現在は後者が多く使われている。つまり標準の基準を100として、上か下かで発達度合いを見るもの。精神年齢が高ければ、当然IQも高くなる。つまり早熟なほど指数は高くなる。これは児童の相対的な発達度合いを測る数値でしかない。年齢を重ねると一定値以上の数値が出る確率は徐々に減っていく(障害児童はそうではないらしいが)。もっとありていに言えば、児童の時IQが高いからと言って、そのまま成人しても高いとは限らない例もたくさんあるということ。児童の知能の発達程度を知るには適切だが、天才かどうかはその後の努力次第なのだ。かつて、アインシュタインのIQ173と噂されたことがあるが、彼の子供時代にIQ検査があったとは思われず、どうやら伝説が独り歩きしただけのようだ。

 

ごく身近な人の話がある。料理も掃除も手早く、じつに器用にこなすが、ラップがうまく掛けられない、袋を上手に開けることができない、リモコン操作ができない、など、子供でもできることが歳を重ねた現在でも、未だ普通にできない。方向感覚については常識を超えてしまう。車でUターンしただけで、今どこに向かっているの?と聞く。列車に乗って札幌まで行き、再び釧路まで帰ってきたのに、なぜ戻ったか分からないと言う。「同じ方向にしか列車は走っていないのになぜ帰ってきたのだろう」、と真顔で話す。第三者がこの話を聞いたら、きっと発達障害者ではと思うかもしれない。ところが違う。この人は小中学校の時、学力優秀、運動もピカイチであった。子供の時に受けたIQテストでも高数値を示している。現在だけのこの人を見ると、とてもそれは想像できない。

前回のブログでも少しふれたのだが、脳細胞を流れる複雑なネットワークはわずかな流れの違いで変わる。たとえば、たまったゴミの山を片付けることができない人などもそうなのだが、ふだんはまったく普通に生活できるのに、ある部分だけ違ってしまうということはよくあることなのだ。

実は、私にもこうした部分がある。右左を感知する脳細胞が切断されているらしい。右に行こうと頭で考えていても、口に出る言葉は「左に行くよ」となってしまう。右左がいつも逆になる。車の運転でナビをやると大変なことになる。常に逆を指示するからだ。どうしてこうなるか自分でも理解できない。思っていることと言葉や行動が逆になる。右向け右と言われると、一瞬迷う。箸を持つ手を考えなければ行動に移せない。これは若い時からこうであった。このために先輩から無能扱いを受けた。正確に説明できないことなのだから、無理もない。

そんな私が、三年ほど前であったが、ちょっとしたいたずら心でIQテスト(ある本に掲載されていたもの)なるものをやってみた。驚いたことにこの時出たのが139。出現率9.9という超秀才の数値。もう少しで天才の域だ。すっかりいい気分にさせてもらったが、考えれば当たり前の話。成人の基準は18歳くらいなのだ。ある程度経験と知識を積めば、当然出る数値。またテストもこうすればいい点になるだろうなという判断もあった。いくらでも操作できるテストであった。こんなことで調子に乗ってはいけないという典型的な例だろう。

つまり、社会生活における行動とIQはあまり関係なく、頭がいいか悪いかなどは、数値で割り出せるような問題ではないということがよく分かる。

 

このようなIQ信仰を批判し、IQ偏重に警鐘を鳴らすものとしてEQ指数なるものが最近登場してきた。世間はなかなかに面白い事を考える。Intelligennce QuotientIQであるのに対し、Emotion Intelligence Quotient、略してEQ、情動指数と呼ぶらしい。心の知能指数とも言われている。

EQは自己を知り、周囲に対する思いやりや周囲と協調していくことを指数化している。IQが知能の発達にだけ目を向けているのに対して、思いやりとか人間性を判断する心を指数化したものである。ここには反IQの思想が込められているようだ。もともとIQには創造力に対する判断基準がないなどの批判は昔からあった。IQが高いからと言って良い人間とか優秀な人間であるとは限らないということに対する反省も、世界の動きにはあるようだ。

 

いずれにしても、複雑な脳細胞の仕組みを単純化した指数で表わし、人間の判断基準にすることが間違いであろう。IQでもEQでも、人間の真の姿を追求するには、この程度の指数化では判断できないと言うこと。

知能指数をあげることに血道をあげるなど、愚の骨頂と言えるし、知能指数を自慢する人間がいたら、静かに諭してあげるのが、正しい。

蛇足ながら、頭の大きさや脳の重さと知能は何の関係もないことは科学的に証明されている。嘆かわしいことだが、脳とか知能に関しては昔から堕説が氾濫し、しかもそれに惑わされる人が多い。

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4 コメント

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脳力・・・ (numapy)
2012-11-02 09:16:57
仕事とは何やら脳に関連した、もしくは脳障害等に関連したもののようですね。
当方、心理学科卒、実験心理学専攻。IQ、YGなどに関して、また脳科学に関しては多少知識があることを自負してます。
ま、それはともかく最近、50年前に見てたSF少年の夢が現実化しつつあるようです。今朝のNHKでやってましたが、サイコキネシス(念力移動)の技術が開発されつつあるようです。
脳の血流量と脳波等のセンサーが、この技術を可能にしたようですが、ともかく念じるだけで、TVのスイッチをON、OFFできたり、カーテンの開閉ができたり…。
う~む、オカルトチックだが、ここまで来たかぁ…。嬉しいような、哀しいような…。
仕事に関係ありません。 (genyajin)
2012-11-03 09:42:26
ちょっと脳にまつわる話が続いたので誤解されたかも。
仕事はまだ確定してませんが、これとは無関係です。このところ、衰え行くわが脳細胞へのいら立ちを抑えきれずにブログにしただけですから。脳科学者にいわせれば、人間の脳はまだまだ開発の余地があり、脳細胞はどんどん破壊されていくものだが、どんどん再生されていくもので、年齢にあまり関係ないとも言われています。門外漢の自分にはそれが事実かどうか確認できません。それを確かめるために自分の脳をいじめてみようと発想をしているとも言えるかもしれません。果たしてどうなるか?自分でも分かりません。
いやはや・・・ (numapy)
2012-11-03 17:09:39
カン違い失礼しました。
話は違いますが、今日日ハムどうなりますかね?
勝って欲しいんですが…。
Unknown (しろくま)
2014-05-16 10:57:28
検索でたどり着きましたが、ファインマンもワトソンも、IQテストなんてばかばかしくてまじめにやっていなかったのだと思います。多分、性格が従順で協調性のある人でないとまじめにやらないでしょう。

それに○×形式で正解を選ぶ問題だと、偶然によるブレがかなりあるはずです。いずれにしてもばからしいテストでしょう。

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