原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

続・挽歌橋ものがたり

2011年03月26日 07時48分57秒 | 地域/北海道
(昨日の続き)簡易軌道の原則は馬力線であった。ところが人口が増加した北海道では、輸送量が年々増加。これに対応するために、北海道開発局は1952年(昭和27年)から積極的に簡易軌道の改良事業に乗り出している。軌道の改良と自走客車やディーゼル機関車の投入による動力化であった。原乳輸送のためのタンク車両も登場している。標茶線という新しい軌道も生まれていた。輸送距離の長い地域からそうした改良が行われていたのである。
ただ久著路線はその対象外であった。そこに木の挽歌橋消滅の要因があった。

(現在の釧路川の二股。この正面に挽歌橋がかかっていた。橋がかかる前は渡船場であったと記録にはある)

対象外でも地域輸送の貴重な一翼を担っていた久著路線である。さらに充実させたいと言う願いが募る。そこでディーゼル機関車を導入させるべく計画が進行する。そのために軌道の改良、そして橋の整備が実施された。それが1961年(昭和36年)の橋の架け替えにつながった。木の橋が鉄橋へと替わったのである。30年にわたった木組みのあの挽歌橋はここで姿を消すこととなる。映画のロケからわずか4年後のことであった。

だが鉄製となった挽歌橋の寿命は長くはなかった。軌道事業そのものがそのわずか四年後の1965年(昭和40年)に終了するからである。道路網の充実、自動車の普及、鉄道の普及などが要因であった。高度成長期を迎えた日本の交通輸送時代は明らかに新しい時代に入っていた。北海道の軌道事業は世の習い通り、時代の変革の波の中に消えていったのである。

(台風で崩壊した鉄製の挽歌橋。これが最後の姿であった。木の橋とずいぶんイメージが違うことがこれでも分かる)

ディーゼル機関車による運航を希望しながら、かなわず、最後まで馬力線で通した久著路線であったが、そのまま廃線となる。軌道の後は道となり、橋は人馬が通るものとなった。通行量はそれほど多いわけがない。軌道は一気に寂れ、湿原の中に埋もれていく。鉄の挽歌橋もそのまま残されてはいたが、無用の長物に等しいものとなる。湿原の中で炭を焼く人たちが時折使うだけであった。建造物は使用されないと痛みも早い。しかし修復などほとんどされない。
そうした中で1977年の台風が直撃した。橋は一夜にして崩壊してしまう。釧路川の流れにも影響する。崩壊を機会に撤去されてしまう。木の橋から31年。鉄の橋となって16年。挽歌橋はこうして消滅したのである。

映画という舞台に取り上げられ、一時的に脚光を浴びた挽歌橋であったが、スポットライトが当たった期間は実に短いものであった。現在、塘路の観光ガイドなどにその名前を残すだけだが、実態はまったくないに等しい。なにか残念な気がする。

長老と話をしながら、今一度湿原に軌道を復活させ、馬鉄を走らせたらどうなのだろうか、湿原の名物になるのではと、聞いてみた。長老は静かに言った。
「国立公園となった釧路湿原ではもう何もできないよ」
長老は鋭かった。塘路駅や塘路の市街地は国立公園内ではないが、ちょうど挽歌橋のある釧路川から湿原側が国立公園となっている。環境保全やナムサール条約の規制がぎっしりある。湿原を走る馬鉄道などできるわけがなかった。挽歌橋の復活など今ではまさに不可能なのである。

(JR釧網線の車窓から見える釧路川の二股。川の両岸をつないで挽歌橋があった。実際に車窓から挽歌橋が見えていた。私の記憶にあったのは鉄製の橋。映画で見たものではない)

映画「挽歌」に話は戻るが、懐かしい釧路の街が次々に現れていた。先代の幣舞橋、ロータリー、北大通りの街並み、灯台と防波堤などなど。挽歌坂と呼ばれたあいおい坂の姿も懐かしかった。出世坂も今とは違う良さで蘇っていた。
ただ気になったのが霧笛の音と霧。まるで一年中霧に覆われ霧笛がいつも鳴り響いている街に見える。たしかに霧は多いが初夏から夏(6月から8月)がピークで、それ以外は霧はそれほど発生しない。映画にあるようにコートが必要な秋から冬にかけてはあまり霧は発生せず、快晴が多い。もし一年中霧が出ていて、霧笛が一年中響いていたなら騒音で大変なことになる。あくまでも映画の情景演出とは分かっていても、やはりちょっと気になった。

時はその歩みを止めることをしない。ただ前に進むだけなのだ。でも、思い出は永遠に残る。それがあるかないかで時の重さが違う。

東日本大震災は多くのものを消滅させた。だが、その街にしみ込むように存在していた思い出は永遠に残る。それを心に明日の未来、再生に向かえばいい。思い出があれば歩み出す力は決して消滅しない。

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2 コメント

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喪失感・・ (numapy)
2011-03-26 08:34:41
ここんところ、パソコンクラッシュでのメールデータ吹き飛びとか、名刺入れ紛失による免許証及び各種カード等の遺失とか、やたら個人的事故が連続しました。たかがそんな事故だけど、それによる喪失感はすごかった。震災ですべて失った人たちの喪失感はいかばかりかと想像すると、言葉を失います。
故郷の記憶も、そうしてものがあるでしょう。北海道に移民した人たちも、希望と同時に深い望郷の念にとらわれていたに違いない。
このところ、なにか物悲しい。この震災で妙に望郷の念にとらわれるのです。一度、旅しないとダメかなぁ。
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分かります (原野人)
2011-03-26 09:51:22
日常とは違うことに遭遇すると、故郷がなぜか脳裏に浮かびます。これは人間の脳に仕組まれた細胞がそうさせるのではないでしょうか。
大きな喪失感は本能を呼び覚ますとも言えます。
これをいい意味で捉える事が必要ですね。

旅、いいですね。多くの人は旅は逃避だと言いますが、私は違うと思います。再生こそ本当の旅だと思ってます。明日のために旅に出かけましょう!
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