公式サイトのトップページでもお知らせしていますが、
このたびルースリンドが現役を引退、
一旦北海道の牧場で一息入れた後、アロースタッドで種牡馬入りすることとなりました。
「うちの厩舎の名前を広めてくれた馬。
今までよく頑張ったね」と矢野義幸調教師
その表情には寂しい中にも、無事に引退させ、
種牡馬として送り出せる安堵の気持ちも伺えました
「この前のレース(東京記念2着)をご覧になってまだやれるという気持ちには?」の問いに
「うん。でも、かわいそうだよね。脚元がね」
いつも脚元を案じ、
夜遅くにも獣医さんがレースから戻るのを待っていたというエピソードも。
東京記念は(引退を)判って走っていたのかも知れませんね、に
「そうなんだよね」と・・・
矢野調教師にとって一番思い出があるレースは
厩舎そしてルースリンドにとって初重賞となった
2007年のスパーキングサマーカップとのこと
故・佐藤隆騎手が
「この馬で矢野調教師に重賞を獲らせるよ」
と話していた、そのルースリンドでの初重賞
「あの時、口取りには隆さんの写真も一緒でしたね」の言葉に
「そうだね。内田くんのインタビューもね・・・」と矢野調教師が感慨深く振り返るこのレース。
手綱を握った内田博幸騎手が「隆さんが後押ししてくれました」と語り、
記念の口取り写真には遺影も一緒におさまりました。
2004年秋。
3歳未勝利で中央から来た時には体が弱かったというルースリンド。
あれから丸6年。
中央交流でもその強さを見せてくれる存在になりました
厩舎にいけばいつもいる存在だっただけに寂しい気持ちも・・・。
「(放牧にも出ず)ずっといたからね。1年以上休んだ時もいたからね」と矢野調教師。
引退レースとなった東京記念(SII)では佐藤裕太騎手を背に2着。
3連覇はなりませんでしたが、
「らしい走り」で観ているひとを熱い気持ちにさせたレース。
やはりルースリンドは「判って」いたように思えてなりません。
これからしばらくゆっくりして欲しいと思います。
いつか産駒が厩舎に入ってくる日を楽しみに・・・
長い間、ご声援ありがとうございました
この件に関してはまた改めてレポートする予定です。
このたびルースリンドが現役を引退、
一旦北海道の牧場で一息入れた後、アロースタッドで種牡馬入りすることとなりました。
「うちの厩舎の名前を広めてくれた馬。
今までよく頑張ったね」と矢野義幸調教師
その表情には寂しい中にも、無事に引退させ、
種牡馬として送り出せる安堵の気持ちも伺えました
「この前のレース(東京記念2着)をご覧になってまだやれるという気持ちには?」の問いに
「うん。でも、かわいそうだよね。脚元がね」
いつも脚元を案じ、
夜遅くにも獣医さんがレースから戻るのを待っていたというエピソードも。
東京記念は(引退を)判って走っていたのかも知れませんね、に
「そうなんだよね」と・・・
矢野調教師にとって一番思い出があるレースは
厩舎そしてルースリンドにとって初重賞となった
2007年のスパーキングサマーカップとのこと
故・佐藤隆騎手が
「この馬で矢野調教師に重賞を獲らせるよ」
と話していた、そのルースリンドでの初重賞
「あの時、口取りには隆さんの写真も一緒でしたね」の言葉に
「そうだね。内田くんのインタビューもね・・・」と矢野調教師が感慨深く振り返るこのレース。
手綱を握った内田博幸騎手が「隆さんが後押ししてくれました」と語り、
記念の口取り写真には遺影も一緒におさまりました。
2004年秋。
3歳未勝利で中央から来た時には体が弱かったというルースリンド。
あれから丸6年。
中央交流でもその強さを見せてくれる存在になりました
厩舎にいけばいつもいる存在だっただけに寂しい気持ちも・・・。
「(放牧にも出ず)ずっといたからね。1年以上休んだ時もいたからね」と矢野調教師。
引退レースとなった東京記念(SII)では佐藤裕太騎手を背に2着。
3連覇はなりませんでしたが、
「らしい走り」で観ているひとを熱い気持ちにさせたレース。
やはりルースリンドは「判って」いたように思えてなりません。
これからしばらくゆっくりして欲しいと思います。
いつか産駒が厩舎に入ってくる日を楽しみに・・・
長い間、ご声援ありがとうございました
この件に関してはまた改めてレポートする予定です。