亀井静香郵政改革・金融大臣が民主党のお荷物になる。
早いうちにカメの手足を縛らないと、内閣はいいようにかき回されて収拾不能になりかねない。
カメは自民党から民主党への政権交代の意味が理解できていない。
政権交代を単なる首相の交代としか理解していないようだ。
小泉→安倍→福田→麻生→鳩山
しかし麻生から鳩山への移行は、それまでの首相交代とはまるで違った意味を持っているのだが、カメにはそこがみえていない。
カメは自分の縄張りに関しては妙に敏感である。
郵政に関して原口総務相が発言すると、「郵政はわたしの所管」と、早速原口にかみついた。
時代錯誤の「モラトリアム法案」を持ち出して、藤井財務相、平野官房長官が疑問を呈するとこれにもかみつく。
鳩山は複数省庁にまたがるテーマに関しては閣僚委員会を設けてそこで議論するという方針を打ち出している。
縦割り行政・縄張り主義の変革こそ、鳩山政権の目指すべき方向ではなかったか。
カメはそんなことにはまったくお構いなしである。
郵政の恨みを晴らすこと、自分の存在感を高めることだけがカメの意識の底にあるようだ。
零細政党が大民主党相手に精一杯背伸びして自己主張をしているようにも受け取れる。
困惑 反発 亀井金融相、モラトリアム法案 「現実的政策」求める声 ((産経新聞 9月20日)
中小企業の借入金などの返済猶予(モラトリアム)制度を導入しようという亀井静香郵政改革・金融相の案に対し、銀行界に困惑と反発が広がっている。藤井裕久財務相が亀井金融相の構想の実現性を疑問視するなど、鳩山政権の「閣内不一致」の象徴にもなりかねない状況だ。
「(銀行が)借り手の立場を考えないから国が口出ししようという話だ」
モラトリアムの狙いについて亀井金融相はこう説明し、10月の臨時国会で金融機関に中小企業向け融資と個人向け住宅ローンの元本返済を3年猶予させる「モラトリアム法案」を提出する意向を示している。
勧善懲悪ドラマの主人公か?
この程度の不況で取り乱したか?
単なる自己顕示欲のあらわれか?
カメの提案は松平定信の棄捐令を連想させる。
(棄捐令(きえんれい)は、江戸時代幕府が財政難に陥った旗本・御家人を救済するために、債権者である札差に対し債権放棄・債務繰延べをさせた武士救済法令である)
当初、棄捐令に大喜びした旗本・御家人たちは間もなく新たな借金ができずに、生活が以前にも増して苦しくなり、松平定信に批判の声を上げだしたという。
法令の意図は札差どもの驕りへの懲らしめと人気取りであったようだ。
銀行への懲罰と人気取り狙いの亀井の意図と驚くほど共通している。
棄捐令に遭った札差は大打撃を受け、貸し渋りで対抗した。
そして江戸の町は猛烈な不景気で苦しむことになる。
松平定信の人気は急降下した。
亀井のモラトリアムはその轍を踏むことになる可能性が極めて大きいと思われる。
助けたつもりが逆に相手を苦しめる。
冗談かと思っていたがどうやら本気らしいと分かって再び混乱が広がりそうだ。
亀井氏「モラトリアム法案、できるだけ早く」 (産経ニュース 9/24)
銀行の行いは決して褒められたものではない。
しかし、それは今に始まったことではない。
晴れた日に雨傘を貸す。
雨が降ると貸し渋り、貸しはがし。
銀行保護から借り手保護へ、という考え方はまったく正しい。
しかし、それが即モラトリアムという発想は余りにも短絡的ではないか。
そんな銀行を育てたのは大蔵省・財務省をはじめとする官僚と自民党の政治であった。
改めるのはそのような政治の在り方である。
カメは銀行を懲らしめればそれでいいのだろうが、しっぺ返しは国民に来る。
銀行にお金が戻らなければ、銀行は資金を貸し付けに回せなくなる。
国内にお金が回らなくなれば、不景気がくる。
その痛みは最も弱い者が最も大きく受けることになる。
中小零細企業を助けたければ、利子補給なり、公的部門での貸し付けに切り替えるなり、方法はいくらでもあるはずだ。
何故いきなり3年間の支払い猶予なのか。
カメのモラトリアム提案には様々な評価があり得るだろう。
わたしはこの政策には反対だが、賛成する方もいれば利益を受ける方々もいるだろう。
しかし、今わたしの言いたいことの中心はモラトリアムの是非にあるのではない。
政策の是非とともに、内閣としての政策決定の在り方が問われているのではないか、という点にある。
カメが暴走したとき、内閣はそれを止められるのか?
本来なら、国家戦略局を実質的にスタートさせ、モラトリアム案などはそこで検討できるようにしておかねばならなかった。
国家戦略局が実質的に働き出す頃には、カメはだれにも手出しできないように縄張りを固めてしまっている。
カメだけではない。藤井財務大臣でさえ、予算編成権は財務省にある、などと菅の口だしを遮っている。
藤井財務大臣の起用は概ね好意的に受け止められているが、ここにきてわたしは幾分疑問を持ちだしている。
さきの予算編成権に関しての発言の他にも、大蔵省(現財務省)元財務官の行天豊雄・国際通貨研究所理事長(78)の通貨政策を担当する同省の特別顧問への起用がある。
大蔵省時代の同期だという。
77歳の財務大臣と78歳の特別顧問。
古き良き時代を懐かしみ、お茶を飲みながら語り合う二人の老人。
古い文脈の中では有能な人材も、新しい文脈の中においてみると障害にもなりうる。
週末、為替相場は1ドル90円を割るところまで急速に円高が進んだ。
為替不介入の藤井発言がそのきっかけの一つになっている。
藤井氏は以前から、円高は国民経済の利益につながるということは言ってきている。その持論そのものは内需拡大の経済政策と合わせて正しい方向であると考える。
しかし、リーマンショックの打撃からようやく回復へ向かうか、というこの時期の円高が経済回復の足を引っ張るのもまた間違いなかろう。
為替相場は国の産業政策、エネルギー政策、環境政策等々に密接な関係を持っている。
それらの諸政策との整合性も要求されるだろう。
そういう場合の調整の場として閣僚委員会というものが予定され、多分国家戦略局もその関与が想定されているのではないか。
それが鳩山政権の目指す政策決定の在り方の新方向であるはずだ。
閣僚が有能であればあるほど、個々の省庁と全体の目指すべき方向が乖離する危険性がある。
国家戦略局設置には法的措置が必要などと悠長なことを言っていては、縄張り意識から抜けきれない大臣達は縄張りを固め終わってしまう。
結局、菅はどこにも口出しも手出しもできなくなってしまう。
閣僚には、各省庁の責任者・代表者として内閣にいるのではなく、内閣の一員として内閣の目指す政治を実現するために大臣として各省庁に派遣されているのであるという意識が要求されているのが鳩山内閣なのではないか。
閣僚には縄張り内での善政ではなく、縄張りを超えた協力関係あるいは協働作業をこそが望まれているのではないか。
それらを保証する機能を持つのが国家戦略局であると思っていたのだが、カメの暴走をみると、国家戦略局の強力で迅速な始動がますます必要になってくる。
カメがヘソを曲げれば、連立解消にまで進みかねない。
それはそれで構わないのだが、似たようなことはまた起こるかも知れない。
要求されるのは鳩山個人のリーダーシップによる裁定ではなく、組織としての政策調整の仕組みを確立しておくことである。
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早いうちにカメの手足を縛らないと、内閣はいいようにかき回されて収拾不能になりかねない。
カメは自民党から民主党への政権交代の意味が理解できていない。
政権交代を単なる首相の交代としか理解していないようだ。
小泉→安倍→福田→麻生→鳩山
しかし麻生から鳩山への移行は、それまでの首相交代とはまるで違った意味を持っているのだが、カメにはそこがみえていない。
カメは自分の縄張りに関しては妙に敏感である。
郵政に関して原口総務相が発言すると、「郵政はわたしの所管」と、早速原口にかみついた。
時代錯誤の「モラトリアム法案」を持ち出して、藤井財務相、平野官房長官が疑問を呈するとこれにもかみつく。
鳩山は複数省庁にまたがるテーマに関しては閣僚委員会を設けてそこで議論するという方針を打ち出している。
縦割り行政・縄張り主義の変革こそ、鳩山政権の目指すべき方向ではなかったか。
カメはそんなことにはまったくお構いなしである。
郵政の恨みを晴らすこと、自分の存在感を高めることだけがカメの意識の底にあるようだ。
零細政党が大民主党相手に精一杯背伸びして自己主張をしているようにも受け取れる。
困惑 反発 亀井金融相、モラトリアム法案 「現実的政策」求める声 ((産経新聞 9月20日)
中小企業の借入金などの返済猶予(モラトリアム)制度を導入しようという亀井静香郵政改革・金融相の案に対し、銀行界に困惑と反発が広がっている。藤井裕久財務相が亀井金融相の構想の実現性を疑問視するなど、鳩山政権の「閣内不一致」の象徴にもなりかねない状況だ。
「(銀行が)借り手の立場を考えないから国が口出ししようという話だ」
モラトリアムの狙いについて亀井金融相はこう説明し、10月の臨時国会で金融機関に中小企業向け融資と個人向け住宅ローンの元本返済を3年猶予させる「モラトリアム法案」を提出する意向を示している。
勧善懲悪ドラマの主人公か?
この程度の不況で取り乱したか?
単なる自己顕示欲のあらわれか?
カメの提案は松平定信の棄捐令を連想させる。
(棄捐令(きえんれい)は、江戸時代幕府が財政難に陥った旗本・御家人を救済するために、債権者である札差に対し債権放棄・債務繰延べをさせた武士救済法令である)
当初、棄捐令に大喜びした旗本・御家人たちは間もなく新たな借金ができずに、生活が以前にも増して苦しくなり、松平定信に批判の声を上げだしたという。
法令の意図は札差どもの驕りへの懲らしめと人気取りであったようだ。
銀行への懲罰と人気取り狙いの亀井の意図と驚くほど共通している。
棄捐令に遭った札差は大打撃を受け、貸し渋りで対抗した。
そして江戸の町は猛烈な不景気で苦しむことになる。
松平定信の人気は急降下した。
亀井のモラトリアムはその轍を踏むことになる可能性が極めて大きいと思われる。
助けたつもりが逆に相手を苦しめる。
冗談かと思っていたがどうやら本気らしいと分かって再び混乱が広がりそうだ。
亀井氏「モラトリアム法案、できるだけ早く」 (産経ニュース 9/24)
銀行の行いは決して褒められたものではない。
しかし、それは今に始まったことではない。
晴れた日に雨傘を貸す。
雨が降ると貸し渋り、貸しはがし。
銀行保護から借り手保護へ、という考え方はまったく正しい。
しかし、それが即モラトリアムという発想は余りにも短絡的ではないか。
そんな銀行を育てたのは大蔵省・財務省をはじめとする官僚と自民党の政治であった。
改めるのはそのような政治の在り方である。
カメは銀行を懲らしめればそれでいいのだろうが、しっぺ返しは国民に来る。
銀行にお金が戻らなければ、銀行は資金を貸し付けに回せなくなる。
国内にお金が回らなくなれば、不景気がくる。
その痛みは最も弱い者が最も大きく受けることになる。
中小零細企業を助けたければ、利子補給なり、公的部門での貸し付けに切り替えるなり、方法はいくらでもあるはずだ。
何故いきなり3年間の支払い猶予なのか。
カメのモラトリアム提案には様々な評価があり得るだろう。
わたしはこの政策には反対だが、賛成する方もいれば利益を受ける方々もいるだろう。
しかし、今わたしの言いたいことの中心はモラトリアムの是非にあるのではない。
政策の是非とともに、内閣としての政策決定の在り方が問われているのではないか、という点にある。
カメが暴走したとき、内閣はそれを止められるのか?
本来なら、国家戦略局を実質的にスタートさせ、モラトリアム案などはそこで検討できるようにしておかねばならなかった。
国家戦略局が実質的に働き出す頃には、カメはだれにも手出しできないように縄張りを固めてしまっている。
カメだけではない。藤井財務大臣でさえ、予算編成権は財務省にある、などと菅の口だしを遮っている。
藤井財務大臣の起用は概ね好意的に受け止められているが、ここにきてわたしは幾分疑問を持ちだしている。
さきの予算編成権に関しての発言の他にも、大蔵省(現財務省)元財務官の行天豊雄・国際通貨研究所理事長(78)の通貨政策を担当する同省の特別顧問への起用がある。
大蔵省時代の同期だという。
77歳の財務大臣と78歳の特別顧問。
古き良き時代を懐かしみ、お茶を飲みながら語り合う二人の老人。
古い文脈の中では有能な人材も、新しい文脈の中においてみると障害にもなりうる。
週末、為替相場は1ドル90円を割るところまで急速に円高が進んだ。
為替不介入の藤井発言がそのきっかけの一つになっている。
藤井氏は以前から、円高は国民経済の利益につながるということは言ってきている。その持論そのものは内需拡大の経済政策と合わせて正しい方向であると考える。
しかし、リーマンショックの打撃からようやく回復へ向かうか、というこの時期の円高が経済回復の足を引っ張るのもまた間違いなかろう。
為替相場は国の産業政策、エネルギー政策、環境政策等々に密接な関係を持っている。
それらの諸政策との整合性も要求されるだろう。
そういう場合の調整の場として閣僚委員会というものが予定され、多分国家戦略局もその関与が想定されているのではないか。
それが鳩山政権の目指す政策決定の在り方の新方向であるはずだ。
閣僚が有能であればあるほど、個々の省庁と全体の目指すべき方向が乖離する危険性がある。
国家戦略局設置には法的措置が必要などと悠長なことを言っていては、縄張り意識から抜けきれない大臣達は縄張りを固め終わってしまう。
結局、菅はどこにも口出しも手出しもできなくなってしまう。
閣僚には、各省庁の責任者・代表者として内閣にいるのではなく、内閣の一員として内閣の目指す政治を実現するために大臣として各省庁に派遣されているのであるという意識が要求されているのが鳩山内閣なのではないか。
閣僚には縄張り内での善政ではなく、縄張りを超えた協力関係あるいは協働作業をこそが望まれているのではないか。
それらを保証する機能を持つのが国家戦略局であると思っていたのだが、カメの暴走をみると、国家戦略局の強力で迅速な始動がますます必要になってくる。
カメがヘソを曲げれば、連立解消にまで進みかねない。
それはそれで構わないのだが、似たようなことはまた起こるかも知れない。
要求されるのは鳩山個人のリーダーシップによる裁定ではなく、組織としての政策調整の仕組みを確立しておくことである。
政の次は官と財とマスコミと!
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