政治家の口から「政治家している」という言い方を聞いたのは初めてである。
27日の麻生・鳩山の党首討論。
なんとも違和感のある言い方である。
言われてみれば、確かに「政治家してる」には違いないのだが……。
麻生 これが一番大切なんじゃないですか、政治家しているんですから。われわれは学者しているわけではありません。評論家しているわけでもありません。現実問題をやらなければならないという立場におりますので、そういったものをきちんとして、われわれはやっていかなければならない
この発言から受ける違和感は何なのだろう。
”政治家している”
”学者している”
”評論家している”
しばらく考えているうちに三つの理由に思い至った。
1 文法的な誤り、あるいはまだ一般的になっていない特異な語法
「政治家」という名詞に「する」という動詞をつけて「政治家する」という動詞を作り出してしまったこと。
名詞+する(=動詞)
名詞+を+する
両方の使い方ができるもの、片方だけのもの、どちらも出来ないものがある。
たとえば、「反省」・「運転」は、「反省する」・「反省をする」、「運転する」・「運転をする」というようにどちらも正しく使える。
しかし、「希望する」はいいが、「希望をする」はややおかしい。
逆に「殺人する」はおかしいが、「殺人をする」はかろうじてセーフというところか。
どうやら「名詞」と「する」を結びつけるのには、語の相性があるらしい。
固有名詞はどちらの使い方も出来ない。
「政治家」・「学者」等はこのどちらの使い方もできない名詞に入る。
麻生の頭の中では、これが当然のように結びついてしまうのだろう。
2 当該単語の持つ異様な軽さ
1に関連するが、比較的一般的になった言葉に「お茶する」というのがあった。
「お茶」と「する」という結びつかない単語を結びつけたものである。
「政治家する」にはこの「お茶する」に共通する軽薄さがある。
一国の総理大臣が公の場で使うには、余りにも未熟な語法と言えるだろう。
言葉は変わっていくものではあるが、それにしても麻生には日本語革新運動の先端に立って欲しくはない。
3 政治という仕事に対する麻生の認識の特異さ
「政治家する」には、本質的なものから離れた、一時的・限定的な響きがある。
あるいは「政治家を演じている」・「とりあえず政治家をやっている」というニュアンスが漂う。
政治に心を込めて取り組んでいるという姿勢が感じられない表現である。
「政治家する」という言葉には麻生の全人格が凝縮されており、使われるべくして使われた言葉であるといえるのかもしれない。
この党首討論については、他にも色々考えさせられる点が多々ある。
そのうちのいくつかについて述べたい。
党首討論を前にまず麻生が先制攻撃を行った。
しかも場外からである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/66/b643a1b9b359c1fbfbeb35c8d1103580.jpg)
5月27日の読売朝刊に載せた広告。
党首討論当日の朝にこういうことをするか?
鳩山には反撃の時間がない。
相手に反撃の機会を与えない、こういうやり方は卑怯きわまりない。
内閣総理大臣としての矜恃のカケラも持ち合わせていない麻生だからこそできる汚いやり方である。
中身は、といえば読む前から見当のつくことばかりである。
民主党が提案している政策に、具体的なな財源はありますか
相も変わらず財源問題。
10兆円以上の国債発行で補正予算を組み、本予算と合わせて歳入の過半を国債に頼っていて、財源で攻められるのか!
公務員の労働組合から支持を受けながら、公務員制度改革ができますか
労働組合は労働者の権利を守るために、個人の集まった組織である。利益で結びついた業界団体や経団連などの企業集団とは根本的に性質が違う。
企業の利益ではなく、労働者の権利を守ってくれる政党を応援するのは当然であろう。
組合員は組合費を払って組み合いを作り、自分たちの権利を守ろうとしている。
たとえ、組合が政治献金を行っていたとしてもそれは個人の献金の集合である。
公務員の削減は確かに重要な課題ではあるが、やり方は工夫すればよい。
合理的な規模を越えた公務員の維持は国民負担を重くするだけではないか。
そして、麻生はことさら問題をすり替えようとしている。
麻生たちが守ろうとしているのは公務員ではなく、官僚である。
公務員のうちの一握りの人間だけが官僚として種々の特権を享受しているのである。
国民が怒っているのは官僚が特権を握り続け、国民の利益よりも省益を優先させ、天下り、渡りと好き放題に振る舞っていることに対してなのだ。
小沢達が叫んでいたのも、官僚主導の政治から国民本位の政治へ、ということではなかったか。
憲法や安全保障について、党内の意見は一致していますか。
自民党の中だって一致しているわけではないだろう。
確かに民主党内にも右から左まで色々いる。
自民党にも右から極右まで幅がある。
そんなことで民主党を攻撃しているつもりか。
この三点に加えて、最後にネチネチと小沢攻撃。
まったく下品な当てこすりでとどめを刺したつもりでいる。
誰かの代わりでなく、新たな代表としての明確なお答えを期待します。
国民への説明責任を果たし、議論を闘わせることが明日の日本を作るのですから。
「誰かの代わり」と言う言葉に”小沢の傀儡”という意味をあからさまに込めて、しかも「説明責任」まで持ち出している。
これではわざわざ党首討論をやる意味がなかろう。
麻生が新聞紙上で鳩山に質問をぶつけたのなら、鳩山も新聞でもテレビでも利用して回答すればよい。
実際、党首討論では麻生の口からは新聞広告以上のことはほとんど出てこなかったのだから。
しかも場外にも応援がいた。
自民党のホームページに細田幹事長名でほぼ同内容の攻撃文が載せられている。
読む価値もないものだが、興味を抱かれたかたはどうぞ。
拝啓 鳩山民主党新代表殿 自由民主党幹事長細田博之
下品さは甲乙つけがたい。
誰の発案かは分からないが、よくもまあこんな汚い手を思いつくものだ。
長くなりそうなので、中身については次の機会にします。
裁判員制度廃止!天下り禁止!議員世襲禁止!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/60/fbd99c70e1c2af4c021357d4f6c0ced2.png)
古書 那珂書房
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27日の麻生・鳩山の党首討論。
なんとも違和感のある言い方である。
言われてみれば、確かに「政治家してる」には違いないのだが……。
麻生 これが一番大切なんじゃないですか、政治家しているんですから。われわれは学者しているわけではありません。評論家しているわけでもありません。現実問題をやらなければならないという立場におりますので、そういったものをきちんとして、われわれはやっていかなければならない
この発言から受ける違和感は何なのだろう。
”政治家している”
”学者している”
”評論家している”
しばらく考えているうちに三つの理由に思い至った。
1 文法的な誤り、あるいはまだ一般的になっていない特異な語法
「政治家」という名詞に「する」という動詞をつけて「政治家する」という動詞を作り出してしまったこと。
名詞+する(=動詞)
名詞+を+する
両方の使い方ができるもの、片方だけのもの、どちらも出来ないものがある。
たとえば、「反省」・「運転」は、「反省する」・「反省をする」、「運転する」・「運転をする」というようにどちらも正しく使える。
しかし、「希望する」はいいが、「希望をする」はややおかしい。
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どうやら「名詞」と「する」を結びつけるのには、語の相性があるらしい。
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「政治家」・「学者」等はこのどちらの使い方もできない名詞に入る。
麻生の頭の中では、これが当然のように結びついてしまうのだろう。
2 当該単語の持つ異様な軽さ
1に関連するが、比較的一般的になった言葉に「お茶する」というのがあった。
「お茶」と「する」という結びつかない単語を結びつけたものである。
「政治家する」にはこの「お茶する」に共通する軽薄さがある。
一国の総理大臣が公の場で使うには、余りにも未熟な語法と言えるだろう。
言葉は変わっていくものではあるが、それにしても麻生には日本語革新運動の先端に立って欲しくはない。
3 政治という仕事に対する麻生の認識の特異さ
「政治家する」には、本質的なものから離れた、一時的・限定的な響きがある。
あるいは「政治家を演じている」・「とりあえず政治家をやっている」というニュアンスが漂う。
政治に心を込めて取り組んでいるという姿勢が感じられない表現である。
「政治家する」という言葉には麻生の全人格が凝縮されており、使われるべくして使われた言葉であるといえるのかもしれない。
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相手に反撃の機会を与えない、こういうやり方は卑怯きわまりない。
内閣総理大臣としての矜恃のカケラも持ち合わせていない麻生だからこそできる汚いやり方である。
中身は、といえば読む前から見当のつくことばかりである。
民主党が提案している政策に、具体的なな財源はありますか
相も変わらず財源問題。
10兆円以上の国債発行で補正予算を組み、本予算と合わせて歳入の過半を国債に頼っていて、財源で攻められるのか!
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労働組合は労働者の権利を守るために、個人の集まった組織である。利益で結びついた業界団体や経団連などの企業集団とは根本的に性質が違う。
企業の利益ではなく、労働者の権利を守ってくれる政党を応援するのは当然であろう。
組合員は組合費を払って組み合いを作り、自分たちの権利を守ろうとしている。
たとえ、組合が政治献金を行っていたとしてもそれは個人の献金の集合である。
公務員の削減は確かに重要な課題ではあるが、やり方は工夫すればよい。
合理的な規模を越えた公務員の維持は国民負担を重くするだけではないか。
そして、麻生はことさら問題をすり替えようとしている。
麻生たちが守ろうとしているのは公務員ではなく、官僚である。
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これではわざわざ党首討論をやる意味がなかろう。
麻生が新聞紙上で鳩山に質問をぶつけたのなら、鳩山も新聞でもテレビでも利用して回答すればよい。
実際、党首討論では麻生の口からは新聞広告以上のことはほとんど出てこなかったのだから。
しかも場外にも応援がいた。
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下品さは甲乙つけがたい。
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古書 那珂書房
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