政治の季節【稗史(はいし)倭人伝】

稗史とは通俗的な歴史書等をいいます。
現在進行形の歴史を低い視点から見つめます。

一斉に姿を消した「陸山会」報道

2010-02-27 06:58:23 | 小沢一郎
気がついたら、陸山会関連の報道がまったく姿を消している。
大手新聞社のウェブ版にはどこにも「陸山会」の文字が見あたらないし、テレビでも取り上げなくなっている。
あの洪水のような報道は何だったのか?

国民の関心がなくなったわけではない。
ほんの数日前まで、「小沢は幹事長を辞任するべき、という国民の声は7割を超えている」と煽っていたマスコミの豹変ぶりにはあきれる。

小沢不起訴の発表があってからも、「説明責任を果たせ」と叫び続け、4億円だの8億円だの、果ては21億円の虚偽記載だのと責め立てていたのが嘘のようだ。

多分検察の姿勢が変わったのだろう。
余りのリークぶりが国民に見透かされてきたので、リークをやめたということかもしれない。
検察のリークなしでは、記事を書けないのだろう。
もともと独自の調査などしてこなかったマスコミである。
手持ちの材料などあるはずもない。
まれに独自取材のふれこみでCGまで使って流したTBSの5000万円受渡し場面がまったくのガセだったことも判明している。
金沢某とかいう人物をクローズアップしたものの、これまた信憑性ゼロ。
メディアの取材能力のなさを露呈してしまった。

検察のリークがなくなった裏には他にも理由があるのか?
検察は敗北を認め、小沢から手を引いたのか。
あるいは検察と小沢との間で何らかの取引もしくは妥協があったのか。
それとも特捜は水面下で静かに小沢を狙い続けているのか。

もしかして、こんなことも影響しているか。
       ↓
元部下も「村木厚子さんは冤罪」で特捜部また赤っ恥 (JANJAN さとうしゅういち 2/17)

それでも産経に言わせれば、「検察側やや守勢」だとか。
     ↓
【郵便不正公判】検察側やや守勢 24、25日にヤマ場の元係長尋問 (産経ニュース 2/21)

あくまで検察と心中覚悟の検察擁護記事である。
その25日の公判については、少しだけ身を引いたか、事実だけ記している。
      ↓
【郵便不正公判】元係長、「局長関与」供述、「勾留長期化怖かった」から (産経ニュース 2/25)

ここに至ってさすがの産経もあきらめたか。

この事件の被害者・村木厚子さんは逮捕されてから保釈されるまでほぼ5ヶ月拘留されている。
冤罪、でっち上げの無実の容疑で5ヶ月も拘留を続けた大阪地検特捜部の無法ぶりが白日の下に晒されようとしている。

騒げば騒ぐほど我が身にはね返ってくる状況になりつつある。
東京地検特捜部が音無の構えになったのも当然か。

これなんかは、なんとか東京へ帰りたい跳ねっ返りの検事のパフォーマンスか。
 ↓
選対幹部が有罪の民主・小林千代美氏、議員辞職否定 (asahi.com 2/12)
昨年8月の衆院選・北海道5区で当選した民主党の小林千代美氏派の選挙違反事件で、公職選挙法違反(買収の約束、事前運動)の罪に問われた連合北海道札幌地区連合会(連合札幌)の元会長山本広和被告(60)=札幌市東区=に対し、札幌地裁(辻川靖夫裁判長)は12日、懲役2年執行猶予5年(求刑懲役2年)の有罪判決を言い渡した。


容疑事実の「買収の約束」というのも余り聞かない容疑である。
普通ならこれはこれで控訴審、上告審へと続くだけである。
この事件は北海道警が摘発している。

そして今度は検察が「事件の使い回し」

小林千代美議員側、教職員組合から違法資金? 地検捜査 (asahi.com 2/15)
捜査関係者によると、北教組側は2008年以降、衆院選があった09年8月までに複数回にわたり計1千数百万円を、小林氏側に選挙費用として提供していたという。札幌地検は、これらの資金提供が政治資金規正法で禁じられた政治家個人への企業・団体献金にあたる疑いがあるとみている。資金は北教組の裏金から捻出(ねんしゅつ)された疑いもあるという。


担当は札幌地方検察庁特別刑事部。
特別刑事部は特捜部の簡易版である。
容疑は、たかだか1600万円の政治資金規正法違反である。
検察庁が直接乗り出すほどの事件ではあるまい。
道警に捜査の指示を出せば済むことであろう。

よく分からないのは、08年以降09年にかけての献金だということだが、少なくとも09年の分の政治資金収支報告書はまだ提出されていないはずだ。
収支報告書に不記載か、あるいはこのお金が小林千代美議員の資金管理団体へ直接入っているという報告書が出されたならともかく、それはまだなのである。
つまりまだ政治資金としての正式な処理は終わっていないのではないか。
小林千代美議員は民主党北海道第五区総支部の支部長である。
もしこのお金が北海道教組から第五区総支部への献金であるならば、それは合法な献金である。
今年提出される収支報告書に、

北海道教組→民主党北海道第五区総支部→小林千代美資金管理団体

というお金の流れが記されてあれば問題ないはずである。
(まさか小林議員は資金管理団体の一つや二つは持っているだろう)
08年分があれば、厄介かもしれないが、08年以降というのも本当かどうか。
組合の裏金かどうかは小林議員側のあずかり知らぬことである。

家宅捜査はしたがその後の捜査の進展についてはニュースはない。
かわりに漏れてくるのは、北海道の教組は、竹島は韓国領だと教えている、などというような話ばかりである。
どうもうさんくさい。

“ゾンビ議員”脱出狙う町村信孝に民主党が「待った!」 (ゲンダイネット 2/25)
長崎知事選、町田市長選に連勝した自民党。本当に久々の選挙快勝とあって、「よし、この調子で、4月の衆院補選もいただき」と沸いている。

 その補選とは北海道5区。何かと話題の多い民主党の女性現職・小林千代美議員の選挙区で、裁判中の選挙違反事件の連座制が確定すれば、小林議員は失職。選挙がやり直しになるのだ。

 そこでガ然燃えているのが自民党町村派の町村信孝会長。昨年の総選挙ではみっともなく小林議員に3万票差で負け、比例のゾンビ復活。肩身の狭い思いをしているだけに、「補選になったら比例からクラ替えして、小選挙区で堂々と当選する」と意気込んでいるのだ。

 しかし、永田町では、「町村はそこまでして勝ちたいのか」と冷めた声が広がっている。

民主党関係者が言う。

「それというのも、小林議員の狙われ方が半端じゃないからです。総選挙直後から道警に選挙違反事件でやられ、連座制適用による議員失職は時間の問題。それなのに、最近は政治資金規正法違反で札幌地検が捜査に出てきてダメ押しをされている。マドンナ議員の小林のイメージはもう真っ黒で、全くえげつない。捜査当局はそこまで自民党の町村を援護射撃したいのかと言いたくなる。小沢幹事長を狙った事件と似た構図だけに、釈然としないという声が多いのです」


そう言えば町村の父親・町村金五は、内務省警保局長(特高警察の元締)や警視総監をやっている。

警視総監時代の町村金五

父親のやることを見ていて、警察や検察の使い方を覚えたか?





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二つの”チベット論争”

2010-02-25 08:14:27 | 小沢一郎
オバマがダライ・ラマと会見を持ったということで中国が怒っている。

中国、駐在大使呼び抗議 オバマ氏、ダライ・ラマ会談を受け (CNN.co.jp 2010. 2.19 )
北京(CNN) 中国外務省報道官は19日、、オバマ米大統領がホワイトハウスでチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したことに対し、強い不満と断固とした反対を表明する声明を発表した。米国が反中の分離主義勢力の黙認、支援を止めることを要求するとも主張した。

また、外務省は米国のハンツマン駐中国大使を呼び、抗議した。米大使館は大使と崔天凱外務次官との会談の内容の詳細には触れなかったが、大使は「両国が共に恩恵を受ける方法で協力、前進する時が来た」とのメッセージを伝えたとしている。

中国政府は、オバマ氏、ダライ・ラマ会談に強く反発、実現した場合、「報復措置」を講じるとの強硬姿勢も示していた。米中関係は、米国による台湾への武器売却発表などできしみが既に生じており、今回の会談でさらに悪化する可能性もある。

オバマ政権は、中国の会談中止要求を退けていた。


オバマにはオバマの事情もあるのだろう。
ただ、正当性はオバマの側にある。
中国が、オバマに対して、内政干渉と叫んでも、ことは人道問題・民族弾圧・主権簒奪問題である。
アメリカにとっては見過ごすことのできない問題であるらしい。
グーグルに対する中国政府のサイバー攻撃や検閲問題でもアメリカは声を挙げている。

日本政府・日本国民にとってはほとんど他人事のような問題らしい。

日本でも突然、「チベット問題」が勃発した。
こちらはダライ・ラマとは無関係のようだ。

「日本のチベット」は侮辱表現なのか?

石井氏「鳥取はチベット」発言が波紋 石破氏「断じて容認しがたい」 (産経ニュース 2/24)
 自民党の石破茂政調会長(衆院鳥取1区)は24日の記者会見で、民主党の石井一選挙対策委員長が鳥取、島根両県を「日本のチベット」と発言したことを受け、「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ、本当に悔しい、悲しい思いをした。そういう気持ちを考えない発言で断じて容認しがたい。チベットにもどういう認識を持っているのか」と批判した。

 石井氏は22日、都内で開かれた民主党の川上義博参院議員=鳥取選挙区=のパーティーで「鳥取県とか島根県といったら日本のチベットみたいなもんで、人が住んでいるのか。牛が多いのか。山やら何やらあるけど人口が少ない所だ」などと発言した。

 この発言に対し、鳥取県市長会が23日に抗議声明を石井氏に送付したほか、自民党鳥取県連も謝罪と撤回を求める抗議文を民主党鳥取県連に送った。


「日本のチベット」と言われたことに怒っているようだ。
侮辱・差別などと非難の声が上がっている。

「チベット」と呼ばれることを、”侮辱”とい言っているのだが、そう言うこと自体が、チベットを侮辱することになる。

確かに、「チベット」という言葉には「未開の地」「後進地域」というような意味合いがあるだろう。
昔は学校で、「岩手は日本のチベット」と教わったし、教科書にも書いてあったような気がする。

ところで、この石井発言の動画がずいぶん削除されている。
発言があってからまだ2・3日しか経っていない。
消すのには早過ぎるのではないか。

辛うじて見つかったのが、石井一氏「島根・鳥取、日本のチベット」である。
 「鳥取県とか島根県と言ったら日本のチベットみたいなもの。まあ、そう言うと少し語弊があるかもわかりません。人が住んでるのか、牛が多いのか」

前後が映っていないので、どのような文脈の中で言われたのかよく分からない。
多分抗議している連中も、伝えられた発言の断片だけで騒いでいるのだろう。

しかし、ただ騒ぐのではなく、それほど鳥取・島根が後進県である、インフラ整備が遅れていると政権与党の幹部が言うのなら、それを逆手にとって、公共事業でも教育予算でももっと寄越せと声を挙げるチャンスではないのか。
やることが逆であろう。

動画では石井はその後もしゃべっている様子が映っているが、ナレーションで石井の声が消えている。
鳥取選出の同僚議員のパーティでのスピーチである。
そうそう、鳥取・島根を見下した発言はしないだろうと思うのだが……。

以下はわたしの全くの想像である。
その場にいた人に尋ねれば一蹴されるかもしれないが。

「鳥取県とか島根県とかは……、それほど開発の遅れた地域であります。ここにおられる川上義博議員はこの地域の発展のために大変、力を尽くしておられます。我々も全面的に協力する積もりであります。」

こういう文脈の中での発言と考えると、動画がこの短時日の間に削除されている理由も想像できそうだ。
それとも、一部だけを捉えた映像に対して、石井側から抗議でもあったか?

どうもこのごろ、わたしの方がマスコミに対して疑り深くなっているのかもしれない。

単に口が滑っただけ、とも考えられるが、いずれにしろ次元の高い議論とは言えそうにない。
チベットを問題にしていても、緊張感に天地の差がある。




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小沢切りは自殺行為…うろたえるな民主党!

2010-02-23 17:11:29 | 小沢一郎
長崎県知事選の結果を受けて、自民党は浮かれている。
これで国民の支持が戻ってきたと思っているらしい。
江戸の敵を長崎で、ってか?

一方の民主党はといえば、例によってゴソゴソと動き出す奴らがいる。

長崎県知事選で民主敗北 スキャンダルが直撃、小沢氏進退再浮上も “利益誘導”選挙通じず

すべてぶち込んだ欲張った見出しは、産経。
見出しだけで中身はおおよそ見当がつく。
記事の結論も当然小沢降ろしである。

小沢氏に批判的な中堅議員は「まだ来年度予算案成立前で、地方選でもあるから、すぐには『小沢降ろし』は噴出しないが、党内は『小沢的なるもの』を排除しないと参院選に勝てない、という空気になるだろう」と、いずれ「小沢降ろし」の声が表面化すると予言した。(榊原智)

鳩山は今度の敗北を、小沢のせいだと思っている。
鳩山内閣の支持率低下も小沢のせいだと思っている。
反・小沢の連中も、すべて小沢のせいだと思っている。
「政治とカネ」の問題のせい、だと思っている。

鳩山内閣の支持率低下は鳩山のせいである。
鳩山に国民を引きつける魅力がまるでないからである。
勝手なことを言う閣僚を抑えつける力もない。
麻生以上にブレる発言。
マイクを向けられれば、条件反射で何にでも答える。
しかも日本語がまるで下手くそときている。
そしてあの馬鹿の一つ覚えの金ピカネクタイ。
二言目には小沢批判を繰り返す党内の幼稚な連中。
ろくな答弁も出来ない無能な大臣ども。
総理の足を引っ張る官房長官。

「政治と金」なんて問題は今に始まったことではない。
対応さえ間違えなければ致命傷にはならない。
鳩山が毅然とした姿勢を見せていれば、検察もマスコミもここまで好き放題はやらなかったろう。
民主党が一致結束していれば、攻撃するほうも考える。

小沢を続投させれば、民主党が国民に見離されるなどと言ってるやつがいる。
逆である。
小沢を切れば、民主党から離れる有権者のほうが多いだろう。
検察に対してたくさんの人が疑問や非難の声を挙げている。
小沢切りはそんな人たちに対する裏切りである。

治安維持法で捕まったから悪いのか。
特高警察に捕まったから悪いのか。

罪を犯したから悪いのではなく、秘書が逮捕・起訴されたから悪いのか。

長崎県知事選の勝利でマスコミも再び嵩にかかって小沢を攻撃する。

小沢民主党幹事長、長崎県知事選について述べた定例会見全文 (THE JOURNALより)

(読売記者) 陸山会の政治資金問題についてお尋ねしたいんですけれども、小沢幹事長は以前、事務所の不動産問題があった2007年2月ごろの会見以降、事務所費等含め中身に関しては全て公表するのが重要で、そのうえ、あとは国民が判断するものだとおっしゃっていたと思いますが、今回の問題に関しては、小沢幹事長が虚偽記載に関与しているか関与していないかというのは別にしても、おっしゃっていたこととは全く違う状況になっていると思います。この問題に関して「形式的なミスだ」というおっしゃり方を一貫してされていますが、実際ミスといういうのはあたりまえですが、過失の話であって、今回の件で言うと21億円あまりという巨額な虚偽がおこなわれていたワケであって、幹事長がおっしゃるミスというのは、問題の事実を矮小化(わいしょうか)して、ある意味"開き直って"いるようでおかしいと思われるのですが、その点に関してどうでしょうか?

(小沢) 読売新聞の判断は判断としてけっこうでございますが、わたくしは別に開き直ってもいませんし、隠そうともしておりません。しかも、検察の捜査の対象になりまして、結果として、そのような不正な事実はないということが明らかになったワケでありますので、わたくしとしては、今、君が言うような形でわたくし自身が、なんか、意図的に、あるいは、おかしな考え方を持っているという風には思っておりません。


検察が小沢不起訴を発表してからすでに半月以上が経つ。
その間、民主党も自民党もマスコミも何の検証も行おうとしていない。
そして、この読売の記者の頭の中では時は止まっている。
小沢にしてみれば、何度、何時まで同じことばかり尋ねるのか、と腹も立つだろう。
第一、これは質問ではない。
これまでの非難攻撃の繰り返しに過ぎない。
もともと小沢の言うことに耳を傾ける気などさらさらない。
質問をぶつけることが目的なのだ。
質問そのものが攻撃の石つぶてである。
ありったけの悪口を盛り込もうとするので、質問は長く、説明的になる。

現在は検察が一歩後退して、マスコミが前線に躍り出ている感がある。

今回の事件は、小沢に狙いをつけた検察の不法な捜査であり、マスコミの異様な検察への荷担を目にしながら、小沢を切ったとすれば、そのような民主党に明日はない。
検察やマスコミがいつでも好きなように料理できる民主党になど期待するものはなにもない。

改めて言いたい。

治安維持法で逮捕された人を、「逮捕されたから」というだけの理由で、あなたは非難できるか?
特高警察に捕まった人に向かって、「捕まったんだから、お前が悪い」と非難できるのか?

一度や二度の選挙で負けたからといって、浮き足だってどうする!





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変わらない検察、変わらないマスコミ、変わらない国民、変わらない民主党議員

2010-02-20 20:23:27 | 小沢一郎
まず次の二つの記事を読んでもらいたい。

「小沢辞めろ」コールはマスコミの怠慢
(抜粋)
週明けの新聞各紙の世論調査で、民主党の小沢一郎代表は辞めるべきだ、という意見が半数を超えていた。
さらに、小沢氏の記者会見の説明が、「納得できない」という意見が8割前後にのぼっていた。

これを受けて、民主党の党内までが揺れ始めたという。
曰く「小沢氏の秘書が起訴されたら、辞任は避けられないだろう」などなど…。

小沢氏の肩を持つわけではないが、日本人はもっと冷静になったほうがいい。
一般ピープルならまだしも、いやしくも立法府の構成員である国会議員までが、「起訴されたら……」とは、この人たちは刑事罰の仕組みや刑事訴訟法の精神を理解していないのだろうか。

「捜査ミス」を「政治とカネ」にすり替えるな!
(抜粋)
今回の事件を「政治とカネ」の問題と捉えたなら、それこそ検察の思うツボです。検察は、自らの捜査ミスを糊塗するため、問題を「政治とカネ」にすり替えようと、たくさんの情報をリークし続けてきたのです。

 そのため、いまだに今回の政治資金規正法違反を「大疑獄事件」ととらえている人が少なくないようです。実際、検察批判を続ける週刊朝日の編集部には「これほど大きな疑獄事件が起きているのに、なぜ検察の悪口を書くのか」といった電話が来ることもあり(そういう人は広告だけで、たいてい記事を読んでいない)、検察の世論誘導能力には、あらためて目を見張る思いです。


いずれも週刊朝日編集長山口一臣氏が、THE JOURNALに寄せた記事の抜粋である。
今頃、何を!、と思われるかも知れないが、じつはこれ、どちらも昨年3月のものなのだ。

昨年3月3日、小沢一郎議員の秘書・大久保隆則氏が逮捕された事件についての記事なのである。
前の記事は2009年3月9日、後の記事は同じく3月29日のものである。
それからほぼ1年が過ぎようとしている。

今回の小沢元・現秘書3人の逮捕事件に関する記事としてもそのまま当てはまる。
まったく昨年と同じことを繰り返しているのだ。
検察もマスコミも国民も民主党議員たちもみんな同じことをそのまま繰り返している。
だれも何も学ばなかったのか?

小沢幹事長「辞任を」74%、内閣不支持47% (YOMIURI ONLINE 2010年2月7日)
元秘書の石川知裕衆院議員らが起訴されたことを受け、小沢氏は幹事長を辞任すべきだと思う人は74%に達した。小沢氏続投を容認した民主党と国民の意識の乖離(かいり)が鮮明になった。

小沢に関する質問項目(数字は%のようだ)

Q 民主党の小沢一郎幹事長の元秘書、石川知裕衆議院議員らが、小沢氏の資金管理団
  体による土地購入代金を、政治資金収支報告書に記載しなかった罪で起訴され、小
  沢氏は不起訴となりました。
  あなたは、この事件の責任を取って、小沢氏は、幹事長を辞任すべきだと思います
  か、その必要はないと思いますか。
 答 1.辞任すべきだ 74   2.その必要はない 20   3.DK.NA 5

SQ【前問の答えが(1)の人だけ】
   小沢氏は、衆議院議員を辞職すべきだと思いますか、その必要はないと思います
   か。
  答 1.辞職すべきだ 66   2.その必要はない 29   3.DK.NA 5

Q 小沢氏は、東京地検の事情聴取を受けたあとの記者会見で、土地購入の資金は「個
  人的な資金である」とし、収支報告書については「関与したことはない」などと説
  明しました。小沢氏の説明に、納得できますか、納得できませんか。
 答 1.納得できる 9    2.納得できない 86    3.DK.NA 5

Q 小沢氏を起訴しなかった東京地検の判断は、適切だったと思いますか、そうは思い
  ませんか。
 答 1.適切だった 31    2.そうは思わない 51   3.DK.NA 18

Q 民主党は、今回の事件について、小沢氏本人にさらに詳細な説明を求めたり、政治
  的責任を問うたりするなど、自浄能力を発揮したと思いますか、そうは思いません
  か。
 答 1.発揮した 5     2.そうは思わない 88   3.答えない 7

Q 起訴された石川知裕衆議院議員は、議員を辞職すべきだと思いますか、その必要は
  ないと思いますか。
 答 1.辞職すべきだ 64   2.その必要はない 26   3.DK.NA 10

Q 鳩山首相は、偽装献金など自らの「政治とカネ」の問題について、国民に説明責任
  を果たしていると思いますか、そうは思いませんか。
 答 1.果たしている 16   2.そうは思わない 79   3.DK.NA 5


昨年の世論調査でも今年の世論調査でも小沢辞任に賛成するのが7割超えである。
国民は何も学ばなかったのか?

それにしても、世論調査というものは便利なものである。
結果など何とでもなる。

たとえば次の質問である。

Q 小沢氏は、東京地検の事情聴取を受けたあとの記者会見で、土地購入の資金は「個
  人的な資金である」とし、収支報告書については「関与したことはない」などと説
  明しました。小沢氏の説明に、納得できますか、納得できませんか。
 答 1.納得できる 9    2.納得できない 86    3.DK.NA 5


小沢の記者会見を見た人はほとんどいないだろう。
多くて国民の2割から3割程度であろうか。
記者会見を見ていない人に、会見の内容を都合良く要約する。

土地購入の資金は「個人的な資金である」とし、収支報告書については「関与したことはない」などと説明しました。

記者会見を見ていなければ、この読売の説明に「納得できない 86」という数字は当然であろう。
記者会見を見た人にだけ質問すれば、結果はまったく異なったものになるはずである。
これは当然そうすべき質問内容ではないか。

Q あなたは小沢幹事長の記者会見をご覧になりましたか?

Q 会見をご覧になった人にだけお尋ねします。
  あなたは小沢幹事長の説明に納得しましたか?

もう一つ、次の質問。

Q 民主党は、今回の事件について、小沢氏本人にさらに詳細な説明を求めたり、政治
  的責任を問うたりするなど、自浄能力を発揮したと思いますか、そうは思いません
  か。
 答 1.発揮した 5     2.そうは思わない 88   3.答えない 7


「小沢氏本人にさらに詳細な説明を求めたり、政治的責任を問うたりする」することが何故「自浄能力」なのか?
はじめから小沢が不正を働いた、罪を犯したという前提の質問ではないか。

はじめから小沢に対する悪意に満ちた世論調査である。
しかも、結果の数字さえ信用できない。
大手マスコミはそれほど国民の信用を失っている。

国民の大多数は去年のままかも知れない。
しかし、この一年間で多くのことを学んだ国民も確実に増えている。

検察の正視できないほどの劣化にも気がついた。
検察は、もともとひどかったと考える人も増えている。
マスコミのリーク報道にも気がついた。
世論調査に対する不信も大きくなっている。
マスコミが、既得権益擁護の急先鋒であることにも気がついた。

検察やマスコミが気づかないうちに、そんな人たちが増えている。
大手メディアの外側で、まともなジャーナリズムが現れつつある。

今、検察に対して、マスコミに対して戦いを挑むことは、小沢一郎を守ることではなく、この国の民主主義を守ることだと考える人たちが増えている。





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「ムネオ日記」を読む…官僚の掌で踊る千葉法相

2010-02-18 19:12:24 | 小沢一郎
今、お気に入りの議員が二人いる。

国家公安委員長中井洽(ひろし)と新党大地代表鈴木宗男である。
全国会議員の中で、堂々と正論を吐き続けているのはこの二人ぐらいであろうか。
ほかにもいるかも知れないが、いかに正論でも、吐く人の重みによってその価値は異なる。
中井洽は現職閣僚である故にその言動はある程度の関心・注目を集めることができる。
しかし惜しいかな、情報発信力が極端に弱い。

拉致問題担当でもある。
ここでもなかなかの実力者ぶりを発揮している。

拉致問題「実行犯引き渡し項目」削除めぐり波紋 (産経新聞 02月05日)

言いにくいことをはっきり言っている。
要は優先順位と戦略・駆け引きである。

閣僚中唯一人、「リーク記事ばかり書いてるマスコミ」と公言している貴重な存在である。
警察改革も着々と進めている。脱・小沢の意味するもの…愚かな反・小沢議員ども

この大臣を民主党はもっと売り出せ。
前原だの仙谷だの川端だの赤松だのという連中より余程面白い。
亀井以上のキャラクターの持ち主かもしれない。

本人の発信力が弱ければ、党の方で考えてやればいいのだが……。
せめて本人のウェブサイトくらいなんとかしてやってほしい。



その党の方も又情報発信力という点ではまったくお粗末である。
小沢一郎を始め輿石東、山岡賢次など幹部連中が揃ってマスコミへの露出に積極的でない。
ネットの利用も進んでいない。

この際、政策の分かる、腕のいい広報マンをスカウトしてでも広報分野を充実させることが必要であろう。
地上戦だけでは近代戦は勝ち抜けない。

情報発信力という点では、自身の知名度もあり、ムネオ議員に軍配が上がる。
特に、正論で押し通すその質問趣意書攻撃の切れ味は鋭い。
残念ながら、民主党政権がそれをまったく生かせていない。
鳩山総理・平野官房長官の無能ラインがムネオ議員の前に立ちふさがっている感すらある。
千葉景子法務大臣も加わっているか。

ムネオ日記

2010年2月13日(土)(抜粋)

足利事件の再審第6回公判の最終意見陳述で、菅家利和さんは「冤罪で苦しむ人が二度と出てほしくない」と声を詰まらせながら訴えたと言う。

菅家さんは「なぜ私が犯人にされ、自由を奪われたのか。原因を説明してほしい。こうなった責任が誰にあるかも説明してほしい。裁判所にはどうしても謝ってほしい」と、裁判所にも謝罪を求めている(12日読売新聞夕刊9面より)。当然の主張である。

 裁判官も官僚的発想で、しかも調書優先である。その調書は、検察のシナリオ・ストーリーに沿って作られているというのが実態だ。


検察がこの有様で、裁判官が検察の嘘を見抜く力がないとなれば、国民はどこに救いを求めればいいのか。
検察の暴走と言うことだけでは確かに済まないことである。
検察・裁判所の官僚意識、仲間意識にも注意の目を向けなければいけないようだ。

私の裁判でも、公判での参考人、証人の発言より、密室で取られた調書の方が信ぴょう性が高いという判決であった。真実、事実を述べた公判での話よりも、密室で検事により意図的、恣意的に作られた調書の方が正しいというのは、はじめから検察に軍配をあげている様なものである。
 私自身、検察のやり方を経験した者として、菅家さんの気持ちが痛いほどよくわかる。冤罪をなくす為にも、やはり取調べを全面可視化することが急務である。今こそ全面可視化の実現に向け、更なる努力をしていく。


えん罪を作り続けてきたのは、警察・検察ばかりでないことに気づかされる。
嘘を見抜けない裁判官。
同じ釜の飯を食ってきた仲間意識も強い。
全員司法修習で1年半から2年間、机を並べて勉強させられている。
もちろん弁護士も司法修習を受けている。
彼等は司法試験合格者としてエリートのお墨付きを得て、仲間内の言語で意思の疎通をはかる。
有罪率99.8%という異常さにわたしたちはもっと早くに気がつかなければならなかった。
法曹一元という思考・体制にもメスを入れなければならない時期がきている。

法務大臣、副大臣、大臣政務官が官僚の掌(てのひら)に載せられ、国民の目線に立っていない現実を見るに付け、国民の代表たる国会議員が立ち上がるしかないと感じる。しっかり前に進めていきたい。

なかなか言えないことを言ってくれている。
ムネオ議員としては法務大臣には言いたいことがあるのだろう。
それどころか、後ろから背中でもケツでも蹴飛ばしてやりたいところだろう。

鈴木宗男議員の質問趣意書

検察庁における裏金問題について指摘した元大阪高等検察庁公安部長の発言に対する千葉景子法務大臣の見解に関する質問主意書
 本年一月二十二日付東京新聞に、「内部告発直前に逮捕、服役し出所 三井元大阪高検公安部長 本紙に語る 『検察、まだ自民と一体』 小沢氏周辺捜査『裏金追及で反撃せよ』」との見出しで、元大阪高等検察庁公安部長の三井環氏が、検察庁における裏金問題について発言した記事(以下、「東京記事」という。)が掲載されている。右を踏まえ、質問する。(後略)


これに対する政府答弁書は木で鼻を括ったようなものである。
総理大臣、法務大臣は誰の味方か!
誰のためにムネオ議員はこれらの質問趣意書を出し続けているのか。
鳩山も平野も千葉も少しはムネオの好意に応えたらどうか!
鳩山は法務省の役人どものいい加減な回答に納得したのか!

衆議院議員鈴木宗男君提出検察庁における裏金問題について指摘した元大阪高等検察庁公安部長の発言に対する千葉景子法務大臣の見解に関する質問に対する答弁書

三から六まで及び十二から十六までについて

 個々の報道に関し、政府として、答弁することは差し控えるが、これまで累次の質問主意書に対する答弁書で述べたとおり、一般論として申し上げれば、検察当局は、常に法と証拠に基づき、厳正公平・不偏不党を旨として、適切に事件を処理しているものと承知している。

七から十一までについて

 個々の報道に関し、政府として、答弁することは差し控えるが、これまで累次の質問主意書に対する答弁書で述べたとおり、一般論として申し上げれば、検察当局においては、従来から、捜査上の秘密の保持について格別の配慮を払ってきたものであり、捜査情報や捜査方針を外部に漏らすことはないものと承知している。


こういう馬鹿な答弁書を書いていれば、自分で自分の手足を縛り、首を絞めることになる。
国会議員の質問に対して何故徹底的な調査も行わずに、こんないい加減な返答をするのか!
せっかく鈴木ムネオ議員が反撃の口実と機会を与えてくれているというのに!

ムネオ議員が、「法務大臣、副大臣、大臣政務官が官僚の掌(てのひら)に載せられ、国民の目線に立っていない現実」と書いたこの質問趣意書を鳩山は読んだのか!
答弁書は読んだのか!
答弁書は閣議決定が要るようだから多分読んだのだろう。
全員何も言わずに承認か?

官僚の(てのひら)に載せられている三人


法務大臣 千葉景子



法務副大臣 加藤公一



法務大臣政務官 中村 哲治




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検察庁改造計画…日本を覆う黒い霧

2010-02-17 07:37:43 | 小沢一郎
この国を、検察という「黒い霧」が覆っている。

検察庁をなんとかしなければ、と思っている国民は多い。

が、あんまりひどくて、いったいどこから手をつけたらいいのか……。
検察庁の改革は法務省全体の改革と同時に行わなければならないとも言え、かなりの力技を要しそうだ。
そこでまず簡単にできることを一つ提案したい。
これなら法務省に手をつけずに今すぐやれる。

検察庁法 第十五条 
検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行い、天皇が、これを認証する。


これを次のように改正する。

第十五条 検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行う。

認証官の廃止

なぜ検察はここまで暴走できるのか。
一つには、制度的な問題がある。
そしてもう一つ、検察庁の意識の問題がある。

制度と意識は密接な関係を持っている。
法務省には、10人の認証官がいる。

認証官とは、就任に当たり天皇の認証を受ける役職である。
任命権者は内閣であるから、天皇の認証に実質的な意味はない。
いわば「箔」をつけるだけのことである。
しかし本人達には大変なことらしい。

皇居において天皇自ら認証印のついた辞令を手渡される。
中には勘違いする奴もでる。
自分は単なる公務員に過ぎないのだが、天皇の臣下と思いこんでしまうらしい。

天皇の忠臣・国家の番犬として、内閣や国会と肩を並べた積もりでいる。

宮内庁長官も認証官である。

宮内庁長官羽毛田信吾

1999年8月31日 厚生事務次官
2001年1月5日 依願退職
   4月2日 宮内庁次長
2005年4月1日 宮内庁長官

中国副主席特例会見に関する発言
2009年12月11日
「政治的利用じゃないかといわれれば、そうかなという気もする」
「現憲法下の天皇のお務めのあり方や役割といった基本的なことがらにかかわることだ」
「国の間に懸案があったら陛下を打開役にということになったら、憲法上の陛下のありようから大きく狂ってしまう」
「政治的重要性などに関わらず、平等に外国と向き合うのが陛下のなさり方」
「心苦しい思いで陛下にお願いした。こういったことは二度とあってはほしくないというのが私の切なる願いだ」

クリントン長官、駐米大使を異例の呼び出し 普天間問題 (asahi.com 2009年12月22日)


これが真っ赤な嘘、藤崎駐米大使のでっち上げと判明した。
政府の方針の誘導、揺さぶりを狙ったものだった。

藤崎一郎

高祖父 初代内閣総理大臣の伊藤博文
曽祖父 外交官の西源四郎(元駐ルーマニア公使、伊藤博文の子・朝子の夫)
祖父 外交官の藤井啓之助(元駐チェコスロヴァキア公使、伊藤博文の孫・清子の夫)
父 外交官の藤万里(元最高裁判所裁判官、元駐オランダ大使)
妻 順子 元大蔵官僚・柏木雄介(元財務官、元東京銀行頭取)の子
義兄 外交官の高橋雅二(元財団法人交流協会理事長、元駐南アフリカ大使、藤万里・娘婿)
(ウィキペディアより)


凄まじい家系である。
駐米大使は外務省における最高ポストで、普通は、事務次官経験者がつく。
藤崎は例外的に次官を経ずに就任している。

大使は認証官である。
その他大勢の並び大使も認証官ではあるが、職務の性質上これは仕方のないところであるとも言えよう。

中央省庁の事務次官は認証官ではない。
一般的に認証官は事務次官より格上とされる。
ちなみに、官房副長官は認証官である。
事務方の官房副長官が事務次官会議を取り仕切ってきた権威の裏付けがこんなところにもある。
また法務省と外務省の特異な人事システムの歪みも、この認証官制度によるところが大きいと思われる。

さて法務省の10人の認証官である。
検事総長
次長検事
高等検察庁検事長 8人

このうち、検事総長、東京高等検察庁検事長、次長検事は法務事務次官より格上とされている。
法務省において、法務事務次官の序列は第4位かそれより下らしい。

彼等も天皇に認証されたことで、天皇の臣下、国家の番犬、更には国家の羅針盤たる意識があるようだ。
内閣・国会何するものぞ、という気概に満ちている。

三権の中でも検察庁と深い関係にあるのが司法(裁判所)である。
司法の最高役職は最高裁判所長官である。
これは天皇による任命であるから、認証官ではない。

しかし、その他14人の最高裁判事は認証官である。
そしてやはり8人の高等裁判所長官もまた認証官である。

一見、裁判所と検察庁と釣り合いが取れているようである。
しかしよく考えてみると、これははなはだおかしいことである。

一方は三権の一つの司法そのものの機関である。
それに対して、検察は行政の一機関たるに過ぎない。
内閣総理大臣と最高裁長官だけは天皇の任命によるという点で同格と言える。
しかし裁判所と、行政の一機関たる検察庁が肩を並べなければならない理由はない。

検察官は裁判官と対決・対立するものではない。
裁判で検察官が対等な立場で向き合うべきは、被告人・弁護人であり裁判官ではない。
検事が裁判官と同格である必要はまったくない。

認証官という制度が役人を思い上がらせ、仕える相手を間違わせる。
まずこの認証官制度を廃止してみよう。
そもそも官僚などという言葉を使って甘やかすから、こいつらが勘違いする。
単なる公務員である。

どうしてもただの公務員では嫌だというのなら、「高給公務員」と呼んであげよう。

認証官という身分は、職務・職責に誇りや自覚を持たせ、意欲を持たせるための大きな要因になる、なんてことをいう奴がいるかも知れない。
そんなものがなければ意欲が出ないなんて奴ははじめから要らない。

検事総長を国会同意人事にするという案もでているようだが、認証官廃止と同時にぜひそちらも実現してもらいたい。

かつて関東軍というものがあった。
陸海軍とは独立した単位であり、その統帥権は天皇にあった、
ために彼等は大本営の指揮から離れて勝手に中国戦線を拡大することが出来た。
そして、その日本の陸海軍そのものもまた天皇の統帥権を口実に政府から独立して、あるいは政府を無視して勝手な活動ができた。

法務省の外局に過ぎない検察庁が法務省を支配し、政府から独立して勝手気ままな振る舞いを続けているその背景には、「天皇の臣下」に通ずる「認証官」という意識や思い上がりがある、とわたしは思うのだが……。

ついでながら、一部に防衛省の統合幕僚長(自衛隊制服組のトップ)を認証官に格上げしようという動きもあるようだが、もってのほかである。
(認証官制度の廃止は検察庁に限ったことではなく、全公務員を対象にすべきである)

その他の必要な改良点

判検交流の廃止
検察庁・法務省の往来禁止
自主捜査の禁止
逮捕権の剥奪
特捜部廃止
……等々

これらについてはまた機会をみて書いていくつもりです。




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憲法に書いてない「報道の自由」…小沢報道をめぐって

2010-02-15 18:09:54 | 小沢一郎
日本国憲法には、「報道の自由」という言葉はない。
言葉だけではなく、その概念すらない。

マスコミは大きな誤解をしているようだ。
報道の自由とは、嘘を言ってもいい、デタラメを書いてもいいという意味ではない。

多くの人が、憲法によって保証されていると思いこんでいる「報道の自由」はメディアがでっち上げてきた、虚構の上の幻に過ぎないのではないか。
確かに、憲法の条文に書き込まれていない権利も次第に拡張されてきてはいる。
憲法条文の延長線上に環境権という概念が生まれ、「知る権利」が認められたりする。
しかし、条文に直接書いてないということが、その権利の定義の曖昧さ、強制力の弱さを克服できない大きな原因の一つなのではないか。
条文に書いてないということが、「報道の自由」そして「報道」そのものの本質論がこの国で一般化しなかった、そして深化しなかった原因の一つなのではないか?
それがこの国に、まっとうなジャーナリズムが育たなかったことの原因なのではないか?

「報道の自由」の根拠をどこに見つけるか?
「知る権利」から「報道の自由」が派生する、と考えることもできようが、「知る権利」自体が憲法条文にはない言葉である。
そしてそれはあくまでも情報を受け取る側の権利であり、情報の発信者の権利ではない。
この場合情報発信者側に生ずるのは、権利ではなく、国民の知る権利に答える義務であるということになる。
しかしその義務は公的機関に対してはあてはまるが、民間の営利企業であるメディアには押しつけられることではないだろう。
精々、道義的あるいは職業的良心とでもいうところにそれを求めることがてぎるというものであろう。
ただし、国民の「知る権利」が認められるならば、公的権力はそれを妨げるような報道弾圧・妨害をしてはいけない、ということになる。
メディアは、国民の「知る権利」に応えるという一点においてのみ、「報道の自由」を主張することが許される。

日本国憲法

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


「報道の自由」の根拠は一般的にこの条文に求められているようだ。
以前取り上げたことがあるが、この条文のアメリカ進駐軍による草案は以下のものである。

Article XX. Freedom of assembly, speech and press and all other forms of expression are guaranteed.

草案では assembly,speech and press and all other forms of expression となっているのが、日本国憲法では、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由というふうになっている。
憲法の「結社」という言葉がなぜ入れられたのかは専門家にでも尋ねてみなければ分からない。
単に、assembly を「集会、結社」と訳したのかもしれないし、何か別の意図があったのかもしれない。
speech が言論となっているのには問題はなさそうだ。
もう一つが press である。
これが「出版」となっている。

press  新聞、新聞界、雑誌、出版物、報道機関、記者

これも単に「出版」という訳語を選んだだけなのか、別の意図があったのかは分からない。
「出版」でも「報道」でも同じことだと考えたのかもしれない。

そして日本国憲法施行後ほぼ60年が経った。
時代の変化が怪物を生み出した。
テレビである。
テレビは明らかに出版ではない。

21条に関していえば、「言論」あるいは「その他一切の表現」の自由というところに含められなければならないということになる。
しかし「報道」と「言論・表現」とは一部重なるところはあるにせよ、明らかに大きな乖離がある。
報道は情報の伝達であり、それを媒介するものである。
一方、「言論・表現」とは自己表出である。
「報道の自由」という概念を全面的に憲法21条に依拠することは難しそうである。
とくにテレビにおいてはなおさらである。

ついでながら、「知る権利」についても、一般的にその根拠を21条に求めているようだが、むしろ「参政権」「国民主権」こそがその根拠であると考えるべきであろう。

「報道の自由」は、当然のように憲法で認められた権利ではないのである。
「報道の自由」は、社会的要請があって、そして「知る権利」に応える場合にこそ認められるものである。
「報道の自由・自由な報道」とは、社会が求め、守るべき価値があると認められて初めて正当性を持つことになる。

「報道機関」に対する社会的要請とはなにか?
一つは真実を伝えることである。
そしてもう一つは権力の監視・抑制である。

この二つを条件として初めて「報道機関」は守られなければならない存在になる。
権力は鳩山・小沢の側にある、というような言い方は詭弁に過ぎない。
憲法によって与えられた権力をもって小沢が戦いを挑んでいるのは何か?
憲法の裏側で構築された巨大な権力機構ではないか。
政・官・財の癒着の中で、国民の目には見えない形で根を張り巡らしている得体の知れない力ではないか。
そして「報道機関」は明らかに、この「得体の知れない複合権力機構」の一部になっている。
このような「報道機関」に「報道の自由」など叫ぶ権利も資格もない。

「報道の自由」と切っても切れない関係にあるのが「取材源の秘匿」である。
これは情報提供者のプライバシー、人権保護のためだけに認められる。
これ以外に、どんな場合に「情報源の秘匿」が正当化されるのか?

国家機密の保持というのは理由にならない。
国家機密を漏らし、それが報道されてしまえば、最早それは国家機密ではなくなっている。
機密保持を名目に情報源を秘匿することは矛盾である。

正当化されるのは、メディアがその情報の真実性を確信し、かつ国民の知る権利に応えるだけの価値があり、公共の利益にかない、匿名でなければその情報が得られない場合だけであろう。

そこで今回の小沢幹事長をめぐる一連の報道、情報源を秘匿した報道が正当な報道と言えるか、考えなければならない。

情報の真実性をメディアが信じているとは到底考えられない。
勿論、真実でない情報は、国民の知る権利に応えるものではない。
公共の利益につながるか?
主観的な判断になるだろうが、真実を前提とすることに変わりはない。
匿名でなければ得られない情報か?
名前が明らかになっても首になる訳でもない。
第一、首になるのが嫌なら黙っていればいいことだ。

法務省刑事局長大野恒太郎の答弁が、鈴木宗男議員の質問趣意書に引用されている。
鳩山由紀夫内閣における東京地方検察庁特別捜査部の取材対応のあり方等に関する質問主意書

「(特捜部)部長、副部長以外の検察官あるいは検察事務官に対しては接触をしないように報道機関に対してお願いをしている」

つまり一連の情報は佐久間達哉特捜部長か副部長氏から出たものと考えられる。
しかしながら、上の二人は職務として報道に接し、情報を伝えているということになる。
その場合、情報源を秘匿すべき理由はない。

同答弁書ではまた次のように答えている。

「ある刑事事件に関し、例えば逮捕された容疑者が自身にかけられた容疑についてどの様な供述をしているか、またその供述の結果、何らかの新たな容疑が見つかったか、更には別の人物が容疑者として浮上したか」は公表していないものと承知している。

しかし実際になされた報道は完全に上の答弁書の枠を越えたものである。
考えられるのは以下のケースである。

1 法務省刑事局長が嘘の答弁をしている
2 特捜部長、副部長が法務省方針・見解を超えた情報を流している
3 上記二人以外の検事・検察事務官がリークしている
4 メディアが情報を捏造している

4の可能性は少ない。
報道各社が一斉に同内容の捏造をしたとは考えられない。
実態は1~3が極めて頻繁に行われていたということであろう。

メディアは情報源を秘匿した報道をすべきではない。
とくにその情報源が公的職務にあるものの場合はなおさらである。
もし、その情報に真実性があると確信して、情報源を秘匿したまま報道するならば、メディアはその責任をとらなければならない。
しかしながら現在までのところ誤報・虚報の連続でありながら、どこのメディアも責任をとらないでいる。
誰の目にも触れないような小さな訂正記事がまれに出されることもあるが。

情報を得ることと、それを報道することとは別である。
匿名の情報源に基づく報道をする以上はその責任をとる覚悟が必要である。

「報道の自由」とは、その覚悟の上に成り立つものではないか。
「報道の自由」とは、それに値するメディアだけが主張できるものである。
憲法に明文の規定がない以上、それは社会的要請、国民の承認があって初めて正当性を持つものである。
今の新聞・テレビにはその資格はない。

「報道の自由」とは、週刊朝日が検察庁に脅しを懸けられたようなときにこそ、主張することのできるものである。




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「検察捜査の実態に関する集中審議」の開催を要求する!

2010-02-13 09:37:29 | 小沢一郎
党利・党略、個利・個略追求で自己否定に走る国会議員の醜さ・愚かさにはあきれるばかりである。
彼等には、国会の重さ、国会議員であることの重さへの自覚は皆無である。
口をそろえて、小沢幹事長辞任、石川議員の離党や議員辞職を要求している。

日本国憲法 第41条
国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関である。

小沢一郎は不起訴である。
特捜部が起訴したくて1年もかけて調べまくり、空前の規模の家宅捜査をやり、関係者を逮捕・監禁して取り調べ、小沢本人にも二度の聴取を行ってのその結論が不起訴なのである。
もし、検察をそれ程信用するのなら、その検察の不起訴という結論を素直に受け入れなさい。

石川議員についても同じである。
国権の最高機関たる国会の、選挙で正当に選ばれた議員の身分は重い。
行政の最高機関である内閣の指揮を受ける法務省の外局たる検察庁のそのまた末端の一組織である特捜部が勝手に貼り付けたレッテルを根拠にヤメさせることなど、国会そのものの権威を傷つける行為である。
石川議員はまだ起訴されただけである。
有罪判決が確定したわけではない。
それどころか裁判もまだ始まっていないのだ。

事件はまだ司法に手渡されただけであり、司法の実際の動きはまだ始まってもいないのである。
末端の行政機関にいいようにかき回されて、国会の権威が保たれるのか!

小沢幹事長や石川議員の離党や議員辞職を求めている連中の根拠の一つは、「国民の7割がそれを求めている」ということである。
世論が政治を決めるのなら、議員はいらない。
毎度世論調査をしてそれを国会の議決とすればいい。

これまではそうだった、と彼等はいう。
”検察に疑われたら有罪である。”
しかし、もはやこれまでとはちがうのだ。

検察は正しい。
新聞は正しい。
テレビは正しい。

そんなことを無邪気に信じていたのが国民の大多数であった1年前とはちがうのだ。

「眉唾」という言葉がある。
いまや、新聞もテレビも眉に唾をつけずに接することが出来なくなっている人々が激増している。
マスコミがどんなことを言おうとその信憑性を疑わずにはいられない人々が増えている。
彼等は、マスコミの報道に接する度に立ち止まる。
果たしてこれは真実か?

テレビをつければ、みのもんたが「小沢は……」と呼び捨てにして喚いている。
(もっとも気がついたのは一回だけだが)
しかし思わず出てしまったのだろう。
たぶん普段、「小沢の奴は……」と、仲間内で小沢の悪口を言い合っているのだろう。

わたしが、「小沢は……」「鳩山は……」と敬称抜きで書いているのとは違う。
わたしたちが普段の会話の中で、「長島さんは……」「王さんは……」、「朝青龍関は……」と言ったらかえっておかしかろう。
だが、みのもんたの場合は違う。
普段はしっかり「…さん」と呼んでいるのである。

わたしにとっては、長島さん、王さん、朝青龍関などという呼び方をすることこそが不遜な行為であるのだが。

衆議院予算委員会で「鳩山内閣の政治姿勢」をテーマとする集中審議というものが開かれた。
余りのひどさに愕然とした。
追求する連中は、「検察は正しい」、「マスコミは正しい」という前提に立って責め立てる。
使う言葉は感情的・情緒的なことばだけである。
質問者が替わっても中身は同じことの繰り返しである。
攻める材料はマスコミのリーク報道・虚偽報道そしてうわさ話程度しかないのであるからむりもないが。
受けて立つ鳩山は、「検察は公平・公正な捜査の結果……」と、どういうつもりなのか検察をかばうような言い方をしている。

多くの人たちが、検察の不当なやり方に声を挙げている。
それなのに、肝心の鳩山や小沢が、「公平・公正な検察の捜査……」などと言っていたのでは、降りる梯子をはずされたようなものではないか。

なぜ堂々と「検察の不当な捜査」と言えないのだ!
攻守双方、「検察は正しい」ということを前提にやり合っている。

「検察の不当な捜査・逮捕・起訴と違法なリーク、そしてそれを垂れ流しているだけのマスコミ報道にのみ依拠する質問ではなく、事実に基づいた質問をしていただきたい」と何故言えないのか!
週刊朝日を振り上げて、「あなたはこれを読んだか?」と何故言えないのか!
週刊朝日の記事を読み上げて、「あなたは産経新聞・朝日新聞と週刊朝日のどちらを信じるか?」と聞き返せないのか!
テレビ中継の入っているときに、しっかりこの記事を読み上げて、反論しろ。

「あなたはこの記事に信憑性があると思いますか」
「石川議員や小沢幹事長の参考人招致や証人喚問よりも、国民に対する明白な人権侵害について調査するのが先ではないですか」
「この記事の筆者の上杉隆氏やこの女性秘書を国会にお呼びしてお話をうかがうべきと思いませんか。もちろんご本人達のご了解が前提ですが」
「この記事にある民野という検事を参考人招致したい」

週刊朝日2月12日号 検察暴走! 子ども”人質“に女性秘書「恫喝」10時間
(抜粋)
1月26日(火)の昼ごろ、石川事務所に「タミノ」と名乗る男から電話があった。女性秘書に検察庁に来てほしいという。

女性秘書が「今日も押収品の返却ですか?」と確認すると、タミノは
「そうです、あと、ちょっと確認したいことがあるので」と返した。
よく聞き取れなかったので、もう一度確認すると、「返却です」と答えた。

女性秘書は、1月15日の石川逮捕以来2度(22日、25日)検察庁から呼び出しを受け「押収品」の返却に応じている。
今回も同様の案件だと信じた女性秘書は、ランチバッグ一つで検察庁に向かった。

霞が関から議員会館のある永田町からは一駅である。前日と同じように、コートも着ずに薄着で出かけた。ランチバッグの中には千円札と小銭、ティッシュとハンカチ、携帯電話だけである。
検察庁に着くと前回までとは違う部屋に案内される。
するとそこには民野健治という検事が待っており、いきなりこういい始めたのだ。

「被疑者として呼んだ。あなたには黙秘権があるので行使することができる。それから~」
事情を把握できずパニックになった女性秘書が、ほかの秘書か弁護士に連絡したい旨を告げると、
民野健治はそれを無視して、
逆に、携帯電話の電源を切るように命じ、目の前でスイッチをオフにさせたのだ。
それが昼の1時45分。だまし討ちの「監禁」はこうして始まった。

任意の事情聴取は、文字通り「任意」である。
よって、被疑者であろうが、参考人であろうが、当事者の同意が必要なのは言うまでもない。
仮に、拒否しても、その場を立ち去っても問題はない。
拒否も国民の当然の権利である。

ところが今回「聴取」というだまし討ち監禁は、そうした意向を問うこともなくスタートしている。

民野検事は、女性秘書に小沢と石川が共謀していたことを認めるよう迫り続けた。だが、彼女がそんなことを知る由もない。
女性秘書は石川が小沢の秘書をやっているときは、別の民主党議員事務所に勤めていたのだ。

しかも、当時は与野党に分かれており、自由党の石川秘書についてはその存在すら知らなかった。
そんな彼女が、小沢事務所の会計事務のことを知るすべはない。
その旨を正確に述べると、検事は次のような言葉を並べるのだった。

「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」
「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」
「何で自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」
こうした言葉をさんざん浴びせられたが、知りようもない事柄を語れるはずもない。
そこで黙っていると民野検事はこう言い放った。
「あんた、何も言わないのは愚の骨頂だよ」
取り調べ室では時刻もわからない。もうずいぶん時間も経過したのだろう。
ふと見るとそれまでブラインドから差し込んでいた外の光が暗くなっている。
3歳と5歳の子供が待っている保育園に迎えに行かなければならない。
夫でも誰でもいいから迎えに行かなければ、幼い子供たちも心配するだろう。

取り調べ可視化 これじゃ無理だ。

女性秘書は検事に対して、繰り返しお迎えの許可だけを懇願する。
一時的でもいい、必ず戻ってくる。せめて電話を入れさせてほしいと哀願し続けたのだ。
そして、母親の子供を思う気持ちが昂ったその時、
検事の発した言葉が、先の
「何言っちゃってんの?そんなに人生、甘くないでしょ?」という台詞だったのだ。

その言葉を聞いて、母親はパニック状態に陥った。
手が震え出し、自然に涙がこぼれてくる。
ついには呼吸が荒くなり、過呼吸状態に陥った。

飲み物を所望する。ご希望をどうぞ、と言われたので、「お茶をください」と言った。すると民野検事は事務官を呼び、庁内にあるローソンに買いに行かせた。事務官が戻ってきてお茶を出すと同時に検事はこういったのだ。
「120円、払ってください」

一方、昼間に出かけた女性秘書の帰りがあまりに遅いため、石川事務所のスタッフたちもさすがに心配になってきた。
ちょうどそのころ、検察庁から一本の電話が入った。
「○○さん(女性秘書の名前)からの伝言です。
 今日は用事があるので事務所には帰らないとのことです」
と、男の声で名前も名乗らず、それだけ言うと一方的に切れたという。

日が暮れて数時間がたつ。
子供の迎えの時刻が迫ってからは
「せめて主人に電話をさせてほしい」「ダメだ」というやり取りの
繰り返しになる。

あの小沢一郎の事情聴取ですら、準備に準備を重ねて弁護士を連れ、自らのホテルの部屋という条件で行われたのだ。しかも4時間半である。

一方、女性秘書の「監禁」時間はすでにこの時点で5時間を超えている。

だんだん思考能力も低下してきた、と、のちに弁護士にも語っている

この母親が何百回、同じ「哀願」を繰り返したころだろう。
ようやく検事が
「じゃあ、旦那にだけは電話していい」と認めた。
検事の目の前で携帯のスイッチをオンにし、画面に夫の電話番号を表示し、それを見せながら発信ボタンを押した。
子供の迎えだけを頼んだ。
それから次に弁護士への通話をお願いし、しばらくして同じように許可された。

弁護士が健治と「聴取」の中断を交渉し、午後10時45分、事務所を出てから約10時間ぶりに女性秘書は「監禁」から開放されたのだった。

結局、「押収品」は一つも返してもらえなかった。

つまり、東京地検特捜部は、最初からこの若い母親をだまして「監禁」することが目的だったのだ!



どこの国の国会なのか。
攻める側は、検察から漏れ出たいかがわしい情報を増幅させた大手メディアに頼り切っている。
守る側は、その検察に対する批判すら口に出せないでいる。

もうこの記事はみなさんご承知だと思うが、敢えて転載させていただいた。
一人でも二人でも多くの人に読んでもらいたいと思うからである。
わたしの書くものなんか比べものにならない重みがある。
民主党は、答弁ででもいい、質問ででもいい、国会でこの記事を読み上げろ。

それだけの力と価値のある記事である。

「検察捜査の実態に関する集中審議」を開催することを要求する!

ここに上杉氏、石川議員、同議員の女性秘書、前福島県知事佐藤栄佐久氏、菅谷利和さん、江副浩正氏、鈴木宗男氏、三井環氏等検察捜査の被害者を呼んで、検察捜査の実態を明らかにすることを要求する。
もちろん一方の証言だけでは不公平であろうから、加害者側から、民野という検事、佐久間達哉特捜部長、谷川恒太東京地検次席検事等もお呼びせねばならない。
「取り調べ可視化法案」を早くだして、そこでやるのもいいだろう。
ことはこの国に住む人たちの人権にかかわることである。
一刻もゆるがせには出来ない問題なのである。





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脱・小沢の意味するもの…愚かな反・小沢議員ども

2010-02-11 08:25:38 | 小沢一郎
民主党の中にも、小沢の説明責任を叫んだり、幹事長辞任を遠くから要求したり、石川議員の離党を求めたりする声がある。
愚かとしか言い様がない。

喜ぶのは誰か。
考えるまでもない。
彼等の行動は、利敵行為である。
敵とはだれか。

検察に代表される官僚そしてマスコミ、自民・公明・みんなの党・共産議員等の既得権益擁護の連合勢力である。
社民党も加わっている。
そして民主党の一部議員達がそれに加わっている。

彼等は誰の敵か?
国民の敵であり、民主主義の敵である。

「脱・小沢に踏み切るべき」民主・玄葉氏が月刊誌に見解 (asahi.com 2010年2月9日)
「小沢(一郎・民主党幹事長)さん1人に頼らなくてもやっていける体制を作り上げなければいけない」。民主党の玄葉光一郎衆院財務金融委員長は10日発売の月刊誌「文芸春秋」のインタビューで、民主党は「脱小沢」に踏み切るべきだとの考えを示す。


この認識は一面では正しい。
しかし、反小沢七奉行と言われる仙谷・枝野・玄葉たちが何を叫んでも説得力はない。
検察はなぜ小沢失脚にこれほど執念を燃やしているのか。
「小沢さん1人に頼らなくてもやっていける体制」とはほど遠い民主党の現状こそが、小沢を狙わせた真の原因ではないか。
小沢一人をやっつければ事は足りる。

小沢という重しがとれれば、民主党は烏合の衆である。
官僚どもにとっては赤子の手を捻るようなものである。
上手くすれば党分裂なんてことも出来そうである。

小沢を潰しても第二、第三の小沢がいれば、検察は小澤つぶしにこれほど躍起にはならない。
小沢が一人しかいないからこそ、検察は攻めてくるのである。

仙谷にしろ、枝野にしろ、前原にしろ確かに学歴では小沢に勝っているかも知れない。
弁舌も上かも知れない。
だが彼等は小沢の代わりにはなれない。

小沢にあって彼等にないものは何か?
同じことでも、言う人によって結果はまるで異なる。
どんな立派なことを言っても実現出来なければ何にもならない。

小沢が言ったことは実現すると人は信ずる。
その重みにおいて小沢は彼等とは決定的に違っている。
彼等はそこを誤解している。
近くで見ているからこそ、彼等は小沢との違いを過小評価する。

彼等は去年、世論に負けてというか、世論を利用して小沢を代表の座から降ろしている。
世論というよりはマスコミの、為にする世論調査にすぎないのだが。
小沢をおろして鳩山に替えた。
それで世論が変わり選挙に勝てたと思っている。
もう一度それが再現できると思っている。

しかし今度は国民はしっかり見ている。
検察を恐れてものを言えない議員達に国民は失望し怒りを覚えている。
世論調査に一喜一憂して右往左往する彼等の醜態を、国民は冷静に見つめている。

彼等の口から検察批判がでたことはない。

石川議員の女性秘書が検察に監禁され拷問同様の取り調べを受けたことを取り上げることはない。
週刊朝日の編集長に対して検察が抗議をしたことに対して問題視したことはない。
検察のリークとマスメディアの垂れ流し報道を正面から取り上げたこともない。

彼等の小沢批判の根拠は、大手メディアの報道だけである。
彼等には記事の真偽を検証しようという姿勢は皆無である
週刊朝日やゲンダイの記事は知っていてもまったく無視している。
どちらの報道が真実であるか知っていて、目をそらしている。

仙谷大臣、前原大臣、枝野議員よ、なぜ役人どもが表向きだけであっても、大臣の言うことをきいているのか、考えてみたことがあるか。
後ろに小沢がいるからなのだ。
小沢一郎がいなければ、民主党の大臣なんて屁みたいなものだ。

玄葉なんて、数あわせに七人のうちに入れて貰っているだけなのだ。
勘違いしてはいけないよ。

社民党は自分たちの生き残りがかかっているから世論大事で騒いでいるだけである。
こんなところは無視してもいい。

一つだけ付け加えておきたい。
この人物については不明を恥じて謝らなければならない。


(この画像は4度目の使用です)

国家公安委員長中井洽(ひろし)である。
政権交代後半年になろうというのに自身のホームページがこの有様。
ついからかってしまったが、現在民主党閣僚のうち唯一正論を吐いている男である。

国家公安委員長「捜査当局からリーク記事」 (YOMIURI ONLINE 2010年1月22日)
中井国家公安委員長は22日の閣議後記者会見で、再審公判が行われている足利事件に関連して、「今の自白中心の捜査と捜査当局から一方的にリークされる記事しか書かないマスコミという中では、冤罪(えんざい)被害はこれからも出ると思う」と述べた。
中井委員長は会見で発言を問いただされると、「リークされたことばかり書くマスコミと言ったんだ」と繰り返した。「今もリークがあると思っているのか」との質問に対しては、途中で「ずっとそうだ」と遮り、「お互い気をつけてほしいものだと申し上げている」と声を荒らげた。



そして仕事もしていた。
「取り調べの可視化」についてもちゃんと発言している。

中井公安委員長 前長官の“反対”は「20年前の理屈だ」 (スポニチ)
 中井洽国家公安委員長は24日、吉村博人・前警察庁長官が月刊誌文芸春秋12月号掲載の論文で取り調べの可視化(全過程の録音・録画)に反対を表明したことに対し「極めて単純、感情的反対のように感じた。何の資格があってああいうことを書くのか」と批判した。閣議後の記者会見で語った。

 吉村前長官は論文で、可視化が導入されれば被疑者との信頼関係を築き供述を得ることが困難になるなどと主張。これに対し中井委員長は「20年前の理屈だ」と反論、「現在の政権内での議論は、もっと現実と現行制度の欠点を踏まえた真摯なものだ」と述べた。
 また、近く警察庁内などに設ける可視化導入へ向けた勉強会で、吉村氏の意見を聞く考えはないとの認識を示した。
2009年11月24日 11:10


国家公安委員会の最大の問題は、事務局を警察が運営していたことだが、それも警察庁から切り離している。警察庁長官の記者会見をやめさせ、会見は自ら行い、長官は陪席させるにとどめている。
テレビカメラも入れている。
記者クラブ以外のメディアにも開放しているようだ。
国家公安委員の人選にも自ら乗り出した。

改革を一番進めているのは中井国家公安委員長ではないか。
彼は小沢の悪口など決して言わない。
小沢の存在が彼の改革を進める上で大きな力になっていることを認識しているからだろう。

彼の改革をどこかのテレビ局が追っていたが、まだまだ宣伝が足りない。
まず自身のウェブサイトから手を着けることをおすすめする。
ついでに国家公安委員会のウェブサイトの充実も望む。
ついでながら……国家公安委員会には5人の委員がいるが、その中に驚くべき委員がいる。

吉田信行
昭和16.11.23(68歳)
任期  平成17.5.24~平成22.5.23 産経新聞社専務取締役 論説・正論担当 論説委員長



今回の検察の無茶な捜査を多くの人が厳しく批判している。
その人達は小沢一郎個人が好きで応援しているわけではない。

検察の民主主義を踏みにじるようなやり方に怒りと危惧を覚えているからである。
そしてこんな現状を変える力は小沢一郎一人が持っていると思っているからなのだ。

小沢一郎に仕事をさせたいと思っているからなのだ。

仕事が終わったら、小沢一郎がどうなっても構わない、と言ったら言いすぎか?



石川知裕議員が離党の意志を固めた、というニュースが流れている。
本人は罪を認めていないし、裁判の結果が出たわけでもない。
本人は民主党に残り議員として活動したいと言っているのに、例の連中が追い出しにかかっている。
石川議員には、めげずに戦って貰いたいと思うものである。





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開き直る毎日新聞+毎日新聞社長、誤報で書類送検

2010-02-09 18:56:02 | 小沢一郎
誤報と虚報とはどう違うのか。

誤報は、報道する側が、さしたる悪意無しに誤って報じてしまったニュースを指すかと思われる。
誤解、勘違い、独りよがりな思いこみ等がその原因であろう。
虚報は、虚偽報道、つまり意図して偽りの報道をすることをいうと解釈できそうだ。

毎日新聞社長ら書類送付 飯島元秘書官めぐる誤報 (47ニュース 2/8)
発言内容の誤報で小泉純一郎元首相の秘書官だった飯島勲氏の名誉を傷つけたとして、名誉棄損容疑などで告訴された毎日新聞社の朝比奈豊社長と当時の政治部長、担当記者の3人について、警視庁麹町署は8日、書類を東京地検に送付した。

 同庁は「捜査した事件はすべて検察庁に送る刑事訴訟法の全件送致主義に基づき処理した」とし、処分に関する意見内容を明らかにしていない。

 告訴状は、小泉元首相の引退表明を聞いた飯島氏が「次期衆院選で小泉氏が応援しても小泉チルドレンは負けるだろう」と語ったとする誤った記事を2008年9月26日付朝刊に掲載、飯島氏の名誉を傷つけたとしていた。

 毎日新聞は翌27日付朝刊で「数日前の話を誤った形で引用した」と訂正した。飯島氏は告訴とともに同社に1千万円の損害賠償を求めて提訴。東京地裁は今年1月27日、100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


一読しただけでは、なんのことか分からない。
わたしもこんな事件があったと言うことはまったく知らなかった。

記事によると飯島秘書が毎日新聞に対して、民事訴訟と刑事告発を行っていたらしい。
刑事のほうは2008年9月26日に告訴状を提出したという。
民事のほうも多分同じ頃提訴していたのだろう。
民事訴訟の判決がおりたのが今年の1月27日。

報道では、誤報と言っているが、事実は記事の捏造である。
虚報といったほうがよさそうだ。
もっとも中身はどうでもいいようなことである。
結果として毎日の捏造記事は当たっていたが、記事になにがしかの価値があったわけでもない。

毎日が捏造報道をしたことには驚きはない。

驚くのは告発を受け付けた警視庁麹町署の対応である。
書類送検ば今年の2月8日。
受付からほぼ1年半が経っている。
多分民事訴訟で毎日が負けたのを見て安心して送検に踏み切ったのだろう。
しかし告発を受け付けた警察は独自の判断でしっかり捜査し対応すべきではなかったか。

小沢幹事長・石川議員らは、このところの一連の新聞・テレビ報道を徹底的に検証し、虚報・誤報に対しては、民事・刑事両面でしっかり法的措置をとるべきであろう。
メディアのあるべき姿を国民的議論の場にのせるいいきっかけになるのではないか。
検察だって週刊朝日に抗議文を送りつけているのだから。

それはそれとして、毎日新聞はこんなことで訴訟を起こされ、告発も受けているのだから少しは反省して報道内容に気をつければいいのだが。
反省のカケラもない。

目に余る検察リークの垂れ流し報道をつづけていた大手メディア。
毎日新聞が批判に堂々と反論している。

小沢氏団体不透明会計:小沢氏不起訴 検察リーク批判に答える=社会部長・小泉敬太 (毎日jp 2/5)

では、検察リークは本当にあるのだろうか。広辞苑には、リークとは「秘密や情報などを意図的に漏らすこと」とある。捜査情報を一手に握る検察は重要な取材対象だ。一方、検察にとって捜査情報が漏れれば捜査対象者の逃亡や証拠隠滅にもつながり、捜査自体が頓挫する恐れすらある。いきおい検察の口は堅くなり、取材は困難を極める。検察が情報を漏らすことは自らの首を絞めるに等しい。


だからリークはない、と言いたいらしい。
しかし、今回は、捜査対象者の逃亡の恐れは全くない。
空前の規模の家宅捜索を繰り広げておいて、証拠隠滅の恐れは口に出来まい。
「捜査自体が頓挫する恐れすらある」というが、はじめから頓挫している。

つまり検察には社会部長氏がいうような、リークを控える理由は何もないのである。
検察は漏れて困るような情報など何も持っていなかったのだ。

漏れて困るのは、監禁・脅迫・拷問を駆使した取り調べの実態だけである。

それでも記者たちは多数の関係者を取材し、資料を分析した結果を検察にぶつけ、裏付けを取ろうと日々、取材を重ねている。その中で検察から事実の断片を確認できることもある。それに基づく報道が、結果的に検察の意図が働いたかのように見えるケースもあるかもしれない。

相手の顔色を見て記事を書くのが得意な毎日新聞とはいえ、石川議員の手帳の中身までは顔には書いてないだろう。
通帳に”先生”とメモ書きがあると言うことまでは、読み取れまい。
いくら検事の顔を見つめても、押収したパソコンの中身までは読み取れない。
裏付け以前の問題である。

「検察の意図が働いたかのように見えるケースもあるかもしれない」ではなく、「すべて検察の意図に従った報道です」と潔く認めた方が毎日新聞の信用度が上がることになるのに。
少なくとも、本当のことを言うこともある、と見直される。

 問題は、得られた情報が事実かどうか、そして報道する価値があるかどうかを冷静に見極めるメディア側の力量だ。情報を垂れ流すのではなく、他の取材結果と突き合わせ、多角的に吟味して真相に迫る姿勢がメディアに求められる。私たちはその努力を続けている。

この部分の認識は、最後の一文を除いては正しい。最後の文は、「私たちはその努力を続けていません」とすれば真実に近づく。

とりわけ政治家ら権力者側の疑惑には、捜査状況も含めてさまざまな情報を国民に伝え、監視を続ける責務がメディアにはある。「指揮権発動」が叫ばれ、当局に都合のいい発表以外には情報が国民に届かないのでは、健全な民主主義社会とはいえない。

毎日新聞社会部長氏の最大の間違いは、疑惑は検察にあるということから、ことさら目をそらしているところにある。
国民の多くは、検察に対してこそ疑惑の目を向けているのである。
今、メディアの責務として監視すべき権力は検察庁なのである。
「当局に都合のいい発表」だけを報道しているのが毎日を含めた大手メディアではないか。

毎日のこの社会部長氏の言い分は「居直り強盗」のようなものである。

今回の大手メディア総動員の検察リークの垂れ流し報道は、誤報とは言えない。
大半は虚偽報道と言った方がいい。
一部、虚偽とも事実とも判断できかねるものも混じっている。
他方、検察に都合の悪い報道は一切出てこない。

「翼賛報道」と呼ぶのが一番実態に近いように思う。




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立花隆と森田実・過去の名声と無惨な現在

2010-02-07 19:43:43 | 小沢一郎
昔はものをおもはざりけり

たまたま、立花隆の書いたものを目にした。
すぐに森田実をおもいだした。
浮かんだ感慨が上のものである。
もちろん、ものを思わなかったのはわたしである。
それとも立花隆・森田実が変わったのだろうか。

上の句が思い出せなかったので調べてみた。

あひみての後のこころにくらぶれば昔はものをおもはざりけり

恋の歌であろう。
しかし、下の句だけでも人生に対する深い思いを吐露する嘆きの声として自立しているようにも感じられる。

かつてわたしは、森田実・立花隆の二人について、「政治の腐敗」に切り込む”日本の良心”というような漠とした印象を持っていた。
二人の書いたものを詳しく読んだわけでもなく、時折テレビで話すのを聞いていた程度であった。
わたしは、さほど政治に関心を持っていたわけでもなく、漠然とマスコミの報道に耳を貸していた「ものを思わざる」人間であった。

最近目にした二人の書いたものには、その議論の粗雑さに言葉もない。

立花隆が緊急寄稿(1) 異例の再聴取の裏を読む「小沢はもう終わりだ」 2月2日

小沢は生きのびられるのか?

小沢は基本的に終わった! あと一日、二日は生きのびるかもしれないが、小沢の政治生命はすでに終っている、と私は思っている。


多分続いてその根拠が展開されるのであろう。
客観的で説得力ある鋭い分析がなされるのであろう、と期待したのだが。

はっきりいって、小沢はもう終りと見てよいだろう。検察が二度目の事情聴取に踏み切るのは異例のことである。検察が目算なしに有力政治家の事情聴取に踏み切ることもなければ、秘書の逮捕(それも前元あわせ一挙に三人もの)に踏み切ることもない。ましてや二度目の本人事情聴取に踏み切ることはない。

根拠は、検察が小沢を二度聴取したことと、秘書3人を逮捕したこと。
ここには検察に対する深い信頼が読み取れる。

(中略)
そのガイドラインからみて、小沢のケースは、四億円(ないし八億円)であるから、文句なしに大きすぎるほど大きい。小沢の四億円は、田中角栄ロッキード事件の五億円、金丸信の五億円(佐川急便事件)とくらべて金額的に文句なしに同列にならぶ事件なのである。


下手な論理のすり替えであるが、こんな見え透いたことを立花隆が書くということに驚かされる。
田中角栄も金丸信も収賄・ヤミ献金のお金である。
小沢の場合は、自己資金の不記載あるいは虚偽記載の疑いである。
単純に金額だけを比べるのは無理があろう。

小沢一郎の金銭感覚の異常さは、彼が政治家の一年生としてこの世界に入ってきた当初から、田中角栄、金丸信という歴代の政治家の中でも最も金銭感覚の異常な超権力者たちの側近の政治家として育ってきたというキャリアのしからしめるところが大だったのかもしれない。小沢のもう一つの異常さは、その不動産への執着ぶりで、日常、走っている車の中から、なにかいい売り物件を目にすると、すぐに、それがいくらか、どのような条件かを調べさせるというエピソードによくあらわれているが、実はそのような性癖は田中角栄も持っていたことが、よく知られている。

「小沢一郎の金銭感覚」?
たとえそれを異常と感じたとしても、違法ではない。
個人的な好き嫌いのレベルに過ぎない。

おそらく、小沢は田中角栄に付き従って歩いているうちに、その性癖を自然に学び取ってしまったのかもしれない。そのような不動産を入手しては、秘書の住居として利用させたりしていたというあたりも、田中角栄の不動産利用法とそっくりである。また田中角栄の場合、それら不動産をペーパー・カンパニー(ユーレイ企業)名義として所有し、それらユーレイ企業が幾つもあったことで知られているが、小沢の場合は、ユーレイ企業の代りに陸山会などの政治資金団体名義にしていたわけで、カタチこそちがえ、構造的には、田中角栄がやっていたこととそっくりである。ここにおいても師匠ゆずりの手法が習い性となっていたといえるのではあるまいか。

要は、小沢が田中角栄の性癖を受け継いでいることが悪い、ということのようだ。
しかし、最後まで読んでいっても「小沢は終わりだ」ということの論理的説明はなく、田中の系譜につながる小沢一郎はけしからん、という情念のみが伝わってくるだけである。

これは小沢不起訴発表前の文章である。
次に不起訴発表を受けての緊急寄稿(2)がある。
せっかくこんな文章で結んであったのに。
 ↓
小沢、小沢で騒ぐのはもういいかげんでヤメにして、日本の政治をよりよくするために、小沢の終りをいかに利用するか、という方向に発想の転換をはかるべきではないか。

しかし本人は「ヤメにする」ことができないようだ。

立花隆が緊急寄稿(2)「小沢不起訴」の先を読む 2月5日
 小沢不起訴で小沢は助かるのか? とんでもない。不起訴があまりにも不当であるがゆえに、小沢はむしろ大転落への道を大きく踏み出してしまったのだ。
 問題点ははっきりしている。小沢の三人の秘書は虚偽記載を認めている。彼らの有罪は確定しているといっていい(池田秘書のみ未確定らしいが)。ポイントはその虚偽記載は秘書が勝手にやったことで、小沢の指示・命令・相談・報告・了承などの関与があったのか、なかったのかである。
 あれば小沢は共犯、なければ秘書の単独犯である。

 常識的に考えれば、小沢の事務所は、いかなるワンマン企業よりも激しいトップダウンの組織で、秘書らは日常奴隷のごとくとまではいわないが、召使いのごとく仕えている組織なのだから、小沢が何も知らない間に秘書が勝手に何億円もの資金を動かすなどということがあるはずはない。


「彼らの有罪は確定しているといっていい」
恐るべき結論である。
根拠は「小沢の三人の秘書は虚偽記載を認めている」ということである。
しかしこんな検察情報に100%寄りかかっていられるのも、立花が検察に対する深い信頼感を抱いているからだろう。
立花隆と特捜部との間には、小沢を倒すために共に戦う同士的感情さえ感じ取れる。

 その思いこみを捨てて、このようなケースでは、まず事務所の日常の金の動きと日常の小沢と秘書の関係を一般的に立証した上で、あとは間接証拠の積み重ねで、他の可能性(秘書の横領、泥棒など)をひとつひとつつぶしていけば小沢の関与は自然に浮かびあがってくるはずだから、それで充分と発想を転換していけばいいのである。

その検察の戦いぶりが歯がゆいのであろう。
戦い方まで指導している。

”間接証拠の積み重ねで”
”小沢の関与は自然に浮かびあがってくるはずだから”

つい、「正気か?」と言いたくなる。
そんなことは散々やり尽くしている。

ガチガチの自白証拠で二百%固めなければこういうケースは立件できないなどと思うからつい自白を求めて無理な取り調べをすることになる。そして、検察憎しの立場に立つ一部マスコミバカバカしい批判――たとえば、つい最近起きたと伝えられる(検察は事実無根と抗議)、子供を持つ石川の女性秘書を一〇時間も無理な取り調べをして保育園に通う子供を迎えにいけなくしたなど――を許してしまうことになる。

しかし、ここまで来ると立花隆に対してはもういうべき言葉もない。
彼は検察に批判的なマスコミに対して「敵対宣言」、「宣戦布告」をしているのである。

すでに、各種の世論調査で、小沢の弁明をそのまま信じている人などほとんどいないという事実の中に、裁判になったらどっちが勝つかがすでにあらわれているといってよいのである。

立花隆の頭の中では、裁判結果は世論調査で決まるらしい。

思い出すのは、ロッキード裁判の立ち会い検事だった堀田力検事である。
……
いまの検察首脳にそういう頭の勝負ができる検事がいれば、……


古き良き時代か。
原点はロッキード事件。
日本中を味方につけた立花隆と検察庁。
いまの特捜部は歯がゆくて見ていられないというのもよくわかる。

昨日の小沢不起訴のニュースで、街の声を拾うと、釈然としない人々の顔が目立った。小沢にかけられた疑惑は何も解明されていないのに、小沢が早々と不起訴になってしまうのか、という感じの不満顔でいっぱいだった。それを見て、これは金丸信の佐川急便事件のときの黄色ペンキ事件寸前だなと思った。

 それはそうだろう。誰が見たって、小沢不起訴はおかしいのである。もし、本当に、これが「これで小沢は真っ白です」の不起訴なら、私だって、黄色いペンキを投げに行きたい。

いまから予言してもよいが、小沢はもう終りなのである。小沢が不起訴で枕を高くして寝られるようになったと思ったら大間違いである


前回もそういっていた。

小沢は基本的に終わった! あと一日、二日は生きのびるかもしれないが、小沢の政治生命はすでに終っている、と私は思っている。

しかし、今度は日数までは予言できないようだ。
「小沢が不起訴で枕を高くして寝られるようになったと思ったら大間違いである」
なんか産経の言い方に似ている。
負け犬の遠吠えの典型的な言い方である。
しかし執念は燃えたぎっている。
もうこれ以上読む価値もないようなものであるが、その執念に敬意を表して次のも紹介しておく。

立花隆が緊急寄稿(3)小沢と検察、両者の会見から読み取れるもの 2月6日

だが今回は、検察審査会の制度が変った効果によって、実は不起訴の決定が引っくり返って、小沢起訴になる可能性も結構あるというのはすでに伝えられている通りである。


まあ未練タラタラというところである。
今度は検察審査会頼みである。

森田実も驚くほど立花隆に似ている。
わずかの事実をもとに思いこみと情念で仮想現実をこしらえあげていく。
過去の名声と現在の言い様のない論理性の喪失との落差には言葉もない。

森田実の時代を斬る
田中角栄は小沢一郎を非常に可愛がったそうである。田中の側近から聞いたことがある。昭和17年生まれの息子が夭逝していることから、同じ年に生まれた小沢と息子が重なって見えていたのかもしれない、と言われている。そのことで、田中は小沢を別格扱いした。若い頃から小沢は田中派の中で殿様扱いをされた。

 小沢が冷酷で傲慢な権力者になったのは、1991年初めの総選挙を自民党幹事長として指揮して勝ったときからだと言われている。何人かの元側近が、小沢の変質の時期を1989年の幹事長就任と1991年の総選挙の勝利の時からだと語っている。このときから小沢は誰よりも偉くなり、政治家をも見下すようになったようである。


まあ、展開されるのは小沢の人格批判である。
森田がしつこく民主党批判・小沢批判を続けているのは知っていたが、あまりにお粗末なので滅多に読みに行く気も起きないでいた。
たまたま立花隆と比較してみようとのぞいていてみたのだが、やはり読む価値なしである。

しかし、かつての日本の代表的な批評家と思われていた二人の現在の姿は、余りにも惨めで哀れをさそうものである。
彼等がまだ現役の批評家でいるのか、過去の人として生きているだけなのかは、いわゆる論壇といわれる業界の事情に疎いわたしには分からない。





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「嫌疑不十分」は人権侵害・読売の誇大報道

2010-02-06 09:15:47 | 小沢一郎
人を噛んだ狂犬を野放しにして、噛まれた人をよってたかっていじめている。

けじめをつけろ!
離党しろ!
議員を辞職しろ!

いじめているのは、マスコミと与野党の国会議員たちである。
そして彼等に煽られた愚かな国民である。

「愚かな国民」、こういう言い方は好きではないが、亀井も使ったことだし、敢えて使う。
彼等に悪意はない。
しかし、彼等が正しいと思ってしていることが、一人の人間の政治生命を絶とうとしている。
だが、彼等はその愚かさ故に許せる。
許せないのは、自分たちの利益のために人を犠牲にして、しかも正義を装う奴らである。
検察、マスコミ、そしてそのおこぼれで生きている似非ジャーナリスト、自称政治評論家どもである。
自民党、公明党、共産党、みんなの党、社民党の議員たち、そして民主党内の一部議員達である。
彼等は今回の東京地検特捜部の捜査が、「検察の公正」とは正反対のものだと百も承知の上で、石川議員の政治生命を絶とうとしている。

彼等は全員、週刊朝日の「子ども人質に女性秘書『恫喝』10時間」という記事を読んでいるはずだが、その記事について一言も口にしない。
検察庁が同誌の記事に対して抗議をしていたことも、編集長に出頭要請をしたことも承知しているが、決してそれに触れることはない。

わたしは、小沢幹事長や石川議員が決して清廉潔白・人格高潔、一点非の打ち所のない政治家であると思っている訳ではない。
大久保秘書や池田元秘書がどんな人間かも知らない。

そんなことはどうでもいい、と敢えて言う。
たとえ彼等がどんな人間であろうと、彼等に加えられた仕打ちは正当性を持たない。

憲法が保証する基本的人権など、検察とその応援者どもにはないに等しい。

石川議員ら3人が起訴され、小沢一郎は不起訴となった。
起訴されたから石川議員は離党せよ、議員辞職せよ、と叫ぶ連中は検察の不当なやり方を知っていて、それには気づかぬ振りをしている。
敢えて目をつぶっている。

不当な起訴をした検察に対して、分かっていながら尻尾を振るマスコミ。
それを自分たちの利益に利用しようとしている政治家。

起訴は有罪判決ではない。
有罪が確定するまではその人は推定無罪である。
憲法で保証された基本的人権は完全に守られなければならない。

起訴されただけで、議員辞職しなければならない、となったら、検察は国会議員に対して完全に生殺与奪の権を握ることになる。
今検察の尻馬に乗って石川議員に議員辞職を迫っている連中も、いつ何時身に覚えのない罪で検察に起訴されるか分からない。
そのとき、自ら進んで議員を辞職するか。

今まではみんなそうしてきた、というのは理由にならない。
むしろ国権の最高機関である国会の構成員が、一行政機関に生殺与奪の権を握られていたことを反省しなければならない。
国権の最高機関であるからこそ日本国憲法、そしてそこで保証されている基本的人権を最大限に尊重しなければらない。
国会議員であるからこそ道義的責任・モラルが大切だ、と言いながらそれを人に求めるのみで自らを省みることのない政治家とマスコミ。

狂犬に噛みつかれたことに道義的責任などあるはずもない。

検察は、小沢不起訴の理由を「嫌疑不十分」としたらしい。
検察は、起訴するだけの証拠をつかめなかった。
そこで小沢にべったりと「クロの印象」をなすりつけた。

これもまた人権無視の行為である。
証拠がなければシロである。

鈴木宗男議員が言っていた。
「シロかクロしかないんですよ」

これはまったく正しい。
有罪の証拠がない以上、その人の人権は100%守られなければならない。
検察は、起訴するだけの証拠をつかめなかった。
そこで、小沢にクロという印象を貼り付けて引き下がった。
これは完全な人権侵害である。

マスコミははやくも「グレー論争」を始めている。
「嫌疑なし」、「嫌疑不十分」、「起訴猶予」というような言葉を並べ立てグレーの度合いを解説している。

しかし「嫌疑不十分」を不起訴の理由として外部に公表することは完全に人権侵害である。
不起訴とはいえ、無罪の人間に対して「グレー」の印象を貼り付ける行為である。
貼り付けられた人間は、「グレー」の人間として暮らしていかなければならない。
「グレーの印象」を完全に払拭することはまず不可能である。
不死鳥のような生命力の持ち主である鈴木宗男議員でさえ、いまだに「ムネオハウス」の負のイメージをなにがしかはまとっている。

「嫌疑不十分」とは、無能な現場が上役に対してする言い訳としてなら構わないが、外部に公表することは許されない。
精々、正体不明の告発者への回答としてなら辛うじて認められるというものである。

検察の不起訴決定の数日前からマスコミは小沢の問題資金の額を急増させている。
不起訴に備えて、小沢の「クロ印象」を強調しておく意図があったのか?

陸山会の収支報告書、記載と違う出入り27億円 (YOMIURI ONLINE 2/1)

記事ではその27億円のお金の動きを図表入りで説明している。
無断転載禁止とあるのでリンク先だけ示しておきます。
参照してみてください。

陸山会による実態とことなる収支報告書の記載

詐欺師でも恥ずかしくて使えないような手口で金額だけをふくらます。
ポイントは「記載と違う出入り」という言い方にある。

まず小沢からの陸山会への4億円があるが、これが不記載。
そのお金で3億5200万の土地を買ったことを記載していないから合計で7億5200万の不記載。
さらにその3億5200万を翌年に記載したから合わせて11億400万が実態と異なるのだという。
しかし動いたお金は4億円だけである。

中世の錬金術師も真っ青である。
さらに最初小沢から借りた4億円を小沢に返したことが不記載であるから4億円上乗せして合計額は15億400万となる。
小沢は返して貰った4億円をもう一度陸山会に貸し付けて、それを返して貰ったことでさらに8億円の実際と異なる出入りが加算される。
これで見事に「実態と異なるお金の記載」は23億400万になる。
04年10月に実際に動いた1億8000万が記載されず、05年1月に2億8000万が記載されている。これをすべて足し算すると27億6400万円となる。
最後の1億円の差異が水谷建設からの5000万×2ということか?
一見良くできた図解であるが、実際に動いたお金は4億円だけなのである。
それが何回か動いただけなのである。

当初は4億円を担保に銀行から4億円の借り入れをしたという話が流れた。
不思議なことに、読売の解説からはその4億円の借り入れはまったく消し去られている。
この4億円を入れて考えると、実質的に動いた小沢のお金はゼロと言うことになってしまう。
実質ゼロが国民に伝わるときには、27億6400万円になっている。
「小沢はクロ」を国民に刷り込む読売の詐術である。
水谷建設からの1億円を巧みに取り込んでいるところが、余計に作為を疑わせる。

また当初石川議員か大久保秘書の供述として伝わった「ボクの個人的なお金だから返して貰わなくてはならない」という小沢の言葉も二度と表れなくなってしまった。
小沢が個人の資金を一時的に立て替えたことを明らかにする証言であったが、検察も都合の悪い証言だということに後で気がついたのだろう。
馬鹿なマスコミがそんなことに気がつくはずもないから、検察から何か言われて書かなくなったのだろう。

読売の説明に、銀行借り入れの4億円を入れて考えれば、実質的には動いた小沢の金はゼロなのである。

いくら国民が馬鹿だからといって、読売のこの解説は余りにも悪意に充ち満ちている。
これまで、ことさらお金の動きを複雑なものとしてリークされ報道されてきたためにわたしを含めほとんどの人にはその流れがつかめないでいた。

それをいいことに、「小沢は説明不十分」、「謎に満ちた巨額資金の移動」というイメージを作り上げる検察とマスコミ。
この27億6400万円はその最たるものであろう。

狂犬に噛まれた被害者を責めるよりも、狂犬の殺処分の方が先である!





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検察発狂…メディアは死んだか?

2010-02-03 20:46:32 | 小沢一郎
わたしたちの目に、二つの日本の姿が映っている。
一つは、大手商業メディア(大新聞・テレビ等)を通してみる日本である。
それは、多少の改善すべき点はあるものの、概ね優秀な官僚と公平・公正な検察がこの国を支え、使命感に燃えたマスメディアが監視の目を光らせている健全な民主主義国家日本の姿である。
問題を起こすのは一部の不心得の政治家であり、極々一部の官僚に過ぎない。

もう一つは、大手商業メディアによって提供される情報以外の情報に接している人たちの目に映る日本の姿である。
過去と決定的に異なるのは、インターネットの力であろう。
当然そこには大手商業メディアと同様の、あるいはよりいい加減な、根拠不明の情報も溢れている。
しかし、そこではわたしたちは情報を判断し選択できるのである。
どの情報に合理性があるか、どの情報に真実性があるか。
もちろんわたしたちのほとんどは直接事実に触れることはできない。
間接的に接するしかないのである。
それでも選択の対象はずいぶんと広がっている。

そこから見える日本では、官僚の腐敗・硬直化は極限まで進んでいる。
そして検察もまたまったく違った姿を現している。
今度の検察の小沢への取り組み方の異常さが、多くの人たちに検察への不信・懐疑の思いを抱かせている。
ここでは、大手商業メディアでは決して取り上げられることのない検察の姿、捜査の異常さが次々に明らかにされている。
過去の特捜の扱った事件にも新しい光が当てられつつある。

リクルート事件
鈴木宗男事件
福島県知事佐藤栄佐久贈収賄事件
三井環検事事件

いずれも被害者達が声を挙げ始めて検察を糾弾している。
彼等の声は大手メディアは決して取り上げない。
大手メディアが検察の走狗となって被害者を追いつめる世論作りの先頭に立っていたことを考えると、それもまた当然である。

大手メディアはこんなことを取り上げることはない。

「石川事務所の女性秘書を午後1時から10時半まで事情聴取している。小さな子どもがいるから早く帰してやってくれと言っても、検察は帰さなかった。」

「石川容疑者の任意聴取の段階で、検事が『容疑を認めないと帰さない』などと自白を強要した」


また、この事件を「検察権益擁護・官僚体制維持のための小澤つぶし」というような、明白きわまりない視点からの報道も皆無である。

大手メディア以外には、一部良識あるメディアもある。
これまでその情報は限られた範囲でしか受信されないでいた。
しかし今では価値ある情報はネットを通して何倍にも増幅されて瞬く間に伝播する。

一つの事件も、異なる媒体を通すとまったく異なった容貌を見せる。

政権交代によって、政・官・業のトライアングルにも変化の兆しが見えてきた。
しかしメディアはそこに深く食い込んでいる自らの姿を報ずることはない。
メディアは、目撃者であり、監視者であり、報告者であるかのように振る舞っている。

しかし、もはやメディアは、政・官・業の癒着構造の構成員であり主要プレーヤーの一人であることが明らかになってしまった。
そして崩れつつある癒着構造の維持・立て直しの尖兵であることも晒してしまった。

先日メディア各社は小沢幹事長の二度目の事情聴取はなくなった、と一斉に報じた。
しかしまもなく検察は再聴取を敢行した。
今日はまた、小沢幹事長の起訴はなくなった、とこれもまた一斉に報じている。
どこまでホントのことやら。

そして今日はもう一つ驚くべきニュースが報じられている。
我が国のメディアの試金石になる大事件である。
このことに対する姿勢如何によってメディアは死ぬことになる。

週刊朝日が東京地検から抗議を受ける!
週刊朝日2月12日号で掲載されたジャーナリストの上杉隆氏による「子ども人質に女性秘書『恫喝』10時間」の内容について3日、東京地検が同誌編集長の山口一臣氏宛に抗議をしていたことがわかった。

山口一臣氏(週刊朝日編集長)
「記事には自信を持っている」

 2月12日号「子ども人質に女性秘書『恫喝』10時間」の記事に対し3日、谷川恒太・東京地検次席名の「抗議書」を受け取りました。記事は丁寧な取材を重ねたものであり、自信を持っております。


ライターの上杉隆氏にも出頭要請があったというニュースがネット上に流れているが、そのうちはっきりするだろう。
以前、上杉氏は、「検察に狙われている」と警告されたことを公表していた。
上杉氏もこの程度のことは想定していたろう。

それにしても検察は狂ったとしか思えない。
前から狂ってはいたのだが……。

まさか東京地検次席検事の谷川恒太は、女性秘書の取り調べにあたった民野健治という検事に事実関係を確認したうえで抗議しているのだろうな?
民野健治検事は正直に答えたのか?

抗議の内容は、確認出来ないが、
「記事内容の何点かについて虚偽の点があり遺憾。厳重に抗議する」というものらしい。
具体的にどこが虚偽であるか示して貰いたいものだ。
どうせ「10時間ではなく9時間半」だ、という程度だろう。

言論の自由は検察を潰しても守らなくてはならない。

日本国憲法
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


この条文は、GHQの憲法草案では次のようになっていた。

Article XX. Freedom of assembly, speech and press and all other forms of expression are guaranteed.

現憲法は press という語を出版と訳したのであろう。
press ……辞書には、報道と出版の両方の訳が載っている。
わたしは、はっきり”報道の自由”とした方が良かったと思っている。
後ろに「その他一切の表現の自由」という語句があるので、そこに”出版の自由”も包含できると考えられる。

憲法ではっきり「報道の自由」を一人前に扱ってやっていれば、現在のメディアの体たらくも少しは違っていたかもしれない。

東京地検も安易に週刊朝日に抗議などしていなかったかもしれない。
地検側が具体的に記事の誤りの箇所を指摘しないまま抗議したとすれば、明らかに出版・表現の自由への侵犯である。

”報道各社”がこの検察の行動に対して、抗議の声を挙げなければ、それは自らの存在を否定することになる。
「報道の自由」を守ろうとしない報道機関は死んだも同然である。
存在する価値はない。
少なくともメディア各社は週刊朝日のどのような記事に対して検察が抗議しているのかぐらいは報道すべきである。
どうせ検察に対して正面切って抗議するほどの度胸はあるまい。
これまで散々デタラメ情報を流し続けてきた罪滅ぼしにせめてそれぐらいはやってみろ。

このことをどの新聞社・テレビ局が報道するか、そしてどのように報道するか、注視していたい。

先日、グーグルが中国政府のネット検閲に対して中国撤退まで覚悟して抗議の声を挙げた。
クリントン国務長官も中国に対して抗議している。

報道の自由、表現の自由を大事にする国がある。

ことは憲法に関する問題である。
国会は超党派、全議員の決議で、検事総長樋渡利秋を国会に喚問し、検察の情報管理の実態と同時に「言論の自由」に関する認識を追求すべきである。
(まったく期待はしてないが……)





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東京地検特捜部暴走事件

2010-02-02 05:57:55 | 小沢一郎
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、今回の小沢をめぐる東京地検特捜部の行動はまったく正反対である。
「人を憎んで罪を憎まず」である。
罪は何でもいい。
犯人を決めてから犯罪を探している。

およそ犯罪捜査というものには、事件の重大性と捜査規模とのバランスというものがあろう。
今回の特捜部の捜査は明らかにそのバランスが異常である。
現在のところは、政治資金規正法の虚偽記載という容疑である。
それに対して、繰り返される大規模な家宅捜査。
だれも、これまでに何カ所・何回行われたか正確な数を言える人はいなかろう。
参考人聴取は人数・回数ともにその総数は不明だが大変な数に上るものと思われる。
そして国会議員一名を含む小沢周辺の三名の逮捕。
正体不明の告発者による告発を利用した、政権与党幹事長の被告発人(被疑者)としての聴取。

この事件の小ささと捜査態勢・捜査規模の大きさとの不均衡を補うものが、「世論」なのであろう。
「世論作り」が地検特捜部の最大の捜査活動になっている。

「世論」を分ける分水嶺は二本ある。
そしてその二本の分水嶺はほぼ重なっている。

一本は、「検察の正義」を信用するか。
もう一本は、「マスコミの報道」を信用するか。

この分水嶺は国民世論の中央を通っているわけではなく、大分一方に偏っている。
向こう側の広い方にいるのは、官僚・マスコミ・亀井言うところの「冷静な判断の出来ない相当数の国民」である。
勿論自公連立政権の敗残兵もいる。
どういうわけか、検察もマスコミも信用していないくせにそちらに紛れ込んでいる民主党の議員も少なくない。
他に共産党の議員、みんなの党の議員は党を挙げて参加している。。

彼等の主張は、

小沢は説明しろ。
幹事長を辞任しろ。
議員を辞任しろ。

特に扱いにくいのは、「小沢は説明責任を果たしていない」と無邪気な正義感から叫んでいる連中である。
彼等は自分が分水嶺の向こう側にいることを自覚していない。
分水嶺の存在自体も理解していない。

”確信犯”と”彼等に流される大衆”の二種類の層が向こう側に住んでいる。

分水嶺の反対側に住んでいる人たちは数からいえば、圧倒的に少数派である。
しかし、検察批判、メディア批判はかつてないほど高まっている。
メディア各社への直接抗議も数が増えているらしい。
こちら側もわずかずつではあるが、確実に領域を広げつつある。

最近ではこの一連の騒動を「陸山会事件」と呼ぶ報道が増えている。
どうやら「陸山会事件」という名称が定着しつつあるようだ。
事件の名称は、その付け方に何か基準があるのかどうかは分からない。
しかし、名称というものは事件の本質を簡潔にしかも正確に表すほうがいい。

事件の本質は何か?
特捜部による”小沢潰し”である。
さらに言えば、旧体制維持の為の”小沢潰し”である。
しかもその手法も規模も常軌を逸している。

そこでわたしはこの事件を「東京地検特捜部暴走事件」と呼ぶことにする。
ほかにいくつか候補もあるのだが。

「東京地検特捜部・集団発狂事件」
「東京地検特捜部・政権転覆共謀事件」
「東京地検特捜部・人権侵害事件」
「東京地検特捜部・犯罪捏造事件」


実態がなく、情報リークだけで事件を作り上げようとしている点から
「東京地検特捜部・組織的公務員守秘義務違反事件」

他に
「東京地検特捜部・職権濫用事件」
「東京地検特捜部・誘拐・監禁・脅迫事件」
「東京地検特捜部・違法捜査事件」


なんかいくらでもできそうだ。





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