政治の季節【稗史(はいし)倭人伝】

稗史とは通俗的な歴史書等をいいます。
現在進行形の歴史を低い視点から見つめます。

橋本徹大阪府知事の傲慢

2008-06-13 07:04:47 | 橋下徹
「尊敬できない」「なら職変えて」橋下知事と職員バトル (asahi.com 6/12)

私のやり方があなたの意に沿わなければ、職を変えてくださって結構です」と切りかえしたという。

他人事ながらこの傲慢な物言いには我慢がならない。
選挙で選ばれたとはいえ、知事も公務員。大阪府のオーナーではない。
中小企業のオーナー社長なら、自分の意に反する社員を辞めさせることも出来よう(正規な解雇手続きを踏んだ上で)。
あるいは雇われマダムが勝手に店の女の子を首にする感覚か。

橋下の言い方は、日の丸・君が代に敬意と愛着を持たない人間はこの国から出て行け、という論法と同じだ。君が代などたかだか百年の歴史を持つに過ぎない。日の丸のほうはちょっと複雑だが、一般庶民が国旗として認識するようになったのはやはり明治以後のことだろう。しかし日の丸・君が代に対する態度がどうであれ、この国に住む人はこの国の人間なのだ。この国は、その人達を含めたこの国の人間のものなのだ。

大阪府は大阪に住む人たちのものだ。橋下に楯突こうがおべんちゃらを言おうが、大阪府はその人達のものでもある。

日本国政府のやり方に不満があるのならこの国に居なくて結構。
大阪府のやり方に不満があれば大阪にいなくて結構。
俺のやり方に不満があれば役所にいなくて結構。
何たって俺は選挙で選ばれたのだから。
選挙民は俺の公約を認めたのだから。
その俺の公約の実行を邪魔するやつは敵だ。


すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

これは日本国憲法の条文である。むろん知事もここでいう公務員にあたる。
知事は自分に賛成する人間ばかりではなく、反対の人間に対しても奉仕者でなければならない。
橋下は二言目には、『私は自民・公明の協力で知事になれた』と繰り返し、自民・公明は味方、民主は敵、と公言してはばからない。


連合系メーデー出席辞退の弁
「僕は自民、公明の支援で出てきたので。選挙は戦ですから。ちょっと、控えさせてもらいたい」
つぎは山口補選での与党候補への応援メッセージについて、
「僕自身も自民、公明の支持を得ることで知事になれた。自民、公明の判断に信頼を寄せてほしいという内容だ」


議会で政策論議をするときには確かに敵・味方があるのは仕方がない。
役人に対して、仕事の評価によって、昇格・降格、左遷や抜擢があってもいい。
しかし、自分に反対だからと言って首はないだろう。
相手には知事を首にする力はないのに。


この職員は多分何十年か大阪に住んでいるのだろう。
もしかすると知事選のときには、橋下に投票したかもしれない。
もしそうだったら、今頃はさぞ後悔してるだろう。

橋下が経費削減にがむしゃらなのはまあ認めてやるが……。
だが、それはそれ、これはこれ。その根性は許せない。




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