ちょうどゴールデンウィークの頃だったか、地元の居酒屋で呑んでた時に
仏友hisakoが「空海」と書かれたポスターを見つけて興味ありげにのぞいていました。
宗像で空海をテーマにした能の公演があるらしい。
ん~~~能かぁ…
じつは私、過去に2~3回、鎮国寺 や 宗像ユリックス のグランドで行われた薪能に行った事はあるけど
野外で鑑賞してるってーのに爆睡してしまったという過去を持つぐらい
能はどうも苦手…。
眠くなっちゃうんだよね~。
それに今回は狂言はないみたいだし。。。
ということで、チケットを買うこともなく見送っていたのですが
昨夜、モリカワから「うちの旦那さんが声明で出演するので見に来ませんか~?」というお誘いメールが届きました。
なぬっ。声明(しょうみょう)とな!!
テレビや 展覧会で聞いて すっごく興味あったんです!声明!!
(ここだけの話ですが、CD購入を検討したくらいなのです^^;)
ナマで声明を聞けるとあらば、行かないわけにはいかんでしょう!!
ということで行ってまいりました 新作能「空海」@宗像ユリックス 。
パンフレットのあらすじも読んだし、
入り口で配ってた歌詞が書いてある本(浄瑠璃では「床本」って言うんだけど、能は何ていう名前なんだろう?)
も読んだ。これであらかたのストーリーはわかったぞ、ふふん。
今回は寝ないもんねー!と思ってたのですが、、、
いざ始まると何言ってるんだかぜーんぜん理解できず、、眠くなってきた。
特に地謡の節回しの催眠作用がすごい効力。
なんでだろう?
長唄や浄瑠璃はちゃんと意味わかるのに。。。
物語とぜーんぜん関係なく単調に続く抑揚が苦手。
あと、日本語の単語のかけらが聞こえるのに、意味(文章)が全然伝わってこない。
やばい、居眠りしちゃいそう…。
こうなったら自発的になぜなぜちゃんになる作戦しかない。
能の笛は歌舞伎公演で聞く笛の音よりも枯れた感じがするなぁ。
とか
地謡の人も歌舞伎の長唄の人も、謡い始めるときに扇子を持つけど、その扇子の使い方の作法が全然違うぞ。
とか
そんなことを思いながらがんばって睡魔と闘っておりました。
すると、お坊さんたちが声明を唱和しながら揚幕から出てきた!
その瞬間、さっきまで睡魔と闘っていた私の目から涙がぽろぽろぽろぽろこぼれてきた。
なんかわかんないけど、いい~!
心が洗い流される感じ。
声明のパートが終わり、通常の能(地謡)パートへ入ると
またもや睡魔が…
何故なんだろう?
意味のわかんなさで言うと、声明だって意味全然わかんないし
いやむしろ、声明の方が日本語のかけらも入ってないぞ。
なのに、声明では涙が出てきて、地謡では眠くなるのはナニユエ?
もしかして意味を無理に理解しようとするのがいけないのかも。
理解しようとするけど理解不能→脳が拒絶→寝てしまうってことなのかも。
声明は意味を「理解しよう」なんてことはこれっぽっちも思わず、
だからこそシンプルに「感じること」に集中できているのかも。
そう思って謡の方も「意味を理解しよう」ではなく
見えたもの、聞こえてきたものを「感じよう」って思い始めたら
ちょっとおもしろくなってきた。
あれ?さっきよりも調子が激しくなってきたぞ。
あ、足踏み鳴らしてる! もしかしてあらすじで読んだ遭難のシーンか?
なーんて思いながら見始めると、だんだん能自体に集中できてきたし
能面が一瞬、人間のように表情のあるものに見えてきたりもした。
そっか、そっかー。
頭で理解しようとせず、五感が感じることを素直に受け入れればいいんだ!
そういうとってもシンプルなことをあらためて気づかせてくれた公演でした。
それにしても、声明いいよ~!
最後には散華もあったし。
テレビでしか見たことのない法会の場に居れたような気になりました。
あんなすばらしい時間をプレゼントしてくれたモリカワ夫妻には
本当に感謝です!
終演後の能舞台をパチリ。
なかなか趣きある空間でした。
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【参考】
声明 - Wikipedia
散華 - Wikipedia
YouTube - TokyoBouzCollection真言宗
YouTube - TokyoBouzCollection散華
仏友hisakoが「空海」と書かれたポスターを見つけて興味ありげにのぞいていました。
宗像で空海をテーマにした能の公演があるらしい。
ん~~~能かぁ…
じつは私、過去に2~3回、鎮国寺 や 宗像ユリックス のグランドで行われた薪能に行った事はあるけど
野外で鑑賞してるってーのに爆睡してしまったという過去を持つぐらい
能はどうも苦手…。
眠くなっちゃうんだよね~。
それに今回は狂言はないみたいだし。。。
ということで、チケットを買うこともなく見送っていたのですが
昨夜、モリカワから「うちの旦那さんが声明で出演するので見に来ませんか~?」というお誘いメールが届きました。
なぬっ。声明(しょうみょう)とな!!
テレビや 展覧会で聞いて すっごく興味あったんです!声明!!
(ここだけの話ですが、CD購入を検討したくらいなのです^^;)
ナマで声明を聞けるとあらば、行かないわけにはいかんでしょう!!
ということで行ってまいりました 新作能「空海」@宗像ユリックス 。
パンフレットのあらすじも読んだし、
入り口で配ってた歌詞が書いてある本(浄瑠璃では「床本」って言うんだけど、能は何ていう名前なんだろう?)
も読んだ。これであらかたのストーリーはわかったぞ、ふふん。
今回は寝ないもんねー!と思ってたのですが、、、
いざ始まると何言ってるんだかぜーんぜん理解できず、、眠くなってきた。
特に地謡の節回しの催眠作用がすごい効力。
なんでだろう?
長唄や浄瑠璃はちゃんと意味わかるのに。。。
物語とぜーんぜん関係なく単調に続く抑揚が苦手。
あと、日本語の単語のかけらが聞こえるのに、意味(文章)が全然伝わってこない。
やばい、居眠りしちゃいそう…。
こうなったら自発的になぜなぜちゃんになる作戦しかない。
能の笛は歌舞伎公演で聞く笛の音よりも枯れた感じがするなぁ。
とか
地謡の人も歌舞伎の長唄の人も、謡い始めるときに扇子を持つけど、その扇子の使い方の作法が全然違うぞ。
とか
そんなことを思いながらがんばって睡魔と闘っておりました。
すると、お坊さんたちが声明を唱和しながら揚幕から出てきた!
その瞬間、さっきまで睡魔と闘っていた私の目から涙がぽろぽろぽろぽろこぼれてきた。
なんかわかんないけど、いい~!
心が洗い流される感じ。
声明のパートが終わり、通常の能(地謡)パートへ入ると
またもや睡魔が…
何故なんだろう?
意味のわかんなさで言うと、声明だって意味全然わかんないし
いやむしろ、声明の方が日本語のかけらも入ってないぞ。
なのに、声明では涙が出てきて、地謡では眠くなるのはナニユエ?
もしかして意味を無理に理解しようとするのがいけないのかも。
理解しようとするけど理解不能→脳が拒絶→寝てしまうってことなのかも。
声明は意味を「理解しよう」なんてことはこれっぽっちも思わず、
だからこそシンプルに「感じること」に集中できているのかも。
そう思って謡の方も「意味を理解しよう」ではなく
見えたもの、聞こえてきたものを「感じよう」って思い始めたら
ちょっとおもしろくなってきた。
あれ?さっきよりも調子が激しくなってきたぞ。
あ、足踏み鳴らしてる! もしかしてあらすじで読んだ遭難のシーンか?
なーんて思いながら見始めると、だんだん能自体に集中できてきたし
能面が一瞬、人間のように表情のあるものに見えてきたりもした。
そっか、そっかー。
頭で理解しようとせず、五感が感じることを素直に受け入れればいいんだ!
そういうとってもシンプルなことをあらためて気づかせてくれた公演でした。
それにしても、声明いいよ~!
最後には散華もあったし。
テレビでしか見たことのない法会の場に居れたような気になりました。
あんなすばらしい時間をプレゼントしてくれたモリカワ夫妻には
本当に感謝です!
終演後の能舞台をパチリ。
なかなか趣きある空間でした。
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【参考】
声明 - Wikipedia
散華 - Wikipedia
YouTube - TokyoBouzCollection真言宗
YouTube - TokyoBouzCollection散華