El Camino de UK

旅とサッカーを中心に、備忘録として思いを綴っていきます。

東欧の古都~Krakow(Poland)

2004-10-04 | Europe

夜行列車で9時間かけて辿り着いた地は4ヶ国目・ポーランドの古都・クラクフ。
西欧諸国の華やかな街の雰囲気と異なり、社会主義政権時代の閉鎖的な面影が残り、自分が今東欧にいることを実感する。

戦争中、ポーランドで戦火を免れた数少ない街。
どこか日本の京都とかぶるこのクラクフを、僕はすぐに好きになった。

そして今まで旅をした国で断トツで美女率・ナンバー1のポーランド人女性。
目の保養には最適かもね(笑)

ベルリンの壁~Berlin (Germany)

2004-10-03 | Europe

第二次大戦以後、東西ドイツを真っ二つに隔てたベルリンの壁。
当時、西の住民、東の住民の人々はどのような気持ちでこの壁を見つめていたのだろう。

1989年11月、記憶に残るベルリンの壁・崩壊のニュース。
その後東西ドイツは統一され、2006年6月、統一後としてここで初めてのワールド・カップが開催され大成功を収めた。

ベルリンの恐怖~Berlin (Germany)

2004-10-03 | Europe

ドイツの首都・ベルリンに到着したのは午後11時半。
人気の少ない地下鉄のホームで柄が悪そうなドイツ人に睨まれ、とてつもない恐怖感を覚えた。

デュッセルドルフでのチケット紛失事件。
サッカー場でも駅のホームでも周囲の迷惑も顧みず煙草をプカプカ吹かせるドイツ人。
建物への落書きの多さ。

この時の僕は、一刻も早くドイツから逃げ出したい気持ちで溢れていた。

ドルトムントのちびっ子サポーター

2004-10-02 | World Football

僕の前の席に座っていたボルシア・ドルトムントのちびっ子サポーター。
この子、めっちゃ可愛かった。

全身BVBのジャージを身にまとい、お母さんに連れられて観に来ていた。
でもまだルールが分からないようで試合には全く関心が無く、落ち着かない様子であちこちうろつき歩いてる。
ハーフタイム中、黒髪の日本人が珍しいのか、僕の方を円らな瞳で見つめてきた。
あまりに可愛かったので写真を一枚撮らせてもらった。

やはりどこに行っても子供は可愛い。
願望だけど、将来結婚して子供ができたら、僕も子供にひいきチームのユニフォームを無理やり着させて、一緒にスタジアムへ応援に行けたらいいなぁ。
その願いが叶うのはまだまだ当分先のことになりそう…。

ブンデスリーガ/ドルトムントvsニュルンベルク@ヴェストファーレンシュタディオン

2004-10-02 | World Football


なんとかデュッセルドルフ駅でのチケット事件のショックを払い除け、サッカーの街・ドルトムントへやってきた。そう、あのブンデス・リーガの名門、「ボルシア・ドルトムント(BVB)」のホームタウンである。
 
なぜ高原のいるハンブルガーSVやカーンのいるバイエルン・ミュンヘンの試合ではなく、ドルトムントの試合を見に来たのには訳がある。
僕が高校生のとき、名古屋で行われた日本ユース代表とドルトムント・ユースの親善試合を観に行ったのだが、試合終了後にドルトムント・ユースの選手達がスタジアムに残って気軽にサインに応じてくれたこと。
また今まで唯一観に行ったことのあるトヨタカップの試合で出場してたチームがボルシア・ドルトムントだったこと。この試合は1997年、ベベット率いる南米代表・クルゼイロと試合をして、ドルトムントが2-0で勝利し世界一の栄冠を手に入れた。
そんなこともあってか、ブンデスと言えばボルシア・ドルトムントという構図が成り立ち、すっかりBVBのファンになっていたのである。それにブンデス一熱狂的とも言えるドルトムント・サポーターとドイツ一のサッカー専用スタジアムである「ベストファーレン・シュタディオン」も直に見ておきたかった。

ドルトムント中央駅に降りるや否や、構内はBVBのトレードマークである黄色のユニフォームやマフラーを身につけたサポーターでごった返していた。すでにサポーターはビールをがぶ飲みし、集団で応援歌を大合唱。もの凄いハイテンションである。
その大合唱は地下鉄に乗ってもスタジアムへ向かうにつれてヒートアップする。僕までもこれまでずっ夢見てきたヨーロッパサッカー観戦の実現が近づいているということに神経が昂った。初めて瑞穂競技場へJリーグを観に行ったこと、そして国立競技場へフランスW杯の最終予選を観に行った時のドキドキ感を思い出した。
 
スタジアムへ到着。周辺を見渡すと、いるいるフーリガン。刺青が彫り付けられ、まるで丸太ん棒のような腕をしたドイツ人。対戦相手のニュルンベルク・サポーターが警官に先導されぞろぞろアウェーの専用席に向かって歩いていく。近づくとちょっと怖いけど、思ったより殺伐とした空気は流れてなかった。
ベストファーレン・シュタディオンは2006年・ドイツW杯の開催地の一つであり、収容人数68,800人を誇る超巨大スタジアムだ。中でもホームのサポーターが集まる南側ゴール裏は、すべて立ち見スタンドになっており、ここが満員になると25,000人の熱狂的サポーターで埋め尽くされるという。因みにこの立ち見スタンドは欧州最大らしい。
 


この日もスタジアムはほぼ超満員。フランスW杯の開幕試合で、解説者の早野氏(現・柏レイソル監督)が、「菜の花畑のように見えるスタジアムのブラジルサポーター」と比喩表現を発したことが記憶にあるが、このベストファーレンでも25,000人の鮮やかな人工・菜の花畑が目にとまった。
試合が始まりホームゴール裏では、ブンデス一熱いBVBサポーターの地鳴りにも似た25,000人の大歓声がスタジアムに響き渡る。対する数こそ少ないがアウェーからはるばる駆けつけたニュルンベルク・サポーターも負けずに応戦する。
選手の一つ一つのプレーごとに飛ぶ大声援、大ブーイング、喝采の拍手。試合中に包み込まれたスタジアムの雰囲気はもはや劇場と呼ぶに相応しい。僕は初の欧州サッカー観戦をこのベストファーレン・シュタディオンで思う存分楽しんだ。

試合は前半ニュルンベルクが立て続けに2点を先制するも、そのあとドルトムントがすかさず反撃に出る。そして身長202cmを擁するチェコ代表巨漢FW、ヤン・コラーの2ゴールで同点に追いつく。この時スタジアムのテンションは言うまでも無く最高潮に達する。
しかし、前半の点の取り合いから一転、後半は膠着状態が続き、試合は結局2-2のドローで終了した。

スタジアムの雰囲気、サポーターの熱狂、100年の歴史を誇るブンデスリーガのレベルの高さ。もう感慨無量である。しかし、ここであえて一つ苦言を呈するなら、ドイツ人の煙草のマナーである。
ドイツではどうやらスタンドでの喫煙は認められているらしい。よって試合が始まっても観戦しながら煙草を吸ってる人がなんと多かったことか。喫煙者はそれでストレスを発散できて満足だろうが、煙草を吸わない者にとっては迷惑も甚だしい。
僕の周りの観客、前の席に座っている子供連れのお母さん、右隣の若い女性、後ろのお父さん、左隣の小父さん、全てが煙草をプカプカさせ辺りは煙で充満しているのだ。
周囲がみな敵(ヘビースモーカー)ばかりで助けがなく孤立するという四字熟語にある「四面楚歌」のよだった。僕は煙草の煙を吸いすぎて頭が痛くなり、後半は試合どころではなくなってしまった。
非喫煙者、女性、子供が快適に観戦できるようになるためにも、スタンドでは全席禁煙にして、外に喫煙スペースを設けるなどの措置をとった方が良いと思うのだが…。せめて一年後のW杯の時ぐらいはそうなって欲しいものである。

2005年2月5日現在、ボルシア・ドルトムントは18クラブ中13位という下位に低迷しており、かつてメラー、ザマー、コーラー、リードレといったスター選手を擁した'90年代の圧倒的強さは影を潜めている。
しかしバイエルン・ミュンヘンの一極集中状態をいつか打ち破り、ブンデスの頂点に返り咲き、もう一度チャンピオンズ・リーグの舞台で活躍している黄色と黒のタイガーユニフォームを見てみたい。

号泣~Dusseldorf (Germany)

2004-10-02 | Europe
 10月2日。デュッセルドルフは日系企業が多いことで知られ、ドイツで最も多くの日本人が暮らす街だともいわれている。当初の予定では、この街を訪れることは考慮に入れてなくて、寝床確保のために来たようなものだが、実際に来てみると緑が多くとても良いところ。
 ドイツの一大商業都市であるにも関わらず、写真のような緑豊かな芝生の公園が多いことに驚いた。僕はユースホステルのチェック・アウトを済ませ、ライン川沿いの広大な公園をバッグパックを抱えのんびり歩いた。
 気持ち良さそうにジョギングする人、子供や犬を連れて楽しそうに散歩する人。このような豊かな自然の恵まれた環境で暮らしている人たちを見てつくづく羨ましく思う。緑の芝に癒され、午後からは初の欧州サッカー観戦が待っている。僕は意気揚々とした気分でデュッセルドルフ駅へ向かった。
 しかし、そのデュッセルドルフ駅でこの旅最大の事件が勃発することになる。

 駅に着き、僕はドイツ鉄道(DB)の切符売り場、日本で言うJRの”みどりの窓口”で、デュッセルドルフ発ドルトムント行きと、夜行列車のドルトムント発ベルリン行き(指定席つき)の乗車券を合わせて購入した。
 しかし、売り場の出口を出てすぐに異変があることに気がついた。ヨーロッパの鉄道の切符は大概乗車券と指定席券と分けて発行される。つまりドルトムント発ベルリン行きの切符は乗車券と指定券の2枚ないといけないのだが、1枚しかないのである。
 たまたま今回の切符は一緒になっているだけだと信じてホームへ上がったものの、よく確かめてみると、ドイツ語は分からないが料金のところには3EUROという数字しか書かれていない。要するにこれは指定席のみの切符で、乗車代金は含まれてなかったのである。

 僕は少し頭にきて、改めて乗車券を発行してもらうためにホームを駆け下り、切符売り場へ。しかし売り場は長蛇の列。苦情を言おうにもまた一から並ばないといけない。
 するとその長蛇の列に並んでいたメグミさんという日本人女性と出会った。彼女はデュッセルドルフ在住で今フリーランスの仕事をしており、今日は日本からやってきた親戚のご家族と一緒にこれからケルンへ遊びに行くのだという。
 僕は彼女に事情を話し、ドイツ語が話せない僕に代わって駅員に説明してくれるようにお願いした。彼女は僕の頼みを快く承諾してくれ、男性の駅員に説明してくれたのだが、乗車券は発行させてもらえなかった。
 メグミさんの話によると、駅員は「それはできない。切符が欲しいのならもう一度買い直してくれ。」と言う。メグミさんが食い下がると、駅員は堂々とした態度で、「僕には関係のないことだ。文句があるのなら彼が切符を買ったあの駅員に聞いてくれ!」と言われたらしい。

 僕らはやむを得ず、僕が切符を買った駅員のカウンターの列に並んだ。駅員はドイツ代表GK、オリバー・カーンの女性版ともいえる厳格な目つきをした体格の良すぎるオバさんだった。半分あきらめムードで落ち込むまま僕らの順番が回ってきた。
 メグミさんは毅然たる態度で女性駅員に話しかける。予想通り駅員・女カーンもそれに怯むことなく強硬な語り口で捲くし立てる。
(女カーン)「私はちゃんと乗車券も渡しましたよ。履歴はコンピューターに出ています!切符はどこかで落としたんじゃないですか?欲しかったらもう一度買ってください!」
(メグミさん)「彼は買ってからすぐに乗車券がないことに気づいたと言ってます。だったらそのコンピューターの記録見せてください!」
(女カーン)「それはできません!規則ですから。」

 そんなメグミさんと女カーンとのドイツ語の激しいバトルが20分ぐらい続いただろう。僕は彼女たちの口論を黙って見ていることしか出来なかったが、全く見ず知らずの日本人の旅人である僕のために、親戚との楽しいケルン観光の時間を削ってまで、必死になって僕を助けようとしてくれているメグミさんの姿に、申し訳ない思いと感謝の気持ちで一杯になった。
 結果的にドルトムント発ベルリン行きの乗車券は発行してもらえず、支払った65ユーロを損失することになってしまった。貧乏旅行者の僕にとって65ユーロはユースホステルの宿泊費4日分に相当する大損害である。

 完全にドイツ人不信に陥り、さすがに落胆の色が隠せなかった。落ち込んでいる僕にメグミさんの親戚の方々が寄ってきて、「兄ちゃん、若いのに一人で外国に来るなんて度胸がいいよ。俺ならとてもじゃねぇけど一人でこんなとこ来れねぇなぁ。」「一人で一ヶ月も旅行?すごーい。がんばってください!」と僕をひたすら元気づけようとしてくれた。
 「きっとこれからいっぱい楽しいことがあなたを待ってるから、元気出して前向きに頑張ってね。」最後にメグミさんのこの言葉を聞いた時は、もう溜まっていた感情が抑えきれず、涙が溢れ出てきてその場で人目を憚らず号泣した。
 ドイツ語はおろか英語すらまともに話せず、駅員を説得することができなかった自分に憤りを覚える悔しさもあったのだが、この時はメグミさんや親戚の方々の優しさに触れ、それに対する嬉しさの表れとなった号泣だった。本当にありがとう。僕は親切にして下さった彼らのことをこれからも一生忘れることはないだろう。

 旅行者の中には全財産を盗られたり、パスポートやレールパスを紛失するなど、僕より大きなトラブルに遭う人もいる。65ユーロの損失は最小限のトラブルだったと考え、これからあのような事件に遭わないためにも気を引き締めて前向きに行こう。
 旅はまだ始まったばかり。メグミさんの言う通りこれから楽しいことがたくさん待っているのだから。ケルンへ向かうメグミさん達と別れ、気持ちを切り替えサッカーの街・ドルトムントへ向かった。

****************************************************************************
10/02(土)①デュッセルドルフ

06:30 起床
07:00 朝食
09:00 デュッセルドルフYH、チェック・アウト
09:20 ライン川の芝生の公園をのんびり散歩
10:00 デュッセルドルフ駅到着
10:30 切符の異変に気づく、売り場でメグミさんと出会う
11:30 メグミさんと親戚のご家族と別れ、デュッセルドルフ駅出発

  

圧巻!ケルン大聖堂~Koln (Germany)

2004-10-01 | Europe
 
10月1日、名残惜しくブルージュを離れ、ブリュッセルを経由し、ドイツの高速鉄道、ICE(Inter Ctiy Express)に乗って早くも3ヶ国目・ドイツに入国した。
 ルール工業地帯の中心都市の一つであるケルンには、14時半頃予定通り到着した。この街へ来たのは、有名な世界遺産の教会を見るためだった。教会の名は”ケルン大聖堂”。約600年の歳月をかけて建てられたゴシック様式のカトリック寺院だ。
 
 ケルン中央駅の入り口を出た途端に、想像をはるかに超えた、威容のある巨大な大聖堂が目の前に飛び込んできた。他のものを圧倒する存在感。「うわ~、すげ~!!」と思わず感嘆の声をあげずにはいられなかった。
 大聖堂の正面まで来て上を見上げると、ますます異様な巨大さに圧倒されてしまう。高さ157m、これ以上大きな教会って他にあるのだろうか。全体の写真を撮ろうと後ろへ下がっても下がってもカメラのフレームに収まりきらない。よくもまあ人間はこれだけのものを建てたものだ。驚愕とはまさにこのことを言うのだろう。
 ケルン大聖堂は、外観だけでなく内部も見所は多い。まず玄関から内部に入ると、高さ43.5mの身廊に息をのむ。そして色鮮やかなステンドグラスに、中央祭壇の奥には、東方三博士の聖遺物が納められている。
 また、509段の螺旋階段を登って、高さ109mの展望台から、ライン川も見えるケルンの街を見渡すことができる。今回の旅の中で様々な街の教会や城、門を登りまくったが、中でも一番きつかったのがここケルン大聖堂。ホントに心臓破りの階段で、もうこれでもかというくらい登り続けた。
 頂上に着いた時は、汗びっしょりだったけど、その分登り終えた後の爽快感は気持ち良かった。訪れた教会ではやはりケルン大聖堂が一番感動したかな。バルセロナのサグラダ・ファミリアの教会とどちらが感動するのだろう。いつか見比べてみたい。

 予定ではケルンのユースYHで一泊し、翌日ドルトムントへ向かうはずだった。しかし、ここで困った事態に直面する。この日ケルンの街は、駅や大聖堂など異常なほど人が多かった。あとで日本人の方に聞くと、今ケルンでは大きなフェスティバルがあり、ヨーロッパ中から観光客がケルンに来ているとのこと。
 案の定、インフォメーション・センターで、ケルンのユースでベッドの空きがあるかどうか問い合わせてみたところ、全て予約で満室だという。う~困った…。僕は途方に暮れ、広場のベンチに腰掛け暫くどうしようか考えた。
 考えた末の結論は、ケルンからICEで20分くらいのところにあるデュッセルドルフという街へ移動し、そこのユースに泊まろうということになった。そこでももし満室だったら、もうシングルのホテルで我慢しようと。

 ケルンからデュッセルドルフへ向かうICEは、やはりフェスティバル帰りの乗客で超満員だった。座席に座ることも出来ず、人であふれかえっている狭い通路で待ち続け、早くデュッセルドルフに到着することを願った。
 これで問題なく解決しかたに思えたちょっとしたトラブルは、翌日、一日中散々な目に遭うことになる前兆だったのかもしれない。もちろんこの時の僕には、あとに続く第二、第三のトラブルが待ち構えていようとは知る由もなかった…。

********************************************************************************
10/1(金)ブルージュ~ケルン~デュッセルドルフ

08:00 起床
08:30 朝食 
09:30 ブルージュYH、チェック・アウト
10:30 ブルージュ駅出発
12:16 ブリュッセル駅でICEに乗り換えドイツへ
14:40 ケルン中央駅到着
15:00 ケルン大聖堂(外観、内部を見学した後、展望台に登る)
17:20 ケルン中央駅出発
17:40 デュッセルドルフ駅到着
18:30 デュッセルドルフYH到着、チェック・イン
19:00 スーパーでパン等を買う。夕食
19:30 タイ人の青年実業家バックパッカーのポーンサック君と出会う。
22:00 就寝