ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

それでも呼吸をとめてはいけない。

2008-06-24 00:32:33 | 日記
 息を吸う。息を吐く。わたしはまだ生きている。

 終わったのでした。
 10年半続いた春が終わったのでした。
 わたしはお嫁にいかないことになりました。
 自分を奮い立たせてはいたけれど、実は、そんな予感はあったのでした。
 それでもわたしは夢を見たかった。10年半見ていた夢を、この目で現実のものとして、見たかった。
 でも、ダメだそうです。もう。だめなんだそうです。
 広島まで押しかけて、話をして、泣いて、抱かれて、ああ、だめなのか、と納得したのでした。
 好きかどうかわからなくなったと言う。嫌いじゃないよ、というのがギリギリ精一杯の優しさであるらしい。自分の気持ちに正直な彼は、それ以上のことが言えないらしい。いつかまたわたしと一緒になりたいとおもうようになるかもわからない。ただ今は一人でいたいのだ、と。待たせるのは申し訳ないし、かわいそうだから、別れることになっても仕方ない、と。

 待っている、とわたしは言いました。
 耐えられないだろうとおもったから。
 ずっと見てきた夢が、跡形もなく消えてしまったら、きっと耐えられないから、いつかまた気持ちが戻るかもしれないという、可能性にすがりついたのでした。

 でも、たぶんわたしは待てないだろうと思う。
 もともと、一人でいることを好む彼が、もう一度わたしといっしょになりたいなんて酔狂なことを思うことが、もしあるとしたって、相当先のことだろう。
 わたしは一人でいられない。だからわたしはたぶん待てない。別の誰かを探すだろう。見つかるかどうかは別にして。
 夢を見続けたい一方で、明日のことを考える。結婚しないのならば、このままこの街に住んで、仕事を続けて、一人で身を立てていくためには仕事を変えることも必要になるだろう、いつまでも親の脛をかじってこの家に居続けることもできないだろう。待つのをやめて、別の誰かを探すだろう。見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
 考えることはいろいろある。現実を歩いて行くために。

 だけどそれらを考えたら、もう夢が見られない。それがこわい。

 ほんとうに、たいせつな、夢だったのです。
 迷ったり、不安があったり、愚痴ったり、いろいろだったけれど、でも、ほんとうにほんとうに、たいせつな、夢だったのです。
 手をはなすことがどうしてもできない。
 だって、待っていれば、もしかしたら、またあの夢が見られるかもしれない。戻ってくるかもしれない。だって、10年半ものあいだ、たいせつにあたため続けた、たいせつな、たいせつな、夢なのだから。

 しばらくは、ひとつの目で明日を見て、ひとつの目で昨日を見つめるように、生きていくことになりそうです。
 歩かなければいけない現実と、あってほしかった現実が、二重写しになって、めまいがするような、日々です。

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