僕の菜園日誌

家庭菜園40%、水彩画40%その他雑記20%の生活ブログです。ごゆっくりどうぞ。

学ぶとは自ら「気付く」こと

2007年02月19日 | クロッキー
だれ?これっ・・・・また自画像なんか載せちゃって・・・はは~ん、ナルシストかCezanne?
少なくとも私は違います。ですが、絵描きってみんな自意識過剰じゃない?・・・なんてお思いの方もたくさんいらっしゃると思います。彼らは生涯で何枚自分の顔を描くのでしょうか。100枚?200枚・・・いやそれ以上かも。どうしてそんなに描いちゃうのでしょうか。
やっぱり自意識過剰だからでしょうか。でも一概にそうとも言い切れません。私の言い分はこうです。それは、モデルに気をつかわないで描けるからでしょう。他人は他人です。どんなに見たまんまといいながらも、社会的良識が身についている限り、気持ちのどこかにお愛想が入ってしまうものです。特に女性や子供・・・神経をつかいます。「その線・・・しわ?(もっと張りがあるわっ)」「この子ウチの子?・・・・・・(どこのガキよ)」
・・・・で、独り、気を取り直して、文句をいわない鏡に向かうわけです。ですがその文句を言わない己を描いても、冷ややかに言われることがあります。「ちょっと若すぎじゃない?」
私は思います。「自分のツラだけは、いつも視たままを描いているつもりだ。下手だけど・・・」老ける自分に歯止めがきかない40代、「ジジイが像」です。あ、気付いた。私の髪の毛、ヅラにみえるけどヅラじゃないずら。ばしっ!

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2 コメント

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奥が深い! (オヤジな私)
2007-02-20 18:33:34
なるほど納得です。
画家さんでなければ思いもしない思惑の数々ですね。
他人、女性と子どもを描くときの心労もよ~く理解できますね。
ニコニコしながら作品を受け取りながらも、一瞬の判断をしてるんでしょうね。

見たまんま、そのまんま東(ペチョッ)
これでは、世間が許さないのでしょうね。

自画像、いいですよ。
キリッと引き締まっていますよ。
ヅラしてみても、傾いたりしないずら。(笑)

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>オヤジさんへ (Cezanne)
2007-02-21 08:20:49
オヤジさん、おはようございます。コメントありがとうございます。ここのところ更新が滞っていましたが、実は絵が気持ちよく描けなかったのです。で、そんなときは自分の顔を描いてみるんです。描くときの「見る」は受動的な「見る」じゃなく、主体的に「見る」体験・・・なんてよくいいます。
何事も体験、経験してみないとわからないことばかりですよね。走ることが楽しい・・・なんてことも体験してみて初めてわかったことです。「理解する」「気付く」とはそういう体験を重ねていくことなのでしょう。自画像をみて・・・「オレはやっぱり下手だ」って毎度のように気付く。イコール見えてない、認識できてない、ってことなんでしょうね。ヅラにみえるようじゃ、まだまだずら。
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