このブログなるものを初めてすこし私の生活習慣が変化したことがある。
メモ用紙を持ち歩くことになったことだ。苦笑してしまう話だがネタ探しである。
少なくとも起きている間は常にアンテナをはっている状態だ。
些細なことでも一瞬「あ、そうか!」とか「この話とあの話がつながった」とか気づくことがある。
でもそれはすぐに忘れてしまう。だからメモを持ち歩くようになった。
(そもそも私は相当な凝り性である。昔から・・・)
これはおもしろいと思ったことは当然、メモに書いておく。
後になって思い出して(文字をみても思い出せないときもあるが)また新たに気づくこともある。
コラムとかエッセイとかそんなものを正面から取り組むつもりはないが、日常の中でちょっと頭に浮かんだこと、ヒントなどを書きとめていると自分というものがよくわかってくる。
自分がどうありたいか、他人からどう見られたいのか、なにが好きでなにが嫌いなのか。
あまり思考ということを日常の中でしなかったがこのブログは「鏡」の役となって自らを見つめ返させてくれる。みんな自分がすきなのである。語りたいのかもしれない。
その上、コメントもいただきたいのである。
特に私のように未熟な画を世に出すことの少ない人間には好都合である。
まさにタレントA小路さんの「潜伏期間20年」である。
メモ用紙を持ち歩くことになったことだ。苦笑してしまう話だがネタ探しである。
少なくとも起きている間は常にアンテナをはっている状態だ。
些細なことでも一瞬「あ、そうか!」とか「この話とあの話がつながった」とか気づくことがある。
でもそれはすぐに忘れてしまう。だからメモを持ち歩くようになった。
(そもそも私は相当な凝り性である。昔から・・・)
これはおもしろいと思ったことは当然、メモに書いておく。
後になって思い出して(文字をみても思い出せないときもあるが)また新たに気づくこともある。
コラムとかエッセイとかそんなものを正面から取り組むつもりはないが、日常の中でちょっと頭に浮かんだこと、ヒントなどを書きとめていると自分というものがよくわかってくる。
自分がどうありたいか、他人からどう見られたいのか、なにが好きでなにが嫌いなのか。
あまり思考ということを日常の中でしなかったがこのブログは「鏡」の役となって自らを見つめ返させてくれる。みんな自分がすきなのである。語りたいのかもしれない。
その上、コメントもいただきたいのである。
特に私のように未熟な画を世に出すことの少ない人間には好都合である。
まさにタレントA小路さんの「潜伏期間20年」である。