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〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(111)

2016年05月18日 22時18分37秒 | 評論
ほどよく習慣化された「期待」とともに映画館に出かけて行けば、凡作に接して苦笑することさえが、それなりの楽しみとして保証されていた時代と異なり、国民一人あたり一年に平均一本しか映画を見なくなってしまったいま、「期待」は映画そのものの生死を左右しかねぬせっぱつまった表情におさまっている。こうした「期待」の硬直化は、映画を、日常的な体験からはほど遠い一発勝負の賭け事のようなものに変質させており、それを敏感に感じとってしまった観客たちは映画館に足を運んでもどこか居心地が悪く、ちょっとでも見ている映画の出来が悪いと、もう金輪際映画など見てやるものかとつぶやいてしまいがちだ。現在、映画はこのつぶやきに対して驚くほど無力なまま、それにふさわしい戦略を組織しえずにいる。
「映画狂人日記」蓮實重彦 河出書房新社 2000年
                    富翁
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雨男

2016年05月18日 12時06分35秒 | 評論
今年4回目のゴルフ前回に続いて雨となった。いままで晴男だったのに、
ハーフだけまわってリタイア―、老人のコンペだから無理は禁物だ。
しかし元気な老人が多いこと、雨風なぞなんのそのである。脱帽!
先輩(水もしたたるいい男)


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拾い読み備忘録(110)

2016年05月17日 16時49分34秒 | 評論
第三章「肉体」の時代――山田風太郎
………
『戦中派虫けら日記』(原題『滅失への青春』一九七三年)と『戦中派不戦日記』(一九七一年)を書き残した山田誠也(風太郎の本名)青年は、自分が人間なら、この国の他の人間(国民)は人間でなく、他のみんなが人間ならば、自分は人間ではない。すなわち、「間」であり、その頃の常套語でいえば「非国民!」という非難を浴びることを甘んじなければならない存在であると思っていたのではないか。それだけ、戦中派の彼にとって、戦時中の日本人は狂気じみて見えていたのである。
………
「日本の異端文学」川村湊著 集英社新書 2001年
                     富翁
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へんぺん数え歌(終)

2016年05月16日 18時28分41秒 | 俳句
「と」うとうだ 終わってしまう 数え歌
「う」れしさも 数えていくら いつまでも
安楽
※この「へんぺん」とはどこから来ているのか、という質問がありました。作者にもよくわからないでいたところ、「辺々」という言葉がありました。いたるところに俳句在り、かな。
またぺんぺん草のニュアンスも加味されていたようです。
コメント (1)
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拾い読み備忘録(109)

2016年05月16日 17時02分22秒 | 小説
 街灯はその夜、郵便局へゆっくりと近づいていきながら、一瞬ごとに立ちどまって耳をすますのだった。こわかった、ということだろうか?
………
(「溶ける魚」18より)
「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波文庫
1992年
                                富翁
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久しぶりのアルコール

2016年05月16日 07時30分23秒 | 俳句
スーパードライ350mlひとつ。強度の胸焼けあり、頭痛もあり。
飲めない体質になりました。(禁煙と同じだ)
変わらないのは詩作と読書ができないことです。

つらつらと 思うに酒歴は 43年
よくもまあ 肝臓もったな えらい奴
目鼻口 腰も含めて 老い来たり
あのOB会 皆さま昔日の 覚え無し
体力と 気力は皆無に なり果てり
お酒には そのふたつ要る やんぬるかな
安楽
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拾い読み備忘録(108)

2016年05月15日 19時31分25秒 | 小説
 夏は叫喚と太陽で港をみたしていた。十一時半だった。一日がその中心から中身をさらけだし、その熱気の重みで波止場を押し潰していた。アルジェの商工会議所の倉庫の前では、黒い船体と赤い煙突の≪シアフィノ号≫が小麦の袋を陸揚げしていた。そのこまかい埃の匂いが、熱い太陽で果肉のはじけたコールタールの、あの吐き気をもよおさせる匂いとまじり合っていた。ニスとアニス酒の香りがたちこめる小さなバラックの前では、男たちが酒を飲み、赤シャツを着たアラブ人の軽業師たちが、光が弾む海を前に、燃えるような舗石の上で彼らの肉体をくりかえし回転させていた。そうした彼らを見ようともしないで、袋をかついだ波止場人足たちは、波止場から荷揚げ甲板に渡された弾力的な二枚の板の上を、往ったり来たりしていた。………
「幸福な死」アルベール・カミュ 高畠正明訳 新潮社 1972年
                           富翁
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永日三句(3)

2016年05月15日 15時31分45秒 | 宗教
てくてくてくてく、1万歩。
サイダーが美味い。

梅雨の前 日中ぽかぽか 朝夕涼し
流れ者 朝顔双葉 ただひとつ
新品の エアコン効く効く ばっちりよ
安楽
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拾い読み備忘録(107)

2016年05月14日 16時50分50秒 | エッセイ
三六年一月
窓の向うに庭がある。ぼくにはその壁しか見えない。それに、光の流れる葉の茂みが。もっと上の方にも葉の茂みがある。さらにその上は太陽だ。戸外で感じられる大気のこのまったくの喜び、世界にふりそそがれるこのまったくの歓喜のなかで、ぼくには、白いカーテンに戯れる樹々の葉かげだけが感知できる。それに、室内に枯れ草の亜麻色の匂いを辛抱強くふりそそぐ五筋の光線。そよ風が吹く。影がカーテンの上をゆれ動く。一片の雲がかかる。そしてまた太陽が顔をのぞかせる。すると、かげっていた花瓶のミモザの黄色が燃えるように輝く。それでもうじゅうぶんなのだ。生れ出たこのたった一条の光のきらめき。それだけでぼくは、漠とした眩(めくるめ)く喜びにひたされてしまう。………
「太陽の讃歌 カミュの手帖---1」カミュ 高畠正明訳 新潮文庫 昭和49年
                            富翁
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勤めていた会社のOB会に出席

2016年05月14日 06時59分21秒 | エッセイ
九段下の某高級ホテルにて午後5時から。
会社幹部より社の現況報告あり。呆然と聞き流す。
30余年前はわたしがこの集いを担当していた。
まさか自分が呼ばれる側にいるとは。

ひさかたの 光あふれる 会場に
並ぶ高級 料理をパクつく
どれもこも 見たことある顔 老けました
こころなしか 人の数減りたり
OB会も 世代交代 進みます
この世あの世と 忙しき我ら
安楽
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拾い読み備忘録(106)

2016年05月13日 15時00分37秒 | 小説
「というのも」とコルムリイが続けた。「私が若くて、たいそう愚かで、しかもたいそう孤独であったとき(アルジェでのことを覚えていらっしゃるでしょう?)、あなたは私の方を向き、そんな様子も見せずに、この世で私が好きなすべてのもののドアを開いてくれたからです。」
「ああ!君には才能があった。」
「確かにそうです。でもどんなに優れた者でも、手引きをする者を必要としています。いつの日か人生の途上であなたと歩みを共にする者、その人はいつまでも愛され、尊敬されるはずです。たとえその人からでたことではないにしても。私はそう確信しています!」
「最初の人間」カミュ 大久保敏彦訳 新潮文庫 平成二十四年
                         富翁
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永日三句(その2)

2016年05月12日 18時34分02秒 | 宗教
春いっぱい 通り越してる 初夏の候
梅雨まだか シトシトピッチャン 書の湿り
猫あくび なんともさえない 午後の春
安楽
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拾い読み備忘録(105)

2016年05月12日 15時54分49秒 | 伝記
あれはある日曜日のことだった。カミュは私を昼食に家に招いてくれたのであった。彼の母は愛想のよい笑顔で目をきらきらと輝かせながら、私を迎え入れてくれた。彼女は痩せていた。私がスペイン語で話しかけたとき、彼女は呆然としていたが、カミュが口を挟んで言った。
「彼女にはフランス語で話し掛けてくれ。カスティーリャ語よりもカタロニア語に近いバレアレス諸島の言葉を知っているだけだからね。」
そのときだった。彼女は、来てくれてありがとう、息子は本当の友達しか自分に紹介してくれないんですよ、と私に言った。
「いい子なんですよ、お分かりでしょ、とってもいい子なんですよ。」
明らかに彼女は彼をとても愛していたし、尊敬もしていた。
「カミュ 太陽の兄弟」エマニュエル・ロブレス 大久保敏彦・柳沢淑枝 訳 国文社 1999年
                                富翁
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永日三句

2016年05月11日 18時25分50秒 | 俳句
図書館へ行く予定だったが読書して雑事にとらわれ、録画しておいたドラマを見ているうちに行くきっかけを失ってしまった。
万事がこうでは、先行きが思いやられるというものだ。

義母きたる 思い出話に 妻煩し
そのうちに 魚はなにが 美味いとか
海外へ 行きなさいと勧められ 往生す
安楽
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拾い読み備忘録(104)

2016年05月11日 16時22分17秒 | エッセイ
私というのは、生きるべく運命づけられている人間というよりも、なぜ生きているかを自分にたずねるべく運命づけられている人間のひとりだった。いずれにしても、いわば人生の「余白に」生きるべく運命づけられていた。
物のむなしい性格が、さらに私のなかで確固としたものになったのは、海に近くて、せっせと海にかよったことにもよる。いつも動いて、満ちひきをもっていた海。ブルターニュの海がそうであって、湾によっては、その海が、ほとんど目におさめられないほどのひろがりをもっている。なんという空白!岩、泥、海水…。毎日、一切のものがうたがわれ、問いにかけられるから、何物も存在しない。私はよく真夜中に小船にのっている私を想像した。目標は何もない。おき去りにされて、どうにもならないところへ、おき去りにされて。それに、星もなかった。
(「空白の魔力」より)
「孤島」J・グルニエ 井上究一郎 訳 竹内書店 1968年
                        富翁
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